ジョン・ハートマン John Hartman
【パート】
ドラムス、パーカッション、ヴォーカル
【生没年月日】
1950年3月18日~2021年12月29日(71歳没)
【出生地】
アメリカ合衆国ヴァージニア州フォールズチャーチ
【経歴】
ドゥービー・ブラザーズ/The Doobie Brothers(1970~1979, 1987~1992)
トム・ジョンストン・バンド/Tom Johnston Band(1979~1980前半)
ジョン・ハートマンはアメリカのドラマー。ドゥービー・ブラザーズのオリジナル・メンバーである。
ハートマンは、1950年にヴァージニア州フォールズチャーチで生まれた。
10代の頃からドラマーとしていろいろなセッションやライヴに参加しており、1969年にはカリフォルニア州サンノゼに移り住む。
この頃、元ジェファーソン・スターシップで当時モビー・グレイプに在籍していたスキップ・スペンスと知り合い、スペンスからトム・ジョンストン(guitar, vocal)を紹介される。
意気投合したハートマンとジョンストンは、グレッグ・マーフィー(bass)を加えてバンド「Pud」を結成し、サンノゼ周辺で活動を始めた。やがてベースがデイヴ・ショグレンに交替、その後パトリック・シモンズ(guitar, vocal)が加入し、1970年にはバンド名を「ドゥービー・ブラザーズ」と改める。
1971年4月、ドゥービー・ブラザーズはデビュー・アルバム『ドゥービー・ブラザーズ・ファースト』をリリース。リリース後間もなく2人目のドラマーとしてマイケル・ホサックが加入した。これによってその後長く続くことになるツイン・ドラマー体制が整った。
ホサックは1974年に脱退したが、後任としてキース・ヌードセンが加入。
ツイン・ギター、ツイン・ドラムを擁するドゥービーズは、ハードなロックとアコースティックなサウンドを融合させてヒット曲を量産し、1970年代半ばにはイーグルスらと並ぶアメリカン・ロックの代表的バンドと言われるまでに成長する。
しかしハートマンは、1978年12月にリリースしたアルバム『ミニット・バイ・ミニット』を最後に、絶頂期にあったドゥービーズを脱退する。メンバー間の不和などがその理由であった。
ドゥービーズ在籍中のハートマンは「リトル・ジョン」の愛称で親しまれ、ツイン・ドラムの一翼を担ってバンドの屋台骨を支えた。
レコーディングではホサックがドラムをたたき、ハートマンはパーカッションを務めることもあったが、『ブラック・ウォーター』『ホワット・ア・フール・ビリーヴス』の2曲の全米No.1シングルや、『リッスン・トゥ・ザ・ミュージック』『ロング・トレイン・ランニン』『チャイナ・グローヴ』などのバンドの代表曲すべてでハートマンはドラムを叩いている。
1979年、ドゥービーズ時代のバンドメイト、トム・ジョンストンに迎えられ、「トム・ジョンストン・バンド」に加入、1980年代前半まで在籍した。
その後は第一線から身を引き、カリフォルニアで牧場を経営していた。また警察官を目指して警察学校を卒業したが、著名人であることと、過去のドラッグ使用歴がネックとなってカルフォルニア州の警官として採用されることはなかったという。
1987年、ベトナム戦争退役軍人のためのチャリティ・コンサートのためにドゥービー・ブラザーズは再結成する。この時、ハートマンのほかトム・ジョンストン(guitar, vocal)、パット・シモンズ(guitar, vocal)、ジェフ・バクスター(guitar)、ジョン・マクフィー(guitar)、タイロン・ポーター(bass)、マイケル・マクドナルド(keyboard)、キース・ヌードセン(drums)、マイケル・ホサック(drums)、チェット・マクラッケン(drums)、ボビー・ラカインド(percussion)、コーネリアス・バンパス(sax, keyboard)の、計12人が集結した。
翌88年、ジョンストン、シモンズ、ハートマン、ホサック、ポーター、ボビー・ラカインドの6人編成で、ドゥービーズは正式に再結成を果たす。
ハートマンは再結成後に『サイクルズ』と『ブラザーフッド』の2枚のアルバムに参加したが、1992年のボビー・ラカインドのための同窓会ライヴを最後にドゥービーズから永久に引退した。後任としてバンドに加わったのは、かつてのメンバー、キース・ヌードセンであった。
その後のハートマンは、公の場に姿を現すことはほとんどなかった。
2020年、ドゥービー・ブラザーズのメンバーとしてロックの殿堂入りを果たした。この時、ツイン・ドラマーのかつてのパートナーで、2005年に死去したヌードセン、2010年に死去したホサックも、ともに殿堂入りしている。
2021年12月29日、ジョン・ハートマンは71歳で死去。
2022年9月、ドゥービー・ブラザーズはSNSを通じてハートマンが亡くなったことを公表し、その死を悼んだ。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)
<ドゥービー・ブラザーズ>
1971年 ドゥービー・ブラザーズ・ファースト/The Doobie Brothers
1972年 トゥールーズ・ストリート/Toulouse Street US21位
1973年 キャプテン・アンド・ミー/The Captain and Me US7位
1974年 ドゥービー天国/What Were Once Vices Are Now Habits US4位, UK19位
1975年 スタンピード/Stampede US4位, UK14位
1976年 ドゥービー・ストリート/Takin' It to the Streets US8位, UK42位
★1976年 ベスト・オブ・ザ・ドゥービーズ/Best of the Doobies US5位
1977年 運命の掟/Livin' on the Fault Line US10位, UK25位
★1981年 ベスト・オブ・ザ・ドゥービーズ vol.2/Best of the Doobies VolumeⅡ US39位
1978年 ミニット・バイ・ミニット/Minute by Minute US1位
1989年 サイクルズ/Cycles US17位
1991年 ブラザーフッド/Brotherhood US82位
★1993年 Listen to the Music:The Very Best of The Doobie Brothers
2001年 On Our Way Up ※1970年録音
★2001年 Greatest Hits US142位, UK45位
★2003年 Divided Highway
☆2011年 フェアウェル・ライヴ~ライヴ・アット・ザ・グリーク・シアター1982/Live at the Greek Theater 1982 ※ゲストとして参加
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