Archivから出ている、「ヘンデル:歌劇《フロリダンテ》全曲」(HMV 14)(UCCA:1074/6)(アラン・カーティス指揮、イル・コンプレッソ・バロッコ)(録音:2005年9月、トゥスカニア)を以前からぼちぼち聴いています。
この曲の成立の経緯については、三澤寿喜氏による詳しい解説があり、とても勉強になります。以下、抜粋させて頂きます。
1720年代はロンドンにおけるイタリア・オペラ活動の最盛期で、貴族達により1719年にオペラ企業「ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージック」が設立され、ロンドンのヘイマーケット国王劇場において、1720年から1729年まで計9回のオペラ・シーズンがあり、487回の公演を行っています。ヘンデルは、その間の実質上の音楽監督として、14の新作オペラを作曲しており、自らの指揮で約240回もの公演を行っています。
この歌劇《フロリダンテ》は、ロイヤル・アカデミーの第3シーズン(1721/22年)用の新作オペラで、1721年11月28日に完成し、同年12月9日に初演されています。台本はパオロ・アントニオ・ロッリで、1696年にヴェネチアで上演された、フランチェスコ・シルヴァーニの『勝利のコンスタンツァ』に基づいている(舞台はノルウェーからペルシャに移されている)。ヘンデルは、エルミーラ役にはソプラノのドゥラスタンティを(彼女とはヘンデルは青年時代にローマで音楽活動を共にしている)、ロッサーネ役(アルト)にはロビンソンを予定して作曲していたようですが、1721年10月半ばにイタリアに一時帰国していたドゥラスタンティが病気になり、急遽、ロビンソン(アルト)をエルミーラ役に、二流ソプラノ歌手のサルヴァイをロッサーネに起用することになった。このように、ソプラノとアルトが入れ替わった為、ロッリは歌詞の一部を書き換え、ヘンデルも作曲済みの部分に改訂を加えたようである。三澤氏の解説によると、この急な役の変更には、ロイヤル・アカデミーの理事であるピーターバラ伯爵の力が働いたとされている(ロビンソンは伯爵の愛人でもあり、翌年には結婚している)。
《フロリダンテ》は初演の後、3回のオペラ・シーズンで再演され、4つの異なる完成稿があるが、エルミーラ役をソプラノで想定して作曲したオリジナルが理想であるとの考えで、A.カーティスとH.D.クラウゼンが緻密な校訂作業によりエルミーラ役を本来のソプラノに戻し、オリジナル草稿を復元した。これがこのCDである。
この《フロリダンテ》は典型的なオペラ・セリアの伝統に拠っていますが、退屈な所が無く、魅力的なアリアが散りばめられており、ヘンデルらしい劇的な作品です。