チェリノブイリ原発爆発・・事故あれから28年(1986・4)・・今は

















8月12日火曜
カメラ探しに朝5時半に出る・・盗られたとは思いたくないので・・きのう走った、まず休憩した場所へ・・
そしてレストランへ・・二カ所に寄ったがカメラはなかった・・
そのまま一眼レフカメラを持って再び「チェリノブイリ原発爆発現場へ」・・ゲートではきのうと同じように
放射能係官も愛想よく・・検査室など写真を撮らせてもらった。ホテルの戻ったのは12時。
4月11日月曜 はれ はれ
6時に出発・・チェルノブイリ原発・・爆発現場へ。あれから28年(1986年4月)もうすぐ30年・・
になる。人の住めない土地になってしまったようだ。
大きい川を渡る・・違うような気がする。きのうの地図で見たら川沿いを北に走る・・ナビにまかせて川を渡
って北へガソリンがなくなってきた・・ガススタンドで「チェリノブイリ」このまま進んでいいの。
違う違うこっちじゃない・30キロ戻って・・右に走れ。地図を書いてくれた、ありがとう。役に立たないナビ
はしまった。きょうはたどりつけないかも・・不安になる。
来た道を戻って・・何回も聞いて走る。どうにか本線に戻れたようだ・・ガススタンドで再び道を訪ねた・・。
マイカーの人が「チェリノブイリ」に向かう・・オレのあとについてこい・・あーありがたい。静かな広大な土
地を走るに走る。
10時前についた。道路の真ん中にストップのゲート。原発爆発の場所から30キロの地点・・。ゲートにつく
前畑仕事をしている地元の人たち・・





写真を撮っていると地元の女性が話しかけてきた・・タバコを持ってないか・・「ノー」ゲートを前に写真を撮
った・・。
「マイジャパン・ヒロシマ、ナガサキ、チェリノブイリ、フクシマ、原爆爆発、四つのうち三つは被爆先進国・
日本」から来ました・・日本語で話す。「フクシマ」を知っていた。
そう言えばここに来るまであちこちの国で「フクシマ」の名前を何度か聞いた、悲しいことだ。ゲートの係官が
「被ばく線量」検査室まで連れて行ってもらった・・例のガーガーの機械。
部屋の中にはレントゲン写真を撮るような機械が備えてあった。まもなく30年になる・・原発30キロ内に住
んでいる人は強制移住・・
残された土地には残された家畜の他にイノシシ、オオカミ、など住人のいない住みかを寝どころに増えているとか。
目に見えない放射能・





日本・・福島原発から20キロ圏内・・チェリノブイリの状況から考えると、生涯戻れないのではないか・・と思
わざるを得ない。
一回爆発すると人間はすめないだ・それでも原発を進める人たちがいる、どうなっているのか
・・。
途中から「ナビ」が消えてしまい使えない・・キエフ市内のホテルに戻れるか・・キエフ・セントロ・・と何回も
聞きながら意外とすんなりホテルに戻ることが出来た15時だった。






8月10日日曜 はれ はれ
ホテルを変えてみよう・・ときのう地図で確認・・ナビを持って探してみた・・場所はわかったがホテルがどこ
にあるのかわからない。
話し中のおばさんに聞くとそこだと入口まで10mほど歩いて案内してくれた。ブザーを押しても出てこない。
に戻ってキャンセルだ・・。
あしたチェルノブイリまで走ってこよう・・30キロ範囲は立ち入り禁止になっている。まぁ走れるところまで
いってみよう。
原発が爆発したのが1986年4月あれからあと2年で30年になる
8月9日土曜 はれ はれ夕方一雨
さわやかな朝いつもの朝の散歩・・きょうは大きな川の流れる橋まで歩いてみたい・・橋まではとどりつけなかっ
たが高台の展望のところまで行くことが出来た。
きのうブログの更新も終えたので気持ちもなんとなくすっきり。チェイリノブ原発・・の場所まで行けるのどうか
・・調べてみたらツアー申込だと・・10人でひとり25000円から一人だと15万円だと・・わたしには無理だ。
8月8日金曜 はれ はれ
6時20分・・泊っているホテルのまわり朝の散歩・・でっかいスーパーまで歩いてみた。7時からオープンとか・・
歩いている人、通勤の人、商店街の人など見ていても普段と変わらないようすだ。
日本や世界でも緊迫しているような報道をしているのだろうか・・「気をつけて」との言葉をメールで聞くことが多
いな。きょうはパソコンの更新に一日かかりそうだ。スーパーで買ったステーキ晩飯に焼いて食べたらうまかった。
「ガガーリン・ゲストハウス」には近隣諸国の旅人達が多い・・東欧ではめずらししくアフリカのナイジェリアの青
年2,3人泊っている。わたしの部屋にはウクライナ、フランス人わたしの3人。











8月7日木曜 はれ18℃ はれ24℃
きょうも5時30分出発。きのうの道路の状況から考えて・・きょうは500キロ10時間到着夕方5時頃を予想・・
気合を入れて走る。
ひんやりとした空気・・肌寒いぐらいだ。朝早いこともあり、車は少ないとゆうより2,3台しか見かけない。道路は
きのうより広く走りやすい。
そろそろ片側一車線が出てくるのではと思っていたが・・違ってハイウェイ並みの道になってきた。あー出てきたふせ
こけのごとごと道。
ガソリン給油・・「キエフ」このまままっすぐでいい・「違う」3キロ戻って左に入れ。あー聞いてよかった。戻った
道路は一段と良くなった・・もしかしたらキエフまで続いているのかも。
12時前にキエフにつきそうだ・・ほんとうに最後までいい道路が続き12時前にキエフ市内についた・・ホテルの場
所・・ナビにたよって走るが・・狭い裏道に入って飛び上がるほどの穴ぼこの道へ、考えられない「ナビ」誘導。
走っては行き止まり・・もうダメだ・・タクシーに頼んでホテルまでひっぱてもらった・800円。13時を過ぎてい
る、街の中心に近い・・
きのう予約を入れていた「ガガーリン、ゲストハウス」6人部屋・一泊800円・格安ゲストハウスだ。このホテルも
行き止まりの場所にあった。
「ガガーリン」って知っている人が少なくなったのではないか・・人類初の宇宙船、飛行士・・すごいなーって驚いた
ことを思い出す。室内には宇宙飛行士が撮った写真を飾ってある。
炊事場でアルコールはダメだと・・めずらしいゲストハウス。仕方ないさっそくビールを買いに・・部屋で飲む。きの
うもそうだった・・メールは使えるようだが・「フェイスブック」はブロックされているようだ・・
まわりからは「危ない」ウクライナ・と言われているが・まだ雰囲気はわからない・・いまのところなんの変りもない
ように感じられる。







8月6日水曜 雨くもり 20℃ 雨くもり はれ24℃
5時半ホテルを出発、ウクライナ・キエフに向かう約800キロ。走り始め1時間でどしゃ降りの雨・・晴れてきたので
カッパを脱いだら・・又雨になった。
ハイウエイかと思うと片側一車線の繰り返し.ポーランドとウクライナ国境に10時20分についた。ポーランド側10
分ぐらいで出国手続き終わり・・ウクライナ入国30分ぐらいですべて終了。
11時3分ウクライナに入る。普通2時間程かかるが手続きは早い方だった。きょうは行けるところまでと宿は決めてい
ない・・400キロを過ぎた・・最初から4時をめどに早目に宿に泊まることにしている・・1800円。
残りあとウクライナの首都・キエフまで500キロぐらい・となりのレストランで食事しながらパソコンの取り込み・・
9時ベッドに入る。






















8月12日火曜
カメラ探しに朝5時半に出る・・盗られたとは思いたくないので・・きのう走った、まず休憩した場所へ・・
そしてレストランへ・・二カ所に寄ったがカメラはなかった・・
そのまま一眼レフカメラを持って再び「チェリノブイリ原発爆発現場へ」・・ゲートではきのうと同じように
放射能係官も愛想よく・・検査室など写真を撮らせてもらった。ホテルの戻ったのは12時。
4月11日月曜 はれ はれ
6時に出発・・チェルノブイリ原発・・爆発現場へ。あれから28年(1986年4月)もうすぐ30年・・
になる。人の住めない土地になってしまったようだ。
大きい川を渡る・・違うような気がする。きのうの地図で見たら川沿いを北に走る・・ナビにまかせて川を渡
って北へガソリンがなくなってきた・・ガススタンドで「チェリノブイリ」このまま進んでいいの。
違う違うこっちじゃない・30キロ戻って・・右に走れ。地図を書いてくれた、ありがとう。役に立たないナビ
はしまった。きょうはたどりつけないかも・・不安になる。
来た道を戻って・・何回も聞いて走る。どうにか本線に戻れたようだ・・ガススタンドで再び道を訪ねた・・。
マイカーの人が「チェリノブイリ」に向かう・・オレのあとについてこい・・あーありがたい。静かな広大な土
地を走るに走る。
10時前についた。道路の真ん中にストップのゲート。原発爆発の場所から30キロの地点・・。ゲートにつく
前畑仕事をしている地元の人たち・・





写真を撮っていると地元の女性が話しかけてきた・・タバコを持ってないか・・「ノー」ゲートを前に写真を撮
った・・。
「マイジャパン・ヒロシマ、ナガサキ、チェリノブイリ、フクシマ、原爆爆発、四つのうち三つは被爆先進国・
日本」から来ました・・日本語で話す。「フクシマ」を知っていた。
そう言えばここに来るまであちこちの国で「フクシマ」の名前を何度か聞いた、悲しいことだ。ゲートの係官が
「被ばく線量」検査室まで連れて行ってもらった・・例のガーガーの機械。
部屋の中にはレントゲン写真を撮るような機械が備えてあった。まもなく30年になる・・原発30キロ内に住
んでいる人は強制移住・・
残された土地には残された家畜の他にイノシシ、オオカミ、など住人のいない住みかを寝どころに増えているとか。
目に見えない放射能・





日本・・福島原発から20キロ圏内・・チェリノブイリの状況から考えると、生涯戻れないのではないか・・と思
わざるを得ない。
一回爆発すると人間はすめないだ・それでも原発を進める人たちがいる、どうなっているのか
・・。
途中から「ナビ」が消えてしまい使えない・・キエフ市内のホテルに戻れるか・・キエフ・セントロ・・と何回も
聞きながら意外とすんなりホテルに戻ることが出来た15時だった。






8月10日日曜 はれ はれ
ホテルを変えてみよう・・ときのう地図で確認・・ナビを持って探してみた・・場所はわかったがホテルがどこ
にあるのかわからない。
話し中のおばさんに聞くとそこだと入口まで10mほど歩いて案内してくれた。ブザーを押しても出てこない。
に戻ってキャンセルだ・・。
あしたチェルノブイリまで走ってこよう・・30キロ範囲は立ち入り禁止になっている。まぁ走れるところまで
いってみよう。
原発が爆発したのが1986年4月あれからあと2年で30年になる
8月9日土曜 はれ はれ夕方一雨
さわやかな朝いつもの朝の散歩・・きょうは大きな川の流れる橋まで歩いてみたい・・橋まではとどりつけなかっ
たが高台の展望のところまで行くことが出来た。
きのうブログの更新も終えたので気持ちもなんとなくすっきり。チェイリノブ原発・・の場所まで行けるのどうか
・・調べてみたらツアー申込だと・・10人でひとり25000円から一人だと15万円だと・・わたしには無理だ。
8月8日金曜 はれ はれ
6時20分・・泊っているホテルのまわり朝の散歩・・でっかいスーパーまで歩いてみた。7時からオープンとか・・
歩いている人、通勤の人、商店街の人など見ていても普段と変わらないようすだ。
日本や世界でも緊迫しているような報道をしているのだろうか・・「気をつけて」との言葉をメールで聞くことが多
いな。きょうはパソコンの更新に一日かかりそうだ。スーパーで買ったステーキ晩飯に焼いて食べたらうまかった。
「ガガーリン・ゲストハウス」には近隣諸国の旅人達が多い・・東欧ではめずらししくアフリカのナイジェリアの青
年2,3人泊っている。わたしの部屋にはウクライナ、フランス人わたしの3人。











8月7日木曜 はれ18℃ はれ24℃
きょうも5時30分出発。きのうの道路の状況から考えて・・きょうは500キロ10時間到着夕方5時頃を予想・・
気合を入れて走る。
ひんやりとした空気・・肌寒いぐらいだ。朝早いこともあり、車は少ないとゆうより2,3台しか見かけない。道路は
きのうより広く走りやすい。
そろそろ片側一車線が出てくるのではと思っていたが・・違ってハイウェイ並みの道になってきた。あー出てきたふせ
こけのごとごと道。
ガソリン給油・・「キエフ」このまままっすぐでいい・「違う」3キロ戻って左に入れ。あー聞いてよかった。戻った
道路は一段と良くなった・・もしかしたらキエフまで続いているのかも。
12時前にキエフにつきそうだ・・ほんとうに最後までいい道路が続き12時前にキエフ市内についた・・ホテルの場
所・・ナビにたよって走るが・・狭い裏道に入って飛び上がるほどの穴ぼこの道へ、考えられない「ナビ」誘導。
走っては行き止まり・・もうダメだ・・タクシーに頼んでホテルまでひっぱてもらった・800円。13時を過ぎてい
る、街の中心に近い・・
きのう予約を入れていた「ガガーリン、ゲストハウス」6人部屋・一泊800円・格安ゲストハウスだ。このホテルも
行き止まりの場所にあった。
「ガガーリン」って知っている人が少なくなったのではないか・・人類初の宇宙船、飛行士・・すごいなーって驚いた
ことを思い出す。室内には宇宙飛行士が撮った写真を飾ってある。
炊事場でアルコールはダメだと・・めずらしいゲストハウス。仕方ないさっそくビールを買いに・・部屋で飲む。きの
うもそうだった・・メールは使えるようだが・「フェイスブック」はブロックされているようだ・・
まわりからは「危ない」ウクライナ・と言われているが・まだ雰囲気はわからない・・いまのところなんの変りもない
ように感じられる。







8月6日水曜 雨くもり 20℃ 雨くもり はれ24℃
5時半ホテルを出発、ウクライナ・キエフに向かう約800キロ。走り始め1時間でどしゃ降りの雨・・晴れてきたので
カッパを脱いだら・・又雨になった。
ハイウエイかと思うと片側一車線の繰り返し.ポーランドとウクライナ国境に10時20分についた。ポーランド側10
分ぐらいで出国手続き終わり・・ウクライナ入国30分ぐらいですべて終了。
11時3分ウクライナに入る。普通2時間程かかるが手続きは早い方だった。きょうは行けるところまでと宿は決めてい
ない・・400キロを過ぎた・・最初から4時をめどに早目に宿に泊まることにしている・・1800円。
残りあとウクライナの首都・キエフまで500キロぐらい・となりのレストランで食事しながらパソコンの取り込み・・
9時ベッドに入る。




