エアギター世界大会で2年連続日本の芸人が優勝したのは2カ月前の話題だが、日本にはエア(道具なしで、あるように演技する)パフィーマンスは伝統がある。
そう、落語だ、歌舞伎などのような、大、小道具や装置、豪華な衣装もなく、キャストも自分ひとりでキャラクターを演じわけ、滑稽物語や人情物語を話術と動作で、お客様にイメージさせる芸だ、そしてお客もイメージできる能力があるひとが落語のファンになるのである。だから脚本家、映画監督、ミュージシャン、漫画家、小説家などのクリエーターたちに落語好きが多いのは当然のことなのだ。
落語好きが頭がよいなど言ってるわけではない、空想力や想像力が噺家の話芸を何倍にも膨らませるイメージ力があるというだけだ。クリエイティブな仕事には、この才能は、とても重要だと思うけど、普通の仕事には関係ない能力、もしくは実務的効率を妨げてしまう場合もあるかもしれません。
でも経済成功者に関係ナイ能力でも人間関係を構築する人間力を養うには、私は落語はイイと思いますが、皆様いかがでしょう?
私の創作高座芸にエア落語という珍芸がある。
それは挨拶して拍手をもらい、顔をあげ、上下(かみ、しも)を振って、落語演技をします、しかし口はパクパク動いてても声や音を一切だしません。
それを1分ぐらいした後、「はっと」して、目の前の扇子をハンドマイクに見立てて、「アー、アーすいませんマイクスイッチ入ってませんでした!」(笑)というギャグである。
ポイントは実際マイクを使ってない、高座でやることである。大きなホールなどでやると音響スタッフがマジで慌てて怒られます(笑)
こんな私の芸をふざけた芸という人もいます。ハイふざけてます(笑)
しかし、このエア落語、由緒正しいフザケ芸で、古今亭志ん生が、最初に演ったらしいのです。古典落語全盛時代の昭和30年ごろ、名人師匠たちが凌ぎを削っていた時代の楽屋、「志ん生師匠、いくら名人だと言われても、言葉を一言も発せないで噺はできないだろう。」志ん生の武勇伝で当時、酔っ払って演ったり、高座で寝てしまったり、扇子、手ぬぐいをわざと忘れたりしても落語を成立させ、客を満足させた逸話があり、それから発せられた他の師匠からの会話だ。
しかし志ん生師匠は「ん、なもの出来るよ!」と高座では、一言も発せずのライバ
ル達の得意のモチネタの人情噺の場面を形態模写で表現して、拍手をとったのである。(当然、音源や映像はナイので真実は不明)
モチロン志ん生に芸があったので成立したのだが、芸のナイ私は思考錯誤してました。
するとNHKテレビのニュースで放送事故でマイクのスイッチ入れ忘れでアナンサーの口パク映像が1分ぐらい流れ、放送スタッフのドタバタが映り、どっからか手が出てきて、マイクのスイッチ入れてた。
その場面がヒジョーにマヌケで大笑いしました(笑)
そして「あ!コレだ!」と思い私のエア落語は、完成し日の目をみたのでした(笑)
開口一番など、客も演者も緊張感の高い席でやると場が一気に和む、私の開発した珍芸なのだ!(笑)
写真の師匠、話芸の力で、江戸の町民達の姿がまざまざとイメージできます。
(という、イメージです。笑)
そう、落語だ、歌舞伎などのような、大、小道具や装置、豪華な衣装もなく、キャストも自分ひとりでキャラクターを演じわけ、滑稽物語や人情物語を話術と動作で、お客様にイメージさせる芸だ、そしてお客もイメージできる能力があるひとが落語のファンになるのである。だから脚本家、映画監督、ミュージシャン、漫画家、小説家などのクリエーターたちに落語好きが多いのは当然のことなのだ。
落語好きが頭がよいなど言ってるわけではない、空想力や想像力が噺家の話芸を何倍にも膨らませるイメージ力があるというだけだ。クリエイティブな仕事には、この才能は、とても重要だと思うけど、普通の仕事には関係ない能力、もしくは実務的効率を妨げてしまう場合もあるかもしれません。
でも経済成功者に関係ナイ能力でも人間関係を構築する人間力を養うには、私は落語はイイと思いますが、皆様いかがでしょう?
私の創作高座芸にエア落語という珍芸がある。
それは挨拶して拍手をもらい、顔をあげ、上下(かみ、しも)を振って、落語演技をします、しかし口はパクパク動いてても声や音を一切だしません。
それを1分ぐらいした後、「はっと」して、目の前の扇子をハンドマイクに見立てて、「アー、アーすいませんマイクスイッチ入ってませんでした!」(笑)というギャグである。
ポイントは実際マイクを使ってない、高座でやることである。大きなホールなどでやると音響スタッフがマジで慌てて怒られます(笑)
こんな私の芸をふざけた芸という人もいます。ハイふざけてます(笑)
しかし、このエア落語、由緒正しいフザケ芸で、古今亭志ん生が、最初に演ったらしいのです。古典落語全盛時代の昭和30年ごろ、名人師匠たちが凌ぎを削っていた時代の楽屋、「志ん生師匠、いくら名人だと言われても、言葉を一言も発せないで噺はできないだろう。」志ん生の武勇伝で当時、酔っ払って演ったり、高座で寝てしまったり、扇子、手ぬぐいをわざと忘れたりしても落語を成立させ、客を満足させた逸話があり、それから発せられた他の師匠からの会話だ。
しかし志ん生師匠は「ん、なもの出来るよ!」と高座では、一言も発せずのライバ
ル達の得意のモチネタの人情噺の場面を形態模写で表現して、拍手をとったのである。(当然、音源や映像はナイので真実は不明)
モチロン志ん生に芸があったので成立したのだが、芸のナイ私は思考錯誤してました。
するとNHKテレビのニュースで放送事故でマイクのスイッチ入れ忘れでアナンサーの口パク映像が1分ぐらい流れ、放送スタッフのドタバタが映り、どっからか手が出てきて、マイクのスイッチ入れてた。
その場面がヒジョーにマヌケで大笑いしました(笑)
そして「あ!コレだ!」と思い私のエア落語は、完成し日の目をみたのでした(笑)
開口一番など、客も演者も緊張感の高い席でやると場が一気に和む、私の開発した珍芸なのだ!(笑)
写真の師匠、話芸の力で、江戸の町民達の姿がまざまざとイメージできます。
(という、イメージです。笑)