松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

ジンバブエの初日 8/3

2007年08月05日 | ジンバブエ


ジンバブエ ハラレ市内 国立美術館前のモニューメント。ペトロールがないのにどこで手に
入れてんだろうなー。隣のビルに日本大使館が入っている(4F)
そのビルの1Fのネットカフェでケーブルをつないでもらっている。
1時間ー200G 100G=コーラ4本分 いくらかわからない。

2007年8月3日 金曜 はれ 快晴
きのうの届けてもらったペトロールがなくなっていたら大変になると
不安だった夜。朝8時さっそくきのうのゲストハウスにペトロールをとり
に行くその前にペトロ-ルをオートバイに入れるのにペットポトルの大
きいのをじょうごの代わりに底を切り落として持っていく。

よかったーあった、ペトロール。手伝ってもらいオートバイのタンクに少し
ずつ流し込む。残り1リッターは宿に持ち帰る。前に日本大使館の場所を
確かめに走って見た。地図の所にはない。町の人たちやタクシーの人た
ちなど5,6人の人にあっちだこっちだと聞いて30分以上かかってよう
やくたどり着く。場所が変わっていた。ネットが使えると思ってきたが大
使館にはなかった。

大使館に同じビルの中にあると教えてくれたのでそこに行った。自分の
パソコンに「つないでもらえる」か聞くとOK,の返事。じゃ明日来るけど
「あなたはいます」か「いる」と聞いたので安心した。これで目いっぱい
ネットが打てることでうれしくなった。1時間400G$=400円ぐらいかな
まだ相場がわからないでいるのだ。




           ジンバブエ ハラレ市内中心街


8時に出て宿に戻ったのは10時を過ぎていた。日記を書き、パソコンの下
書き、写真の取り込み縮小に取り掛かる。一日仕事になる。パソコンに取
り込む電源のある部屋に移してもらう。晩飯にきのうと同じニワトリ半分
注文、きのうの二倍の料金を請求したので「もうあしたから喰わない」と
文句言ったらとたんに半分にした。こう言うやり方気分がわるいなー。
オーナーの顔を見たくもない気持ちだ。

いい季節なのだろうか、アフリカに来て蚊に刺されたこともないし、今の
時期はいないのだろうかねー。日本から電池式モスキット、とシューシュー
のフマキラーまで持ってきているのに、ま、気楽に過ごせるのはいい。

ジンバブエにつきました 8/2

2007年08月05日 | ジンバブエ
もうすぐ国境近くの村。手を上げ応じてくれたので気持ちよかった。



2007年8月2日朝18度はれ 快晴昼12時30℃海岸通りと違って暑くない
6時に起きて早めにテントをたたんでいつでも出発できるように支度した。
ビールは高いので2本目からジンとビールを交互に飲むようにしている、
夕べ飲みすぎたのかなー、少し頭が痛い。支度が終わったころジンバブエ
の四駆が出て行く「ちょっとー」と後を追うが聞こえなかったのかそのまま
行ってしまった。

まったくラッキーだった。車はガソリンで走るのです!

テントで寝てると言ってなかったので気づかず行ってしまったのだろうかと
不安になる。すぐに追いかけてガススタンドに向かう。いたいた、ジンバブエ
の男の人。「心配した」と胸をさすると「またホテルに戻るんだった」と。地元の
人が水タンクに使ってるポリ容器40リッターを買いたいとスタンドのオーナー
に聞くと店の奥から持ってきてくれた。

40リッターと思っていたみんなの使ってるポリ容器は20リッターらしい。き
のう同じガススタンドに来たミニバスの運転手からコーラー1本で譲っても
らっていた5リッタ容器×2個あわせると30リッターになる。オートバイのト
ランクにしまってある。これでOKだ。


最初なんだろうと思っていたらジンバブエの男性が四駆に積んでいたのはこの炭俵
だった。いたるところの道端では農家の人が薪と一緒に炭俵を並べて売っている。


人の良さそうなジンバブエ男性の四輪駆動ペトロールタンクは荷台にすえつけ
た特注150リッターのほかに3箇所にタンクを取り付けている。ジンバブエ、
ペトロール不足対策をかいまみる。20リッターペトロールをよろしくお願い
しますと彼の荷台に積み込み、私はビザを取るので先に国境に行っていま
すと別れる。

別れる前にアクシデントがあって別々に走ることになるかもしれないので
ハラレ市内の地図を見せて私はここのゲストハウスに泊まりますのでここ
に届けてくださいと頼んだ。彼はすぐにホテルの場所が分ったようだ。

ジンバブエ国境まで70km、9時に到着。モザンビーク出国手続き15分ぐら
いで終了スムーズだった。アー「両替するのを忘れた」係官は「いくらだ」
私が「2000メデカル」9000円を差し出すと、奥のほうに引っ込んでなか
なか戻ってこない。別の係官がどうした?「チェンジマネー」、男は札束も
って戻ってきた。ウヘー4,5センチはあろうか、札束の厚さに急に金持ちに
なった気分になった。



モザンビークとジンバブエの国境、どちらも手続きはスムーズにすんだ。

ジンバブエ入国、ビザ代30アメリカ$支払う。ジンバブエ通貨も受け付けな
い。ここも手続きはスムーズ面倒なことはなかった。手続きを終えたときジン
バブエ男性が見えた。女性も一緒で夫婦かと思ったらマイフレンドと言って
たから違うようだった。彼は120kのスピードで走る、と、私は90kだから先を走
っていますと再び別れる。それ以降彼とは会わずじまいになってしまった。

山の中を上がりジンバブエ最初の町が眼下に見えるほどの高さである。道は
整備されて走りやすい。ガタガタ道は一度もなくモザンビークとはチト違う
風景だ。人の頭が挨拶してるような物からよく落ちないなーと不思議に思う
奇岩、珍岩を右に左に見ながらジンバブエ、ハラレ市内に着いた。ペトロール
は市内に入ってリザーブに切り替えた、もう安心だ。

市内のガススタンドで泊まるゲストハウスをたずねる。2,3分の所にあった。
ゲストハウスのオーナーみたいな人が入り口に座っていた。スリーピングOK
かと聴くとOKと答える。そしてペトロールも届いていると話す。オー早かった
なー途中一回も会わなかったジンバブエの男性が早々と届けてくれたんだ。
ありがとうございました。途中のガソリンスタンドに4,5軒寄ってみたがすべて
ペトロールは「NO]の返事ばかり、恐ろしさ感じる。運んでもらってほんと助かった。

もたもたしているゲストハウスの様子がどうも変だ、泊まれると話していたが
中に入っていくと美容院の設備もある。結局寝る場所がないとかで断られる。
教えてもらったほかのゲストハウスに向かう。二軒目も満員でUS70$、満員に
は見えない、満員と顔を上げずに言うことから外人を泊めたくないような様
子がうかかえる。

三軒目しっかりしたホテル50US$高すぎる。四軒目満杯でだめ、そこの斜め前
のゲストハウスに着いた。かっぷくいい女性がいた。OK。レセプションの女性が
受付をしてくれる。シングル10$US「OKOK」ここは安い、そこへかっぷくのい
い女性、オーナーだった。10$と料金表を見せた女性にだめだめ、と自分で40
$とマジックで書いた。

「料金表は10$になっている」「マイノーマネー」三泊するからとお願いする。
ま、しょうがないと笑ってOKになった。危なかったなー1,2分の違いで大損する
所だった。小ぎれいで明るくてマーマーのゲストハウス。それにしても市内を
走っている自動車はどこでペトロールを手にしてるんだろうか。は並んで並ん
で行列作って補給していると日本大使館の人は話していた。
(86カ国目ジンバブエに着きました)


ジンバブエに向かう 8/1

2007年08月05日 | モザンビーク
テント泊まりの晩飯は日が暮れる前にすませる。ビールがうまーい



2007年8月1日 水曜 朝曇り朝15℃ 昼ごろから晴れ
疲れていたのだろう、久しぶりの長距離ツーリング、それでもきのう
は450km。いつもは2,3時ごろ目がさめてしばらく寝付けないこと
があるが朝までぐっすりだった。けさは朝露はない。

80が出て次は60のスピード表示は繰り返し出てくる、村がある、屋
台みたいなバザールなどがあることを知らせている。そこを過ぎ
ると100の表示になる。ひっきりなしに歩いている人、自転車で走っ
ている人を見かけるので退屈しなくてさびしくもない。足の長いア
フリカの人に自転車はほんとよく似合うと思う。



      2250円宿代を節約するためテント泊まりにする



        バザールで野菜を売りに来ている親子 


すし屋さんがアフリカまで出前に来ている。看板は消さないで日本車であることを
自慢するためなのか、安心を売るためなのかそのまま使ってるのを、あっちこっちの国で見かける。


大きな川を渡り突き当たりに出た右はbeiraベイラ左はジンバブエの
国境。左に進む。突然すしの出前だ!日本のワゴン車の「すし活魚」そ
のままミニバスの代わりに使っているのだ。モザンビーク最後の村
マニカに着く。マプートゲストハウスでマラウイ出身からジンバブエ
は「ペトロールがない」と聴いていた。


右はベイラ、左は国境マニカ私は左へ。元気いっぱいの地元の人たち

私のオートバイは満タン20リッターで300kmが精一杯。ジンバブエ、
ハラレまではどうにか持ちそうだ。問題はハラレから再びモザンビー
クに入るのには400kmあるのでさらに30リッターが必要だ。あれこれ
話しているうちにジンバブエ、ハラレの男性が日本車四輪駆動でスタンド
に来ていた。

あなたはあした「ハラレに戻るんですか」と聴くと「そうだ」の返事。
今日は「どこに泊まるんですか」近くの「ゲストハウス」。それじゃ私も
そこに泊まります、連れて行ったください。そして「私のペトロールを
ハラレまで運んでもらえませんか」とたのむ。「OKOK]と気持ちのい
い返事をしてくれる。

彼の後をついてゲストハウスに、すぐ近くだった。ゲストハウスは750
メデカルを500メデカル=2250円まで負けてくれたがテントを張らせ
てと頼み込んで200メデカル=900円でテント泊まりにした。一日、二日
シャワーなど使わなくても平気。浮いたお金でビール食事代使っても
お釣りがくる。ありがとう。ジンバブエの男性は車で外に出かけていた。
今日は国境の村 Manikaマニカ泊まり。


ジンバブエに向かう 7/31

2007年08月05日 | モザンビーク
トマトを買おうとバザールに停まった。小学前ぐらいの女の子は私の手を引いて
お母さんの店までつれて行ったかわいい、かしこい女の子

2007年7月31日 火曜 はれ 快晴 朝15℃
びっしょり露で濡れたオートバイカバーを取り込んで、タイヤを砂に
取られながら本線に出る。太陽が左に見える、南に戻ってる!そんな
ことはないはずだ。シカゴで同じような感じで走っていたら戻ってい
たこともあった。今日は大丈夫だった。

きのうまではすばらしい道だったがアスファルトを直し直しで伏せこ
けたゴトゴト道になる。原野が続く中を走るに走る4時近い。ガススタ
ンドでここに「テント張ってもいいだろうか」「全然かまわない」と返事
両サイドにあったスタンドは片方は廃業になっている。

宿はそこにした。
屋台みたいなものが並んでいる2,3km先でビールとニワトリの
煮込んだもの、つぶした米を練ったものいっしょたくに、ビニール袋
に入れてテントに戻る。夜は静かで丸いお月さんが出ていた。日本の
月も同じ月なのだろうかなー。その国その国にひとつずつ月がある
ような気がする。まったく静かな夜。あれが南十字星かなー。
Maxixo泊まり

       にぎやかなバザールで働くおしゃべりの女性たち