学童の支援員をしているママと、
おやつの時間、「いただきます」をする時に子供たちがパッチンと大きな音をさせて手を合わせる(音をたてるのが面白いのかな)。それを、ある支援員さんが「神社じゃないんだから、音をたてません!」と叱るけど、直らない。その人がいないときにはまた「パッチン」とやる。叱っただけじゃ、意味ないよねえ・・・
という話をしました。そこで、
あるコマーシャルで、
「お手々のしわとしわを合わせて、しあわせ(しわ合わせ)~~~」
というのがあるけど、これを教えてあげたら、子供たちにも楽しくわかりやすいかもね
と、提案してみました。
でも、シャレはおもしろくていいけど、何でしあわせになるのかな。
そもそも何で、手を合わせるのかな?
なんで合掌するのかをネットで調べてみました。
右手と左手というのは、同じ手でありながらそれぞれ役割があり、常に違った働きをしています。右手が箸を持てば左手はお茶碗を持ちます。右手がペンを持てば左手は紙を押さえます。また右手を私とすれば左手は相手となります。(宗教では、右手が私なら左手が神様とかあるみたいです)
ご飯をいただく時にもまず手を合わせますね。
食事をいただく時には、食材の命と自分の命が一つになる。相手と自分とが一つになるというところから始まります。ひいてはこの世に生きるもの全ては姿形は違い、様々な役割があり、違った生き方をしていますが、決して別々のものではなく皆同じです。皆寸分変わらぬ同じ命を持って生まれて来ています。その同じ命が一つになるのです。草も木も、太陽もお星さまも、神様も仏様も皆自分と一つになるのです。そこにはなんの差別も隔たりもなく、喧嘩も、戦争もありません。それが合掌の心なのです。
すべての生命は同じ命であり、なんの差別も隔たりもない。みんな仲良く、助け合って生きていきましょう。みんな同じ地球の生命です。そういう意味があったんですね。
自分も他の生命も、生命はどの生命だって生きていたい。けれど、私たちは他の命をいただいて(他の生命のお陰で)生きている。だから、感謝の気持ちをこめて、「いただきます」と言うのです。食べ物を提供してくれるすべての人にも感謝して「いただきます」をするのです。
こういう話を子供たちにしてあげれば、両手を乱暴にパッチンとケンカさせずに、やさしく合わせることができるのではないかと思いました。
ワタシも、ちゃんと手を合わせたいと思います
子どもに理解をさせるのは・・・。
躾というのは理屈じゃない。
そう言うもんだと教えられました。
意味はあとからわかってくる。
それでもいいんじゃないですか^^
したっけ。
理屈のない躾は、躾なのかな?(儀式?)とも思います。
黙って言うことを聞けと、叱ったり禁止したりしても、子どもは言うことを聞きません。子どもはただ、知らないからやってるだけ。
子どもなりに納得できるように、子どもに分かる言葉に変換して教えてあげる必要があります。(子どもだってわかるんですよ)
芸事なんかは違うみたいですが(形だけ教えて後は自分で悟りなさい)、学ぶ側に学ぶんだという覚悟があればいくら叱られてもそれもよいかもしれません。
普通のしつけは、もっと気楽に楽しくしたほうがいいと思いませんか?(おしつけじゃなく)
まあ、運良く大人になってそうだったのかと分かることもありますが、叱ってばかりじゃ萎縮したり反発したり性格がひねくれてしまうこともありますからね^^;
・・・とはいえ、親も教育については素人ですから、仕方がない面はありますね。^^