7月12日スワジランドにつきました。
南アフリカ&スワジランドの国境
三人の清晴
A.きょうも、動くのヤメヤメ、朝からビール飲んで
ゆっくりしよう。いつもぐうたらの清晴
B.まー、どうでもいいけど行けるところまで行っ
たら、いつも中途半端な清晴
C,決めたことだから目的まで走るべきだ。いつも
強硬派の清晴。
3人の清晴が同居している。私の一番すきなのはA。
今回はいつまでもたもたしてるんだーとCにうな
がされて、しぶしぶ出発することになった。
居心地のよかった南アフリカ、ダーバンを7月12日
朝出発する。事前にハイウエイに乗るため地図で
教えてもらっていたが走り出して5分もたたない
のに間違ってしまった。
ぐるっと回って元の宿近くに戻りガススタンドで聞
き直す。交差点をひとつ先まで進みすぎたらしい。
今度はスムーズにハイウェイに乗れた。4車線、2車
線片側一車線になっていく。ハイウェイは200kmで
終わった。120kの標識は出ているがマイペース90kの
スピードで走る。
上空から見たアフリカの大地を今走っているのだ。
道路に出ている標識が何を意味しているのかわか
らない。「給油のマーク」を見たのでテストのつもり
でガソリンを入れてみよう。
幹線から外れた3kmの所にガススタンド(ここでは
ペトロール)があった。給油2基の小さいスタンドだ
った。2回目のガススタンドでスワジランドの国境まで
94kmと教えてくれる。今12時だ。
ウン?100kmを越してる。国境がない。道路端に
止めてに後ろの車に聞こう。トラックは止まらない。
反対からきた空色のマイカーを止めて「スワジランド」
を聴くと20kmバックと。
両手の甲を差し出して「右手はあなた、左は私」あな
たの後ろについてゆくからと両手を動かして見せる
と「OK、OK」と言ってくれた。20kmぐらいも戻った所
に「スワジランド」の標識が立っている。
標識を写真に収めている間、空色の家族の乗った
マイカーは先のほうで待っててくれている。国境
はすぐだった。キリンとか象とか大きな看板に
描いてアフリカらしさを表わしていた。
空色のマイカーの人たちもスワジランの手続きを
している。家族にどうもありがとうございました、
と合唱のポーズ。それにしてもラッキーだったなー
南アフリカの出国手続きはパスポートにスタンプ。
カルネにはサインをするだけで簡単におわる。
次はスワジランド入国
テレビの飲み物のコマーシャルなのか、かさだかで
ないが南アフリカではわたしを見ると「オシー」
と言ってくるのでここでも「オシー」とゆうと「オ
シー」と返ってきてトタンになごやかになった。
スワジランドの入国手続きは、パスポートにスタンプ
カルネ(オートバイのパスポート)の代わりに50ランド
800円払って証明書を発行するだけのごく簡単に終
わった。入出国30分ぐらいですんだ。
国境はこうでなくっちゃ。どこでもこうであればいい
けどなー。入国1時間、出国1時間、普通二時間ぐらい
かかるから。
今3時10分、安ホテルは30km先にあると国境の人たち
が教えてくれた。サファリーパーク、キャンピングに着い
た。自分のテント泊まり50ランド(800円)緑の芝生にテ
ントを張る。
すさまじいライオンの雄たけびだった。
タンクを持った近くの住民の人たちが芝生に撒く水道
水をもらいに行ったり来たり。シャワーの水が出なかっ
たのでコップ一杯の水で顔と手を洗った。寝るまでとう
とう水が出なかったのでこれが助かった。
にわとり半分、ライス、ポテト付30ランド(480円)。
ビール7,5ランド120円これは安い。朝からパン2切れと
トマト一個しかくってなかったが、にわとり半分はさすが
に、くいおけがあった。うまかった。
(84カ国目。2007.7.12.今日も快晴のことでした.)
ライオンの轟きの歓迎
ゆうべはカミナリのとどろき音にのようなものすごい
おののきの声が響いた。ラクダだろうか、カバだろうかな
(カバは聞いたことはないが)と考えもつかない。なんだ
ろうか。
のどが渇いたようなその声は一分ぐらい続き終わりに
発する「ハフハフ」息づかいが耳元まで聞こえる。
水道の水の所まできているのだろうか。すごいおののき
は明け方まで5,6回はつづいただろうか。そのたびに目
が覚めた。
朝、掃除の女の人に、「グァーグヲウ グウアー」と言った
らライオンだとゆう。指さしたところは50m先のサクの中
エー、カメラを持って近づいた。いたいた、ふさふさの立て
髪つけたでかいライオンが。野生のライオンをはじめて見る。
それにしても、うったまげる声を出すもんだ。
テントをたたんでスワジランド、首都mbabaneババネ?に着
いた。ここまではどんどん山を上がって着いた高原。
ガススタンドで近くの安宿を聞いた。地図を描いて一生懸命に教
えてくれるが、どうもよくわからない。
給油に来た人が「俺の車でおしえてやる」みたいなことで
ニッサンクルーザーの後をついていく。10分ぐらいでついた。
ありがとう。握手して分かれる。ホテルは一泊390ランド
6400円。高すぎる、最後は4800円まで下げてきたが、時間
はまだ2時。別のホテルを探すことにした。
バス停みたいなとこで停まって、ゲストハウスの本を見てい
たら、アウディの車が停まってくれた。ゲストハウスの本を見
せて、指差したら、「OK,OK]と後をついてくるように言って
くれる。その車は早くて、ついていけない。途中テールンプを
つけて待っててくれた。「スワジランド、バックパーカーズ」の
看板のゲストハウスについた。ここがダーバンのノマズ、
ゲストハウス オーナーが紹介してくれた所だった。
アウディのお兄さんはチラッとbookを見ただけでどうして、
ここがわかったのだろうかな。次の日ここの、オーナーにもら
った名刺を見せたけど知らないと首をひねる。それにしても
ありがたかった。
ついたとたん、気に入った、明るくて居心地はよさそう。早め
にシャワーを浴びてくつろぐ。イタリア、フランス、オーストリア、
オランダ、アメリカ、ドイツ、イングランド、カナダなど12,3人泊
まってその中には日本人カップルも泊まっている。日本人は
ダーバンで留学生の青年についで3人目。
夜、食事しながら、みんなと話しているうちにアメリカの女性
が今、南アフリカはブームなのだろうか、と話していることが
日本人女性の通訳でわかった。「イヤ、違うのでは。ブッシュ大
統領の横暴さでアメリカ人は海外に行ける所は限られてしま
った。で、安全と思われる南アフリカが溜まり場になっているの
では」と答えた。彼女も納得してくれたように思えたが、私の
独りよがりかもしれない。(2007.7.13のこと)
ゲストハウス、オーナー、ショーンさん。何回も名前を聞き返すも
んだから映画俳優ショーンコネリーと覚えてと教えてくれた。
次の朝、「こんにちは」と入ってきた。ヘルメットつけて上から下まで
ライダーばっちりの姿で決めている。
うん、日本人ライダーが来たのかとかなと思ったらオーナーの
ショーンさんだった。きのう、ネットカフェの場所を教えてくれと
たのんでいたのでいっしょに走ろうとオートバイで来てくれた。
彼はオートバイのライトを付け替えるため部品の店に寄った。
私もオイルフェイルターをほしかったのでたのんで見たが、サイ
ズが合わず取り寄せになった。ネットカフィは日本語が出来るよ
うなので安心、ただ日本語が打てるかどうかはテストしなかった。
午後、スワジランド、一大イベント、女性群だけの集まり、踊りの
イベントに行った。ただっぴろい広場に1万人以上がそれぞれの
自慢の衣装は迫力があり見事なものだった。キング、マザーキ
ングの前で伝統的な踊りの披露して踊りはおしまいのようだ。
私もショーンさんに貸してもらった上半身裸の上に布を巻きつけ、
下にもマジョー?と呼ばれる布をつけて見物した。夕方4時ごろ
になると布一枚だけなので肌寒くなった。帰りにネットカフェに
寄った。部屋の中、広いテラスもなんとも優雅な雰囲気で落ちつ
いてゆっくり、ビールなど飲める所でもある。
ゲストハウスの安宿でも、こきれいに毎日掃除しされ、シャワーの
ほかに日本の浴槽のタブルーム。バスタオル、石鹸も浴槽、洗面所
においてある、トイレットペーパーはおいてない国が多いのに二つ
以上いつも用意してある。これまで高いホテルに泊まった時など
ペーパーを失敬していたがその気にもさせないものがある。
わたしが持っていた貧困で貧しいと思っていたアフリカのイメージ
は、貧しい気持ちは自分にあることをきずかされ、反省させられた
スワルランドの一日でした。
標高が高いので寒いと聞いていたが、朝方冷え込み、部屋にいると
寒く感じる。しかし外に出sると暖かく過ごしやすい。昼間は20℃cを
超えてるのではないだろうか。
(2007。7。14.今日も快晴青空 スワジランド、ゲストハウスにて)
南アフリカ&スワジランドの国境
三人の清晴
A.きょうも、動くのヤメヤメ、朝からビール飲んで
ゆっくりしよう。いつもぐうたらの清晴
B.まー、どうでもいいけど行けるところまで行っ
たら、いつも中途半端な清晴
C,決めたことだから目的まで走るべきだ。いつも
強硬派の清晴。
3人の清晴が同居している。私の一番すきなのはA。
今回はいつまでもたもたしてるんだーとCにうな
がされて、しぶしぶ出発することになった。
居心地のよかった南アフリカ、ダーバンを7月12日
朝出発する。事前にハイウエイに乗るため地図で
教えてもらっていたが走り出して5分もたたない
のに間違ってしまった。
ぐるっと回って元の宿近くに戻りガススタンドで聞
き直す。交差点をひとつ先まで進みすぎたらしい。
今度はスムーズにハイウェイに乗れた。4車線、2車
線片側一車線になっていく。ハイウェイは200kmで
終わった。120kの標識は出ているがマイペース90kの
スピードで走る。
上空から見たアフリカの大地を今走っているのだ。
道路に出ている標識が何を意味しているのかわか
らない。「給油のマーク」を見たのでテストのつもり
でガソリンを入れてみよう。
幹線から外れた3kmの所にガススタンド(ここでは
ペトロール)があった。給油2基の小さいスタンドだ
った。2回目のガススタンドでスワジランドの国境まで
94kmと教えてくれる。今12時だ。
ウン?100kmを越してる。国境がない。道路端に
止めてに後ろの車に聞こう。トラックは止まらない。
反対からきた空色のマイカーを止めて「スワジランド」
を聴くと20kmバックと。
両手の甲を差し出して「右手はあなた、左は私」あな
たの後ろについてゆくからと両手を動かして見せる
と「OK、OK」と言ってくれた。20kmぐらいも戻った所
に「スワジランド」の標識が立っている。
標識を写真に収めている間、空色の家族の乗った
マイカーは先のほうで待っててくれている。国境
はすぐだった。キリンとか象とか大きな看板に
描いてアフリカらしさを表わしていた。
空色のマイカーの人たちもスワジランの手続きを
している。家族にどうもありがとうございました、
と合唱のポーズ。それにしてもラッキーだったなー
南アフリカの出国手続きはパスポートにスタンプ。
カルネにはサインをするだけで簡単におわる。
次はスワジランド入国
テレビの飲み物のコマーシャルなのか、かさだかで
ないが南アフリカではわたしを見ると「オシー」
と言ってくるのでここでも「オシー」とゆうと「オ
シー」と返ってきてトタンになごやかになった。
スワジランドの入国手続きは、パスポートにスタンプ
カルネ(オートバイのパスポート)の代わりに50ランド
800円払って証明書を発行するだけのごく簡単に終
わった。入出国30分ぐらいですんだ。
国境はこうでなくっちゃ。どこでもこうであればいい
けどなー。入国1時間、出国1時間、普通二時間ぐらい
かかるから。
今3時10分、安ホテルは30km先にあると国境の人たち
が教えてくれた。サファリーパーク、キャンピングに着い
た。自分のテント泊まり50ランド(800円)緑の芝生にテ
ントを張る。
すさまじいライオンの雄たけびだった。
タンクを持った近くの住民の人たちが芝生に撒く水道
水をもらいに行ったり来たり。シャワーの水が出なかっ
たのでコップ一杯の水で顔と手を洗った。寝るまでとう
とう水が出なかったのでこれが助かった。
にわとり半分、ライス、ポテト付30ランド(480円)。
ビール7,5ランド120円これは安い。朝からパン2切れと
トマト一個しかくってなかったが、にわとり半分はさすが
に、くいおけがあった。うまかった。
(84カ国目。2007.7.12.今日も快晴のことでした.)
ライオンの轟きの歓迎
ゆうべはカミナリのとどろき音にのようなものすごい
おののきの声が響いた。ラクダだろうか、カバだろうかな
(カバは聞いたことはないが)と考えもつかない。なんだ
ろうか。
のどが渇いたようなその声は一分ぐらい続き終わりに
発する「ハフハフ」息づかいが耳元まで聞こえる。
水道の水の所まできているのだろうか。すごいおののき
は明け方まで5,6回はつづいただろうか。そのたびに目
が覚めた。
朝、掃除の女の人に、「グァーグヲウ グウアー」と言った
らライオンだとゆう。指さしたところは50m先のサクの中
エー、カメラを持って近づいた。いたいた、ふさふさの立て
髪つけたでかいライオンが。野生のライオンをはじめて見る。
それにしても、うったまげる声を出すもんだ。
テントをたたんでスワジランド、首都mbabaneババネ?に着
いた。ここまではどんどん山を上がって着いた高原。
ガススタンドで近くの安宿を聞いた。地図を描いて一生懸命に教
えてくれるが、どうもよくわからない。
給油に来た人が「俺の車でおしえてやる」みたいなことで
ニッサンクルーザーの後をついていく。10分ぐらいでついた。
ありがとう。握手して分かれる。ホテルは一泊390ランド
6400円。高すぎる、最後は4800円まで下げてきたが、時間
はまだ2時。別のホテルを探すことにした。
バス停みたいなとこで停まって、ゲストハウスの本を見てい
たら、アウディの車が停まってくれた。ゲストハウスの本を見
せて、指差したら、「OK,OK]と後をついてくるように言って
くれる。その車は早くて、ついていけない。途中テールンプを
つけて待っててくれた。「スワジランド、バックパーカーズ」の
看板のゲストハウスについた。ここがダーバンのノマズ、
ゲストハウス オーナーが紹介してくれた所だった。
アウディのお兄さんはチラッとbookを見ただけでどうして、
ここがわかったのだろうかな。次の日ここの、オーナーにもら
った名刺を見せたけど知らないと首をひねる。それにしても
ありがたかった。
ついたとたん、気に入った、明るくて居心地はよさそう。早め
にシャワーを浴びてくつろぐ。イタリア、フランス、オーストリア、
オランダ、アメリカ、ドイツ、イングランド、カナダなど12,3人泊
まってその中には日本人カップルも泊まっている。日本人は
ダーバンで留学生の青年についで3人目。
夜、食事しながら、みんなと話しているうちにアメリカの女性
が今、南アフリカはブームなのだろうか、と話していることが
日本人女性の通訳でわかった。「イヤ、違うのでは。ブッシュ大
統領の横暴さでアメリカ人は海外に行ける所は限られてしま
った。で、安全と思われる南アフリカが溜まり場になっているの
では」と答えた。彼女も納得してくれたように思えたが、私の
独りよがりかもしれない。(2007.7.13のこと)
ゲストハウス、オーナー、ショーンさん。何回も名前を聞き返すも
んだから映画俳優ショーンコネリーと覚えてと教えてくれた。
次の朝、「こんにちは」と入ってきた。ヘルメットつけて上から下まで
ライダーばっちりの姿で決めている。
うん、日本人ライダーが来たのかとかなと思ったらオーナーの
ショーンさんだった。きのう、ネットカフェの場所を教えてくれと
たのんでいたのでいっしょに走ろうとオートバイで来てくれた。
彼はオートバイのライトを付け替えるため部品の店に寄った。
私もオイルフェイルターをほしかったのでたのんで見たが、サイ
ズが合わず取り寄せになった。ネットカフィは日本語が出来るよ
うなので安心、ただ日本語が打てるかどうかはテストしなかった。
午後、スワジランド、一大イベント、女性群だけの集まり、踊りの
イベントに行った。ただっぴろい広場に1万人以上がそれぞれの
自慢の衣装は迫力があり見事なものだった。キング、マザーキ
ングの前で伝統的な踊りの披露して踊りはおしまいのようだ。
私もショーンさんに貸してもらった上半身裸の上に布を巻きつけ、
下にもマジョー?と呼ばれる布をつけて見物した。夕方4時ごろ
になると布一枚だけなので肌寒くなった。帰りにネットカフェに
寄った。部屋の中、広いテラスもなんとも優雅な雰囲気で落ちつ
いてゆっくり、ビールなど飲める所でもある。
ゲストハウスの安宿でも、こきれいに毎日掃除しされ、シャワーの
ほかに日本の浴槽のタブルーム。バスタオル、石鹸も浴槽、洗面所
においてある、トイレットペーパーはおいてない国が多いのに二つ
以上いつも用意してある。これまで高いホテルに泊まった時など
ペーパーを失敬していたがその気にもさせないものがある。
わたしが持っていた貧困で貧しいと思っていたアフリカのイメージ
は、貧しい気持ちは自分にあることをきずかされ、反省させられた
スワルランドの一日でした。
標高が高いので寒いと聞いていたが、朝方冷え込み、部屋にいると
寒く感じる。しかし外に出sると暖かく過ごしやすい。昼間は20℃cを
超えてるのではないだろうか。
(2007。7。14.今日も快晴青空 スワジランド、ゲストハウスにて)
スワジランドって初めて知ったばい。
何はともあれ 無事に到着されてよかった。
ここで母校のニュースば送ったいね。
7月28日から全国高校総体が、なんと佐賀県で始まります。各地の高校からアスリート達が佐賀にきんしゃて。
我が鹿島実高からは
女子バレーボール、女子弓道部、レスリング部が佐賀県代表で出場たい。
また 現在甲子園(野球)の県予選が始まっているが、2回戦、3回戦を突破、今度は準々決勝ヨ。
後輩達も頑張りおんしゃけんネ。
また書くたいね。そいぎん松尾兄も頑張って!。
年寄り・・・、いえ、年よりずっと若く見える。
やっぱり旅っていいものだね。
水島さん、エジプトに到着して、
史上初オートバイ2人乗りでのアフリカ縦断達成。
私は、チュニジア行きのチケット予約入れました。
まつおさんの満面の笑みの写真を見てほっとしたやら、うらやましいやら。
スワジランド↓って、地図を見てはじめて知りましたよ。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/swaziland/
さて、今度はどこを目掛けて行くのですか!? 次のレポを楽しみにしてまっせぇ~