2007年10月12日金曜 はれ
パソコンに日記の下書きと写真の縮小など午前中
いっぱいかかる。午後から、きのう「接続OK]と話し
たネットカフェへはしまっている。ウン?セキュリテ
ィの人に聞くと日曜まで閉まっているとのこと。
オーナーはイスラムなのかなー。
近くの別のネットカフェで13時から17時までかかっ
たがネットが中断して写真の貼り付けまで出来な
かった。あしたにしよう。
2007年10月13日土曜 はれ
ここキガリは朝方冷え込む、長袖を着て寝ている。
泊まっているホテルはトイレ、シャワーつきの部屋
になっているが水さえ出ないのだ。部屋を見たと
き蛇口をひねって確かめればよかった。
ポリタンクで水を運んでくるのである。頭を洗え
ないのでホテルを替わることにする。きのうホテ
ルを予約していたOKAPIホテルに9時にいく。部屋
が空くのは10時過ぎになるとレセプション。
その間「エンジンの音」と「パワー不足」が気にな
っていたのでホテル前のパーツ屋でプラグを見
てもらう。相当痛んでいたので新品と交換した。
6本=30ドル=3600円。これで大丈夫だろう。
最近出来た新しくきれいな5階建てホテルの部
屋が空いたのは12時近くになった。てっきり新し
い部屋に泊まれると思っていたら案内されたの
は別棟の平屋で古い建物だった。トイレ、水シャ
ワー付ではある。水が出るだけでもよしとしよう。
午後3時から7時までかかって、きのうの残り写真
の貼り付けをしたがどうもうまくいかないなー。
今日はこれまで「またあした」やり直してみるか。
帰りにスーパーによって晩飯用に、コンビーフの
缶詰、パントマト、たまねぎを買う。ビールは隣の
小さい食堂で買う。
<ここにも1994年犠牲者の子供>
となりの食堂で昼間ビールを飲んだ。店には男性
と女性がいた。30歳ぐらいの男性は店の人だろ
うか。私の年は「いくつだ」と聞く、「63歳」と答え
る。あなたの年は「いくつ」と女性に聞いた。
「25歳」と男性が教えてくれる。最初女性を見た
とき35歳ぐらいかなーと思った。「ファザー、マザ
ー」はと聞くと「両親亡くなった」と。「1994年か」
「そうだ」年より老けて見えたのは幼い12歳頃か
ら苦労して過ごしてきたからなのだろうと思う。
女性の「両親と兄弟も殺されたのだ」と男性が話
した。ルワンダには親、兄弟を失った人たちが相
当いるのではないか。なにしろ50万人とも100万
人とも言われる虐殺が短期間で行われたのは13
年前「1994年」のつい最近のことだ。
多数派フツ族が少数派ツチ族への虐殺は「ホテル
ルワンダ」の映画が日本でも上映されているとメ
ールで教えてくれた。わたしはほんとうのところ
詳しく知らない。ドイツヒットラーしかり、おろ
かな人間たち。
私たちは殺されるため、殺すために生まれてき
たのではないのだ。