先日「日刊スポーツ」で、北京オリンピック柔道無差別級金メダル・現在総合格闘家の石井 慧選手の記事が載っていましたそこで考えさせられたものがありました。
その記事では石井選手が「僕も宮本武蔵のように師を持たないと決めた」と書かれており、その前に「国士舘高柔道部時代の総監督に柔道をやめるころ『野武士みたいだから師を持たない方がいいかも知れないよ』と言われた」と書かれてありました。
それだけなら「そうなんだぁ」くらいにしか思いませんでしたが、その話を聞いた宮本武蔵の話を説いた総監督の話が「深い~い」感じがして考えさられました。
「武蔵は野を駆け山を駆け、自分を鍛え上げた。生き方を見ればまさに武蔵だなって思います(石井選手のこと)。武蔵のように『自分以外はみんな師』だと悟ってくれる時期が来たらいいなと思います。」と載っていました。
そのいきさつや、言葉の前後や繋がり、その人の思いや考えは文面上では分かりませんし、宮本武蔵の言葉もあまり知りません。ただ見た感じで思ったのが、
極めるため、何かやるためには一人の師を持たなくてもできる。しかしその練習相手や試合での対戦相手、友人、家族、サポートしてくれる人などがその人を成長させ、それぞれが師となるということなのでしょう多分。
これって私にも当てはまるし、誰でも当てはまることなんじゃないかなぁと思わされました。
私も今まで、直接、間接関わらず色々な人に会い、参考にしたり、モチベーションを上げたり、助けられたりなど成長させられています。さらに会う人や本、テレビなどからなにか得ようと思っています。そういうことが『自分以外はみんな師』ということなんだろうなぁと思いました。さらにちょっとした本人の意識で会った人が、師にもなるし、何にもならなかったりするんだろうなぁと考えました。
今一番身近にいる師は、一歳半の娘です行動も読めず、言葉も分からず、夫婦ともに考え成長させられています師はかなり厳しいですが