一年前モロゾフコーチの提言でベートーヴェン「月光」で練習する高橋大輔くん(写真)
フィギアスケートの高橋大輔くんは、若手の台頭に供え、ショートプログラムの競技曲をベートーヴェンピアノソナタ「月光」に変えた。
この「月光」には多くの謎があります。
ベートーヴェンが当時の高橋くんと同じ歳の26歳の時から聴覚障害が起りはじめた。
すでに名声はあったが、障害はドンドン悪化するばかりである。もう、ベートーヴェンは終わった。と皆は思った。
そんな時、ベートーヴェンの大ファンで、イタリアの令嬢ジュリエッタが16歳にしてベートーヴェンに弟子入りしました。彼女は献身的に彼を励まし作品作りを手伝いました。
手伝ったというより、彼の耳になって自らピアノで作曲したのである。 そしてベートーヴェンは完全に聴覚を失ったのに、30歳の時にピアノソナタ「月光」を発表したのである。
それは今までのベートーヴェンの楽曲とは、まるで違うドビッシーのような女性的な優しい音楽であった。 当然、殆どジュリエッタが作ったもので違うのは当たり前である。
しかし営業的には、聴覚を失ってから作ったものとしてベートーヴェンの天才の伝説として大ヒットしたのである。
後のベートーヴェンの伝記では、ジュリエッタとの歳の差や身分の差で恋愛関係に悩んだとなっているが、ホントはゴーストライターがジュリエッタだったことに悩んだのである。
もちろん、彼女の名前で「月光」を出しても、どんな名曲でも女流作曲家のヒットはありえない時代だったし、彼女の名声はゴーストと消えてしまった。
まるでドビュッシーを聴いているようなベートーヴェン!(「『月光』ソナタ」/仏trianon A17.005)彼女の『月光』はまさに『月の光』です。視覚的ともいうべきこの演奏は、ベートーヴェン好きの方からは今でも眉をひそめられる。
ピアノソナタ第14番の標題である「月光」も、ベートーベンが考えたものではありません。「月光」と命名したのは、ロマン派の詩人ルートヴィヒ・レルシュタープと言われています。レルシュタープは「湖の上の小船が、月光が起した波で揺らいでいるような曲」と表現し、「月光」というタイトルがつけられることになりました。
人は感動のドラマを求める動物である。でも事実を知ったらガッカリすることもあるネ。ても全てが「運命」なんだ。
高橋大輔くんも当時モロゾフコーチとの確執があった。ベートーヴェンの「月光」を選んだのも現代のベートーヴェンの「バイオリンのためのソナチネ」を最終的に選んだのは彼だし、高橋大輔くんも、この名曲らにも何も問題はない!
我々は、彼の演技を心で感じればいいのである。
彼のソチの演技は、もうすぐである。スキャンダルでなく純粋に彼を応援しようと思う。