松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

タンザニア ダルエスサラームの町

2007年08月21日 | タンザニア

   

   タンザニア バザールで集まってきた信用できる地元の人たち 2007年8月20日 朝22℃ はれ 昼32℃ 晴れたり曇ったり 夜中にどしゃ降りの雨も朝にはやんだ。値段の高いホテルを8時半に出て安いホテルを探す。YMCA,(キリスト教青年会)YWCA(女子青年会)どちらも男女泊まれる。YWCAにつきレセプションのおばさんに「泊まれますか、5日間」日程表を見ながら「OK]の返事。安いホテルはどこも満杯だったので心配したがこれで安心して過ごすことが出来る。一泊1000円と安い。 部屋は掃除中で入れない。その間T/Cトラベルチェックの両替を銀行に行く。シティバンクのT/cなのにここのシチィバンクで両替できなかった。でかい銀行、高級ホテルの中にある両替所でもT/cの両替はすべてだめだった。戻ろうとしたら昨日のサファリーパークで会った黒人の運転手にばったり、「T/Cの両替ができないんだ」仲間と何か話して彼のタクシーで別の両替所、銀行へ行くがやっぱりだめだった。仕方なくカードで現金を下ろす。 しゃーない、ケニア大使館まで行ってくれと頼みビザ申請を終わらせよう。受け取りは2時間後とのこと。申請書には名前だけ書いて「私は目が見えないから」後はお願いしますとパスポートにはさんで女性係官に渡す。しょうがないみたいな顔して笑って受け取ってくれた。オートバイで午後2時に受け取りに行く。3ヶ月ビザ63000シリンダー6300円だった。              国立公園のキリン ホテルの前のペトロールスタンドで給油したあと、地元の人の質問に答えながら過ごしながらこの近くにオートバイの「シート」を補修してくれるとこ「ありますか」「OK]と言うなり靴の修理屋を呼んでくれてさっそく直してもらった。ついでにオートバイの「フロントの補修」もと頼んだら近くいた職人を呼んでくれて手動の穴あけで3箇所補修してもらった。シート縫込み代200円 フロント修理250円 へー「聞いてはみるもんだなー」アット言う間に気になっていた所の補修は直してもらった。職人を呼んでくれた親分はペトロールスタンドに併設しているレストランのオーナーだった。もうひとつついでにオートバイの後ろのテールランプ2個のうち一個がつかなくなっていたので、これは明日直すことになった。 YMCA青年会は100mの所にある。ここはビールも売っている。昼と夕方ここで食事してYWCAに戻る。きのう高いホテルで朝、食事でいっしょになった日本人女性はYMCAに移ってきていた。東京のW大学生で一人旅をしているようだ。そういえば昨日の夜町のビールショップ屋でもモザンビークに住んでるとか言っていた日本人女性とも会った。 とりあえずゆっくり出来る環境になった。あとはインターネットで下書きして日本に送信するだけになり楽しみだ。当分ダルエスサラームで過ごす。(8月21日)


キリンと遭遇

2007年08月21日 | タンザニア

        キリンに遭遇 アフリカだねー
2007年8月19日日曜 朝20度雨 昼22℃雨 ふったりやんだり

夜中に激しく雨が降った。あさも小雨だ。ここは国立公園サファリーパークの入り口であることを宿の人からおそわった。5km先に公園事務所があることも教えてくれる。8時半に出発。スピード出せないように道路にはデコボコの突飛?がこしらえてトラックなどはノロノロと走っている。

キリンに遭遇
アーッ「キリンだ」道路の近くにキリンを見つけた。右には鹿のいとこみたいなものが群れでこっちを見ている。キリンは二頭いたが一頭は逃げてしまった。写真におさめよう。これがアフリカなんだなー、こんな近くにキリンや動物を見られることは、何か不思議な感じがする。

写真を撮っているとトラックの運転手が「レンジャーレンジャー」「GO-GO-]と叫んでいる。写真は撮ってはいけないのだろうか、それとも危ないからと言うことなのかなー。すぐに公園事務所はあった。サファリーパーク内はマイカーかジープを借りて走るようだ。

入場料20$を支払いジープ代100$1万2千円を支払う覚悟した。ジープを予約したあとアメリカ人が運転手つきのマイカーできた、一人である。お金を払うから「私をいっしょに乗せてくれませんか」「あ、かまわない」。助かったー。で、ジープはキャンセル。

黒人運転手、アメリカ人、公園ガイドに10$づつ計30$払って2時間のサファリ見物にはいった。かばを見てライオンはバッファローのそばにいたが近くで見ることは出来なかった。キリンは遠くからでもすぐ分る。像はあっちこっち探して回ったが見ることが出来なかった。

公園は周囲3000kmあるそうでいつでも見れるとはいかないようだ。小動物も
何匹か見たが名前は忘れた。見たかった像の群れはどこかのサファリーで見れるだろう。

12時過ぎ事務所に戻る、寒い。そのままダルエスサラームに向って走る。あと300km。道路が良くて意外と早くダルエスサラームに17時に到着。ホテル3軒は満員、一軒一軒聞いて回るたびに汗だくだく、最後は一泊480004800円と高いホテルに泊まる羽目になる。オートバイを止めると、どーっと集まってくる活気のある町だ。

タンザニアは山が多いなー

2007年08月21日 | タンザニア

     腰を伸ばして一休み 20分ぐらいで後半ばてなくてすむ

2007年8月17日金曜 朝18℃ くもり 昼温度計見ない
タンザニア初日、一時間の時差のためか夜明けが遅いように感じる。夕べビール瓶をもってビン代をもらいに雑貨店へ。まだ店は開いてない。ホテルに戻って写真の取り込み11時近くに再び酒屋へ、ビン代をもらい12時2本、夕方3本買いに来るから冷やしておいてほしいと頼んで帰る。

冷やすのにコーラーで隠すように奥の方にビールを置くのはなにか悪いことでもしてるようにみえるなー。わき道はパウダーのような道でほこりっぽい。


2007年8月18日土曜 くもり 朝18℃ 雨昼22℃ ふったりやんだり
夜明けを待ってタンザニアの首都ダルエス、サラームDar-es-salaam,に向って出発。

約900km。一昨日国境を越えてから耕した畑が続くと期待したが今までと同じ原野になってしまった。雲の変化は雨になってきた。木陰で合羽に着替える、本降りになってきたのでガススタンドでハンドルカバーも着けて完全武装。ふったりやんだり晴れたりとめまぐるしく変わる。ミクミMikumiに泊まる。スネークゲストハウスの庭に入り止ろうとした瞬間ぬかるにタイヤをとられ転んでしまう。あーあ

宿代7500シリンダー750円。晩飯はいつでもテント泊出来るように途中の休憩所でチキン、チップス。焼き鳥を買っていた。ビールも昨夜ペットポトルに詰め替えて走ってきたのである。大きな山を二つ越してミクミMkumi泊まり

タンザニアに入りました

2007年08月21日 | タンザニア

            マラウイとタンザニアの国境

タンザニアにつきました。

2007年8月16日木曜 朝22℃はれ 昼30℃
夜は冷えるだろうと長袖を着て寝たが夜中に暑くなり半そで一枚で寝た。
夜半から現地のお祭りのようなヤーヤ、ヤーヤ2,30人ぐらいの歌?が
ひっきりなしに朝方まで続いた。トイレに起きると焚き火を囲んで踊ってる
ようにも見える。湖面の遠くには魚とりの船の明かりだろうか無数の明かり
火が灯っている。

5時半に起きて出発の準備。湖面には3,40人かたまってにぎやかだ。
見に行くとキラキラ光るいわしみたいな小魚が船に満載になっていた。親
方みたいな人が札を持っているのをみると獲れた魚を地元の人に売っているのだろう。小さい子供たちも両手いっぱいに
小魚をかかえていた。湖面に真っ赤な太陽が出てきた。

7時10分出発。国境に9時40分到着。マラウイ30分で出国手続き終了。
タンザニア側へ女性係官「きれいな目」「きれいな歯」してますねーと
ほんとのことを言って「入国申書」に私は年寄りで「字が見えないんです」
代わって記入してもらった。入国手続きもすんなり終わったが、マラウイで買った走行許可書?のステッカー見たいな物が必要だとゆう。

東アフリカ全土に通用するカードが車150$オートバイ100$。クルーザーの欧米人も買ってるし、国ごとに払っていたのでは100$すぐに超えるので買うことにする。でも本当に各国共通なのかなー。大丈夫だとは思うが。

まんまとだまされたー両替

すべて手続きが終了。門扉を出た所で両替やきた。もう両替はすんだと30$両替した「3000s」を見せると、それは「3$分だ」エー「やられたかー」くやしがってもあとの祭り。

前を押さえて「トイレ」はどこと体を震わせる。両替屋も周りのお店の人も笑いながらトイレまで案内してくれた。もどって両手を胸から下の方に動かしすっきりした気持ちをあらわすと、またけらけら笑った。

タンザニアに入ったとたんお茶畑が目にはいる。日本のお茶の葉っぱより一回り大きい。紅茶だろうかなー。これまで原野だったのに道の両サイドは緑が広がってきた。バナナ、とかジャガイモだろうか。なんとなく自然に向って耕すことの頼もしい生き生きした生活感を感じた。道端での炭やマキの販売は見られない。ジャガイモ、いもなどが主力のようだ。トマトは道端で見かけなくなった。

タンザニア最初の町ベヤMbeyaにつく。ほこりっぽい街だ。銀行を探して両替をしよう。US$は2種類ある?。20$×5=100$は安い単価とゆう。小額20$紙幣以下は安いのであることが分りがっかり、でもしょうがない手を合わせて高い方にと頼んでみたがだめだった。

そばにいた女性に「安いホテルは近くにないか」と訪ねる。隣で聞いていた男の
人が俺のマイカーの後に「ついて来い」と一軒目は泊まりはやってなくてだめで2軒目のホテルに案内してもらった。

部屋は小ぎれいでテレビもある、見ても分らないだろうが納得できる部屋である。
10000t=約8ドルー1000円ぐらいだろうか。まだタンザニア通貨の値は分っていない。
レストランも併設しているがビールは置いてない。ホテルの人に近くの雑貨店まで案内してもらうが冷えたビールはない。

夕方来るから4本冷やしておいてほしいとお金を渡して戻る。空瓶は持ってくると「お金は返す」と4本分空瓶代もとられる。大瓶1本120円
ぐらいか。晩飯はチキンライス-400円ぐらいかなー。

とゆうことでタンザニア(88カ国目)の夜を迎えました。タンザニア、ベヤMbeya泊まり

タンザニアへの道

2007年08月21日 | マラウイ

    走ってる途中二、三軒の村で揚げパンを売っていたので買った。

2007年8月15日水曜 朝18℃はれ 昼30℃
きょうから一路タンザニアに向う。約700km。7時にゲストハウスを出発。支払いは
夕べ済ませていた。走っているときはジャケットを着ていてちょうどいい。200km
を過ぎた、そろそろ給油だ。前方をみると山並みが見える。うんこりゃーやばいぞ
ペトロールスタンドのあるような雰囲気ではない。急に心配になってきた。オートバ
イを停めておじさんに「ペトロール」は「100km先」とおそわる。エーまずい。

二人目若い青年は「5km先」50kmじゃないよね「イヤ5km」トラックが数台停まって
いる村に着く。トラックの運転手はそこの「ポリスに聞け」。検問所のおまわりさんに
「ペトロールは80k先だ」ここはブラックマーケット「やみ売り」がある。しょうがない
とりあえず5リッター買うことにする。少年に「いくらだ」「1000k」スタンドより80円
高いだけだった。80km走って本線から外れたスタンドに着きほっとした。途中で聞い
たとき途中から「左に入れ」と聞いていたので通り過ぎなくてすんだ。おじさんんも
若い青年も教えてくれたのはどちらも正解だったのだ。

満タンにして気は楽に成った。山林の中急カーブが連続して続く。小さなカーブで反
対車線に飛び出してしまった。危ない危ない。小さなざる一個で売ってる子供たちが
いた。なんだろうか。買ってみると「揚げパン」みたいなものだった。ごまかされた
1000札ー1$で8個自分のビニール袋に入れた。二三軒集まった集落だった。ズズ
MZUZUの町で休憩。現地の人が木陰で休んでいる場所に行きさっき買った揚げパンを
周りの人にあげた。そこに寝転んで腰を伸ばす。15分か20分ぐらい横になるだけで後
半バテなくてすむ。

だいぶ高い山陵を走り続けた後国境カロンガKaronga近くになってマラウイ湖が見える。
湖畔の平地に下りてほっとした。ゲストハウスがあった。寄ってみる。雰囲気が良かったので
3時半とチト早いがここにテント泊りにする。さっそく湖でひと泳ぎ、水温はちょうどいい
アー気持ちよかったー。さかな、テント代、ライス、ビール小瓶4本込みこみ10$1200円。
鯉かフナのいとこみたいな魚は骨ばかりで身は少なかったなー。管理人は通いらしい、
8時に寝袋にもぐる。

モザンビークではマキ、炭俵など買ってくれるのを待つ商売のようだが、マラウイでは
自転車に積んでグラグラしながら運んでいる人を多く見かける。注文を受けて運んでいる
のか、売りに出かけているのかはわからない。

ネズミ捕り名人日本のおまわりさんもびっくり

2007年08月21日 | マラウイ
8月14日 はれ
ネズミ捕り名人!日本のおまわりさんもびっくりだろう

      食べる人がいるから売れるんだろうね?うまいのかな?

いままで少年たちが魚の燻製みたいなものを走っている時「買えー」とばかり
に突き出していた。今回もなんだろうかとオートバイを止めた。なんとねずみ
を5匹竹にはさんで売っていたのである。これ「喰うのか」「そうだ」生乾きの肉
が飛び出しそうなものもある。値段は聞かなかったがほんとに食べる人がいる
から商売になってるのだろうなー。食べる勇気はない。だれか喰いたい人いま
すかねー。日本のおまわりさんにおみやげに持って帰ろうかなー。


   うまそうなねずみアップしました。どうぞ召し上がってください


ここらマラウイは自転車が急に多くなったように感じる。ゲストハウスに13時に
到着。「戻ってきましたよ」再びテントを張り終えた。あしたからタンザニアに向うのにお金がなくなった。マーケットの前にたむろしているヤミ両替屋。おーボス
とおだてて嫌がる10$小額紙幣50$を前回と同じ153Kで両替する。銀行より1$10K=8円以上も高いのだ。ま、50$で400円の儲けだけの話だけど、、、。
マラウイに来て200$2万4千円。泊まって喰って飲んで、ガソリン代ネット代など込みこみで一日3000円で済みそうだ。

マラウイからタンザニアへ

2007年08月21日 | マラウイ

             マラウイで暮らす人々
2007年8月13日月曜 朝18℃はれ 昼30℃快晴
コウリャンゲストハウスは日本人の女性(D,E)が結婚して暮らしている。韓国出
身の両親がホテルを5部屋からオープンしたと聞く、一泊20$今は立派なホテ
ルになっている。その息子さんと結婚子供さんは3人いるとのことだった。

南アフリカからオートバイ二人乗りで北上、エジプトカイロに到着している。
水島治64歳安子夫婦はコウリャンホテルに泊まったときD、Eさんに「お世話に
なったのでよろしく」とメールが入った。探してみると私の泊まっているゲスト
ハウスからオートバイで2,3分の近くだった。水島さん夫婦のことを話すと「良
かった」と喜んだ。夜はホテルのレストランで韓国料理をご馳走になる。久しぶ
りに腹の隅々まで満たされた。奥さんに迎えに来てもらって帰りはご主人が
ゲストハウスまで送ってくれた。
 
          マラウイからタンザニア二向う途中で

2007年8月14日火曜 朝18℃はれ 昼30℃快晴 暑い
マラウイ湖に泊まるつもりでゲストハウスにバイバイして8時出発。11時にマラ
ウイ湖畔に到着。キャンプサイドに入る、とたんに砂にタイヤを取られ立ちゴケ
した。門番の二人に起こしてもらう。芝生に停めて一回りしてしてみる。泊まる
ほどのところでもないなー。ゲストハウスに引き返そう。

         マラウイ湖で一泳ぎ気持ちいい


朝漁から帰ってきた漁師さんからいわしのようなきらきら光る魚を買っていた