太った中年

日本男児たるもの

強者の論理

2011-10-13 | weblog

100年後の視点から現代日本の常識を考えてみる

100年後の歴史の教科書で平成の日本に見出しを付けるなら「大衆・弱者の権力の増大から始まる横暴により国力が衰退した平成時代」と書かれるのではないでしょうか?何故、100年後かと言えば、行き過ぎた個人主義が蔓延した現代の常識でディベートすれば多勢に無勢で勝てっこないからです。また、理不尽なことをこれから書かせていただきますが、震災も放射能も政治も理不尽なものなのです。世の中や人生から理不尽はなくならない必要悪と考えます。それならばなくす努力よりも上手く付き合って行く努力をお勧めしたいからです。

中国の発展は理想的な発展とは決して言えませんが、今後日本と中国の経済力の格差は引き離される一方になると予測しています。その最大の要因は弱者に対する理不尽がまかり通っているからです。共産党一党独裁という政治の安定が背景にあるからでしょう。対して日本の政治は弱者に媚びなければ政権を維持できないという状態です。昨今の兼業農家に媚びた政策を打ち出した政党が与党になる結果は偶然ではないはずです。将来日本の国力が弱ってしまったら、仁の精神である弱者救済の精神があっても見捨てるしかない時代が必ず到来するでしょう。

日本には沢山の弱者が存在します。産業の弱者と呼ばれる第一次産業・年齢の弱者であるお年寄り・自由経済の弱者である失業者や低所得者・道路交通法の弱者である歩行者や自転車・性別の弱者である女性・身体的弱者である障害者・・・これらの中にそれぞれの本分を忘れ義務を果たさなかった結果の弱者が紛れ込んでいないでしょうか。そんな輩が毎日のように声高に弱者の権利を主張しているように感じています。

このような日本になった最大の要因はTVにあると考えます。今から30年前になります。TV番組制作に携わって「」という言葉を始めて聞いたのです。恥ずかしながら横浜で生まれ育った僕は差別という劣悪な差別があることを知りませんでした。差別用語として「百姓」や「朝鮮人」・・・などの言葉も放送できないと教わったのです。このような差別用語を控えるは当然だと理解出来ましたが、その後「ニートをバカにするな!ホームレスの人権侵害だ!イジメを助長している・・・」等とテレビ局やスポンサーにクレーム電話が入る度に弱者と認知される人々に関する表現を自粛するようになって行きました。どんな良い事でも度を越せば害になります。今では辛口コメンテーターの牙は大企業や政治家・公務員などの社会的強者のみに向かっています。弱者と認知されている人々への批判はヒステリックなクレームから番組降板に繋がるからです。そんな世相を背景に弱者は社会生活でどんどん国や強者への要求を強くしています。

被災地の復興が遅れ、放射能被害者が増え続けている今だから言いたいのです。補償金だとか補助金だとかは短期的には必要なのでしょうが、これらに依存して求め続ける精神は自分自身に弱者精神を植え付けることになり、数多くあるはずの人生の選択肢を制限した結果は不幸になってしまうのです。自らを弱者に仕立て上げた偽装弱者たちが作り上げた被害者意識による精神の安楽死に侵されないで下さい。「もののけ姫」の表現を借りるなら「たたり神」になるな!と。

僕は金持ち=強者だから言っているのではありません。今も昔も金に執着したことはありませんし、金持ち=強者だとも思っていません。

国立ファームがメジャーな会社になったら、二度とこのような発言は出来ないことでしょう。それは批判を浴びて会社か僕が抹殺されるからです。成功して強者になる前だから、僕と同じようにもがいている仲間に本音を言わせていただきました。

(以上、農業経営者連載 高橋がなり氏のコラムより)

上記コラムは日本の農業に対して「あんな平均年齢70歳の産業なんて保護する価値もない」と発言したTPP推進派の安住財務大臣と同じ考えだ。「昨今の兼業農家に媚びた政策を打ち出した政党が与党になる」とは小沢さんが掲げた農業者戸別所得補償制度のことだろう。それから100年後の日本を高橋がなり氏は新自由主義による弱肉強食を想定している。いつからこうなったんだろう、さもしいな。ではまた。