ダイアリー・オブ・カントリーミュージック・ライフ

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ジェシカ・シンプソンとダリアス・ラッカー・インタビュー:ポップとカントリーの”分水嶺”への挑戦

2009-05-03 | カントリー業界情報、コラム
 昨年、ポップ、ロック界からカントリー・フィールドへ”転籍”して話題となったジェシカ・シンプソン(Jessica Simpson)と、ダリアス・ラッカー(Darius Rucker、元Hootie & the Blowfishのリーダー)。彼ら自身が、その転籍の真意や覚悟、そしてカントリー・ミュージックへの愛情を語っている、CMAのサポート・ライター、バーネル・ハケット氏によるインタビュー記事を紹介します。ポップ・マーケットでの知名度を生かして最初からスーパースター然として活動していると思いがちですが、実際はそう簡単にカントリー・ファンが認めてくれるわけではなく(彼らを知らない人もいる。アメリカは広い!)、地道な活動を精力的に行っている事が語られており、生半可な気持ちでカントリー・フィールドに望んだのではない事が理解できて、興味深いテキストです。ところがどっこい、ジェシカ・シンプソンについては、レーベルSony Music Nashvilleのリストから既に外れているとの情報(4月初旬)があり、今後の動向が注目されています。この2人の明暗の分かれ道がどこにあったのか、このインタビューから読み取って見るのも面白いかもしれません。

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 元ポップ・シンガーのジェシカ・シンプソン(Jessica Simpson)と、元ロック・シンガーのダリアス・ラッカー(Darius Rucker)が、カントリー・マーケットに移籍した理由は、彼らと活動を共にしたレコード・レーベル関係者によると、かなり単刀直入なものであった。それは本質的であると共にシンプルなものだったのだ。ソニー・ミュージック・ナッシュビルのチェアマン、Joe Glanteはシンプソンとの最初のミーティングでその事を知った。「ジェシカは彼女の父親とやって来たんだ」と彼は回想する。「私は彼女に’なぜ貴方はカントリー・フォーマットで活動したいと思ったんだい?’彼女は言ったよ。’私はカントリー・ミュージックで育ったの。私はテキサスに住んでた。そこは私にとって異国じゃないわ」

 同じ事がダリアス・ラッカーにも当てはまると、キャピトル・レコード・ナッシュビルのマーケティングVice President、Cindy Mabeは言う。彼女は、マーケティング戦略を駆使したからといって、アーティストが元々自身に備わっていないタレントを発揮できるようになるものではない、と主張する。「嘘だと思うなら、彼に聞いてみるといいわ」彼女は言った。「彼はカントリー・ミュージックを歌う事が夢だった事を、皆に確信させているわ。そして彼はHootie & the Blowfish時代から、ジョニー・ペイチェックやハンク・ウィリアムスSrのナンバーをショーで歌い続けて来たのよ」

 「プロデューサーのフランク・ロジャースとは、カントリー界で信頼を得る為には、全ての曲でソングライティングに関わる事が必要と話し合ったんだ」とラッカー。「僕はグレイトなレコードが創りたかったけど、もっと大切な事は、カントリー・ミュージックでキャリアを築く事だ。だから(ナッシュビルの)ソングライター・コミュニティからの尊敬を勝ち取る事が重要だったんだよ」

 しかし、ジャンルを超えるには、その音楽への忠誠心と同じくらいバランス感覚が必要である。キャピトルは、南カリフォルニア生まれのダリアスに、カントリー・デビュー盤「Learn to Live」の自由な制作決定権を与えたが、その彼がホンキートンク"All I Want"をリード・シングルにしようとする決断を考え直すように強く説得した。「彼らはそれがカントリーっぽすぎる(Too Country)って思ったんだ」とダリアス。「後になって考えると、皆は僕が余りに挑戦的だと思ったんだね」かわりに彼らは、ダリアスとClay Millsのペンによる"Don't Think I Don't Think About It"を選び、この曲はNo1を獲得、アルバムのNo1獲得をも促したのである。「シングルのプロモーションでは、車に乗ってアチコチできる限り廻って、たくさんの人たちに会ったのが良かったと思うよ」とラッカー。「そういう事今までした事はなかったけど、僕もやりたかったし、レーベルもそうするよう勧めたんだ」

 


 キャピトルの宣伝部シニアVPのJimmy Harnenは、カントリー・アーティスト・ライフそのものと言って良い、ラジオ・ツアーの洗礼活動に同行した。「僕たちはシンシナティでスタートしたんだけど、そこでは皆に愛されたよ」とHarnen。「そして僕たちは、インディアナ州のフォート・ウェインに行った。ダリアスは、ラジオ局が集めたファンの前で初めてプレイしたんだ。そこのファン達も気に入ってくれたし、ダリアスもプレイを楽しんだようだった」それは、その後のラッカーのお披露目ツアーのモデルになった。「僕たちが現地に入る。皆は彼が誰か知らないか、何かを期待しているかだ。そして10分も経たないうちに皆は虜になってしまうんだ」Harnenは言う「僕はMike(Dungen、キャピトルのCEO)に電話して言ったよ’信じられないよ。ダリアスはここにいる全ての人たちと瞬く間に友達になってしまうんだ」

 ジェシカ・シンプソンにとって、カントリー・ミュージック界への最初の第一歩は、ミュージシャンとして彼女自身をもう一度売り込む事だった。「私は自分自身をクロスオーバー・アーティストだなんて思ってないわ」彼女は主張する。「私は新人として振舞っている。私は18歳の頃にした多くの事を今しているの。たくさんのラジオ局をまわったり、新人アーティストがするいろんな事をしているわ。人生の次のチャプターに向かって進んでいる、って感じね」

 シンプソンとJoe Galanteとの最初のミーティングで、シンプソンがいかにカントリーを愛しているかだけでなく、彼女が自身のタレントは神からの贈り物であると考えている事を、Galanteが理解した事をシンプソンは思い出す。「私はたくさんの歌いたい事やソングライティングしたいモノがあって、チャンスを与えてくれる誰かを必要としているの」と彼女は言う。「私はJoeが私の涙を見て、私のカントリー・ミュージックに対する情熱を理解してくれたんだと思うわ」

 「私にとって初めてのNo.1アルバムがカントリー・アルバムだった事はご褒美だったし、それはコレまで制作した中でベストなレコードよ」彼女は付け加える。「それが私のルーツだし、私そのものなの。このアルバムは私が人生を通じて何を経験してきたかを考える機会を与えてくれたわ」

 キャピトルがダリアス・ラッカーにしたように、ソニーはBrett JamesとJohn Shanksによってプロデュースされたアルバム「Do You Know」を制作するにあたり、シンプソンのプランになんら制限は付けなかった。「ポップ・ミュージックを書いていた時って、まずビートに合わせる事を心がけてメロディを作っていたけど、あまり深い歌詞ではなかったわ」彼女は説明する。「カントリー・ミュージックに私が見出した、深く心を癒すようなものではなかったのよ。一方ナッシュビルは、’ヒット曲を探そう!’って所ではなくて、’書きたいものはどんなものでも書けて、お気に入りや敬愛するソングライターたちと仕事をして、それがどういう結果になるか見届けるところ’なのよ。私がコレまでカントリーをやっていなかった事でプレッシャーを感じる事はなかったわ」「私達は多様な、そして彼女にとってとても個人的なテーマをカバーする事に注力したよ」とGalanteは言う。「僕たちがポップすぎると思う曲は全然なかったよ」



 ソニーはシンプソンのアルバムを前もってPRする為、2008年のCMAミュージック・フェスティバルで、Storme Warrenによる豪華サプライズ・インタビュー・ショーを企てた。それは2005年のCMAフェスティバルで、当時アメリカン・アイドルのウィナーに輝きアーティスト契約を結んだばかりのキャリー・アンダーウッドを、ライムライト・ショーに出演させた企画に倣ってのものだ。「僕たちはジェシカをフェスティバルに参加させて、ナッシュビルのあちらこちらで多くの関係者と会ったり、ファンと多くの時間を共にする事ができた」Galanteは言う。「それが、フェスティバルに行って、ファンにサインをする時間を費やした理由なんだ。その後、カントリー・ラジオ局との関係を密にする為に国中を廻ったよ。大変だけどね。僕たちは今でも続けているよ」

 2人のアーティストにとって、カントリー・チャートでの成功や歓迎は、彼らの努力や覚悟したリスクに対する報酬以上に、新しいファンに広がっている。「カントリー・ラジオについて僕が理解している事は、ファンたちはアーティストの事を好きでなければ、誰もレコードを買わないしリクエストもしないって事さ」とラッカーは言う。「僕が"Don't Think I Don't Think About It"で上手くやれた理由の一つは、たくさんの人たちがそこに関わる事ができたからだと思ってるんだ」シンプソンも、彼女がRachel Proctor、Victoria Banksと共作した"Come On Over"がカントリー・ラジオで反応を得た時、同様に自信を得た。「この歌は私の個性を映し出しているわ」とシンプソン。「レコーディングには1時間もかからなかったけど、出来上がった作品には十分満足したわ」

 ラッカーとシンプソンは共に、ロード・ツアーと同レベルで、今後もカントリー・ラジオへの対応に注力していくだろう。また(2009年の)3月には、2人ともカントリー・ラジオ・セミナーに参加する為にナッシュビルに滞在する予定である。そして、ラッカーはブラッド・ペイズリーの、そしてシンプソンはラスカル・フラッツの、それぞれオープニング・アクトとしてツアー契約もしている。

 「ラスカル・フラッツのツアーに同行できるなんて素晴らしいわ」シンプソンは言う。「私はツアーのメンバーになれた事を感謝しているの。彼らが私をオープニング・アクトとして求めてくれた事は、私がこれまで受けた中で最高の賞賛なのよ。私が最後にオープニング・アクトを勤めたアーティストはリッキー・マーティン(Ricky Martin)、19歳の時よ。そして今、私はもう一度一からスタートしようとしているの」

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 ジェシカ・シンプソンのスポークスマンによると、「Sony New York から Sony Nashvilleに”貸し出されていた”だけなんで・・・」との事なので、Sonyの籍を外れたわけではないよう。ジェシカの件については、CMT.comでチェット・フリッポ氏も一筆寄せています。「ポップからカントリー・フィールドへの移籍に対する拒絶反応が一部で語られているけれども、ナッシュビルやカントリー・ミュージックはジェシカに公平なチャンスを与えていたし、結局はファンたちがジェシカや彼女の音楽を気に入らなかったということだろう。一方、ダリアス・ラッカーは成功している。理由は幾つかある。一つは、Hootie & the Blowfish時代からカントリーにそう遠くない音楽をやっていた事。二つ目は、プロモーションで町を訪れる時、トランペットのファンファーレや、たくさんのリムジンや取り巻きがいたりしなかった事。そして3つ目が、ダリアスが本物の品位と謙虚さを持ち合わせていた事だ。彼は何より音楽によって彼自身を語り、人々はそれを理解し歓迎したのだ」

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1 コメント

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第一印象 (t@ke)
2009-05-03 10:32:26
(ダリアス・ラッカー)
全然違和感なく聞けます。
変にカントリーぽくしていないのが
むしろ好感が持てます。

(ジェシカ・シンプソン)
少し飽きたので、目先を変えました。
こんな感じがしてます。

カントリーは他の音楽に比べ、歌手
・作曲家・レコードレーベルの作りたい曲、売れそうな曲に対するイメージの接点が保たれているのかなとも感じます。
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