松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

お詫び

2007年10月18日 | ブルンジ
先日いっせいに送った写真つきメールは
他人のアドレスも入ってしまったような
気がします。

今までは一斉の場合は「CC]欄にアドレ
スを入れていたんですが、いつの間にか
「CC」がなくなっていたんです。原因が
わからないのでしばらく打てなくなりそう
です。

とゆうわけでアドレスを勝手に他人に知ら
せる結果になってしまいましたことお詫び
いたします。

言いづらいのか苦言は来ていませんが、気
をつけますのでこれからもよろしくお願い
します。

10月17日 ブルンジの初日

2007年10月18日 | ブルンジ

ブルンジの笑顔の人たち


ブルンジの途中の村、民家だろうか。こんな感じの
山を走ってきた。


ブルンジの途中の村で集まってきた人たち


ブルンジに入ってから写真を気さくに撮らせてもらうようになったので
気が楽になる。ブジュンブラの人たち

2007年10月17日水曜 はれ
ブルンジの初日の朝はカラッと晴れ上がった青
空は気持ちよい。日記の下書き、写真の撮り込み
縮小に午前中いっぱいかかる。午後3時過ぎ昨日
見つけていたネットカフェへ。

夜7時ごろまでかかるがプログの更新までは出
来なかった。あしたまた来ることにしよう。ブジュ
ンブラ市内のどこら辺に泊まっているのかもまだ
つかめていない。

ブログの更新を終えたらこれから進むザンビア
へは「タンザニカ湖」を船で渡ることにしている。
船着場の確認、船のチケット売り場などこれから
探すことになる。ちょっと憂鬱で不安だなー。

ウガンダ、ルワンダは高原の中に街があったが、
ここブジュンブラ市内は東に山は見えるが平坦な
街のようだ。

10月16日 ブルンジにつきました。

2007年10月18日 | ブルンジ

ルワンダからブルンジへの道はカーブの
連続だった。道はよかった。


ルワンダからブルンジへ向う途中村の親子


ルワンダとブルンジの国境


ブルンジに入った直後、地元の人たち

ルワンダからブルンジに向う
2007年10月16日火曜 曇り朝20℃ はれ昼30℃
きのう15日64才の誕生日を迎えて今日はブルンジ
へ向う。朝6時30分スタートしようとしたがエンジン
の音が気になる。うん?どうしたんだろう、プラグ
を替えたのでその影響か?

まだメカニックは寝ている時間だ、フッとガソリンコ
ックを見ると「ストップ」になっているではないか。先
日プラグを交換した時、修理屋がプラグを洗うのに
ガソリンを抜こうとコックを閉めたままだったのだ。
新品と交換したのでその必要はなかった。

コックを戻すとエンジン音は通常に戻った。ほっとす
る。ブルンジへの道は片側一車線狭い一本道。キガ
リを出てからも山道のカーブの道が続いた。朝から
畑では農作業に精を出している現地の人々。また
村の人たちはオートバイを見たとたん「ヒエーイ」と
嬌声を上げて手を振る人々たち。

学校を改造した「虐殺展示館」の町ブタレBtareに
ついた。「1994」「メモリアル」「スクール」と集まっ
てきた地元の人に聞いた。オートバイタクシーの
青年が「知って」いるとゆう。その青年のオートバ
イについて行く。

着いたところは兵隊のいる兵舎「ここには1994」
「メモリアル」じゃないと兵隊。オートバイタクシー
も困った顔。しかたないブルンジへ向おう。ブルン
ジの国境に着いた10時10分。

「あなたのビザはシングルでフィニッシュ」とルワ
ンダ係官。エーなぜだ。出国一回だから「いいは
ずだ」なんだかんだと待たされる。ワイロの要求
ではなさそうだ。並んでいたブルンジ人が係官
に何かを告げた。

係官は「コミニケーション」の違いみたいなこと
を言ってパスポートにスタンプを押した。変な係
官だなー。次はブルンジ国境に入る、あらかじめ
「ビザ」はとっていたのでスムーズ、並んでいる
列に割り込んで来る人あり。

「順番順番」と後ろに回す。その中に一人おばあ
さんがいた、周りの人が「おとしより」だから「許
して」あげたらと話す。それはすみません「どう
ぞ、前に来てください」と一番前で手続きをす
ませた。

ブルンジに入っても山の中のカーブの道は続
いた。アンデス山脈を思い起こすようなかなり
高いところを走っている。道は狭いが道はい
い。ルワンダ キガリを出てからづーっと山の
カーブの道が続く。

眼下に町が見える、あれがブルンジの首都、
ブジュンブルなのかも。だんだんと下っていく
と大きなモニューメントはブルンジの地図をあ
しらった首都ブジュンブルの入り口の看板だっ
た。市内に入りガススタンドの隅に停める。14時
5分。

地元の人がどっと寄ってきた。両替屋、タバコ
売りもきた。「ホテル」はと聞くとタバコ売りの
青年が隣のビルを指さす。オートバイをおいて
歩いて青年の後を歩く、一軒目のホテルは一泊
140$=1万7千円と「高い」隣の並んでいるホ
テルに行く。

すぐ隣のホテルは一泊10$=1200円。広い敷
地の中で明るい部屋、トイレ、水シャワーは共同
になっている。ここに泊まろう、オートバイをと
りにガススタンドに戻る。案内してくれた青年に
500ブルンジフラン=120円お礼に渡した。

部屋に荷物を入れる、どこで聞いたのかオート
バイの周りに地元の人たち7,8人。ここら辺は
街の中心になってるようだ。水シャワーを浴び
て下着、靴下を洗濯。ネットカフェを探しにゆく、
近くのレストランの中にあった。

ホテルに戻り朝からドリンクだけで走ってきた
ので腹がへっている。17時とチト早いがホテ
ルのレストランでチキンセット、ビールを注文。
ビール大瓶1800ブルンジフラン=200円
トータル12000BF=1200円

中庭の中にガーデンでも屋根つきでも飲めるな
かなかのレストランだ。ここまで来る間途中の
道には兵隊さんがいたるところでづーと警備し
ていた。(93カ国目)