ダイアリー・オブ・カントリーミュージック・ライフ

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Alan Jackson アラン・ジャクソン-"Keepin' It Country"を貫いた25年

2016-05-14 | Alan Jacksonアラン・ジャクソン レビューまとめ

★2021年の「Where Have You Gone」を取り上げました

 

そのキャリアの全盛期でもリリースが実現しなかった、ライブDVD「Keepin It Country: Live at Red Rocks」をこの2016年にリリースしたばかりの、現代カントリー・ミュージック界の皇帝、アラン・ジャクソン。そのライブ作品もとても楽しみなのですが、ここでは彼のデビュー25周年(!)に当たるアニバーサリー・イヤーにCMAが取材したインタビュー記事を紹介しましょう。ライターはKip Kirby氏。25年もトップクラスの人気を、しかもワン・アンド・オンリーのトラディショナルなスタイルを貫いて維持してきたのだからスゴイ人なのですが、このインタビュー記事では、そんな彼の人気の鍵となった、驚くほどに控えめな人柄もしっかりと感じ取れます。アランよりキャリアの長い大物にジョージ・ストレイトがいますが、90年代初頭にニュー・トラディショナル・カントリーでこの音楽にのめり込んだ私にとって、アランの存在は特別です・・・



1989年の事でした。サンフランシスコを大地震が襲い、エクソンのタンカーが座礁してプリンスウィリアム湾に多くのオイルが流れ出ました。そしてベルリンの壁が壊されました。ナッシュビルではガース・ブルックス、クリント・ブラック、そしてトラビス・トリットらの新世代の新人群が世間を揺るがそうとしていました。カントリー界のトラディショナル志向への変化を察知したクライヴ・デイビスは、Aristaレーベルを立ち上げ、ジョージア州はNewnan出身の31歳のシンガーソングライターを最初のアーティストとして選択しました。アラン・ジャクソンは6月にアリスタと契約しましたが、その時、1年後にCMAアワードの新人賞にノミネートされたり、2年後にはグランド・オール・オープリーのメンバーに選ばれたり、さらに5年後には同じくCMAアワードの頂点、エンターテイナー賞を獲得するなど、夢にも思っていませんでした。

その時以来、アランが達成してきた全てが驚くべきものなら、その人自身以上に驚くべきで、畏敬の念に満ちた人はいないでしょう。彼が25年の年月を語るとき、彼の声には、まるで瞬く間に過ぎ去った時間、或いは彼の身に起こったことが信じられないというような、不信感とも言える、有る意味呆然とした感じがあります。彼の書いた曲たちは、彼の世代といえる時代を定義付け、世界中で6000万枚のアルバムを売り上げ、35曲のNo1ヒットを叩き出し、ブラジルからオーストラリアにいたる各地域でライブ・ツアーを敢行し、それも楽曲や歌唱のスタイルを一切変えずに実現してきているのです。彼は自身の息の長いキャリアを理解できませんが、彼の25周年記念イベントのそれぞれを楽しんでいます。



製作チームがこの記念イベントを、コンサートツアーとアルバム「Angels and Alcohol」で完結させるアイデアに対して、アランは抵抗しませんでした。”僕は皆がその事に関心を持つとは思わなかったよ”アランは内気そうな微笑を浮かべて言います。”でも、僕は嬉しかった。こんなに長く活動できて、今も成長していて、それも基本的にナッシュビルに来た時と同じ音楽を創り続けることが出来ている事を誇りに思っているよ”彼は自身のキャリアが4半世紀も経ていると実感しているのでしょうか?”有る意味、本当にあっという間だったし、一方ではるか昔の事のようにも感じる。もう全てを思い出す事は出来ないから、日記でもつけておけば良かったね”

アランの記念年は、2014年6月、彼のミュージック・ビデオへの長年の貢献に対してCMTからFirst Impact Artist Awardを授与された処から正規にキックオフしました。彼は一年に渡る25周年記念のコンサートツアー用にビデオ・パートを制作する事を選択し、最終的に彼のより若い時期の映像を多く含む、長大なビデオの形に落ち着きました。”みんな言うんだ’う~ん、今の君は、このビデオの頃よりだいぶ年を取ったね’”と彼はクスクス笑います。”僕は言ったよ’気にしないよ。みんなに年取った僕、若かった僕とかいろんな僕を見てもらうんだ’それはつまり僕の歴史の一部だと思うんだ。分かるだろ。僕は50かそこらのビデオを製作し、カントリー・ビデオの歴史でこれほどの数を製作したアーティストはいないと思うけど、僕のキャリアでは本当に大きな役割を果たしてきたんだ。とくに若い時期の作品がね。だから、25周年ツアーのアレンジをした時、僕は言ったよ’僕は殆どのビデオをそこに入れてキャリアを振り返りたい。実際にライブでプレイしない曲であってもね’”



何ヶ月かあと、カントリー・ミュージック・ホール・オブ・フェイム博物館が「Alan Jackson:25 Years of Keepin' It Country"と称した展示会の開催を発表しました。10月になると、このいつも控えめで口数少ないシンガーは、CMAシアターでのあるコンサートで聴衆を魅了しました。そこでは、いつもの演奏リストは封印し、ステージに観客を座らせ、2時間半にわたり彼の家族やルーツ、ナッシュビルでの下積み時代、そしてスターダムへ駆け上る過程などのなかなか聞けない回想話を共有したのです。

アランは一年に渡る記念イベントを、2015年のナッシュビルのLPフィールド、CMAミュージック・フェスティバルの夜の部のキックオフを飾る事で締めくくりました。彼はこのファン・フェアで4半世紀の実績がありますが、自身の娘とその友達が毎日来ていることに気付いて、チョッと自身をユーモラスにからかっています。”僕を見るためじゃないんだよ。でも彼女らは僕以外のみんなを見に来たのさ”

謙虚で、自分を蔑みがちで、いつもスポットライトに当たっている事を心地良しとしないシンガーは、この記念年の出来事を素晴らしく、期待以上ものだったと言います。”僕は僕のやってきた事全てを祝福できて、僕がまだ重要な存在だと認識できて、ただただ幸運と感じているよ”彼は言います。”キャリアをスタートした90年代初期を思い返すと、自分は本当に幸運だったと感じる。沢山のアーティストが僕と一緒に出てきて、また僕の後に続いたけど、う~ん、それを皆が維持してきたわけではないね”彼は笑った後、本質を解説するかのように屈託なく言葉を差し挟みました。”僕はいつもヒット・チャートは見ないように努めてきたし、曲を書く時やレコーディングの時はラジオでのエアプレイや、アワードの事は考えないようにしてた。ただ僕の音楽に変わらない誠実さを保つ事、僕が愛する事や僕のファン達が聴きたいと思う事に努めてきたんだ”



今回の記念祝典がニュー・アルバムで締めくくられなかったとしても、アランはがっかりしなかったでしょう。「Angels and Alcohol」は、7曲のアラン・ジャクソン流儀によるオリジナル曲が収録されています。それらは、アメリカにおける内省的な共通要素から、陽気でチョッとおふざけな生活への視点まで、広範囲をカバーしているのです。1作を除いて(それは、アリソン・クラウスがプロデュースした 「Like Red on a Rose」)、長年に渡り全てのアルバムをプロデュースしてきた、Keith Stegallは、これこそがアランの成功の下地となったと考えています。”アランは僕達が皆考えているけれど、彼が考えるはずがないと思っている事を歌にしてしまう真の才能があるんだ”彼は言います”ニューアルバムにも、’ワァオ!僕はその事をずっと考えてきたけど、アランもその事を考えていたとは知らなかった’と思える幾つかの曲があるよ。アランは真のソングライターであり、だから僕達は簡単に彼の事を特定できるんだ”

当分の間、この"時の人"は、これまで25年間やってきたように、毎晩ステージに立ち自身の音楽をプレイする事に満足していくでしょう。もし表層の下にノスタルジーや回顧の意識が有るのなら、寛大な感謝、謝礼と混ざり合うのです。”年齢を重ねて幾分落ち着いたと思っているよ”アランは言います。”そして、生活について、何が自分に影響して、何が自分に重要で、逆に重要でないのかについて、確実に賢明になっている。僕は大統領の前でプレイした事があるし、大きなアリーナでもプレイして来たけど、汚いバーでもやって来たよ。あらゆるところで演奏し、君達が想像出来るあらゆる事をやってきた。本当に驚くべきことだ。途方もない旅をし続けてきたし、また同時に汚点でもある。クレイジーな道のりだったよ”



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