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立川談志師匠と爆笑問題大田の師弟関係!そして母。

2007-10-12 23:15:44 | 噺家風円ジョイ&師匠
本日10/12の朝日新聞の特集記事で大きく2人の対談記事が出ていたのを見た方も多いでしょうが(見てない人は自分で調べてネ)
大好きな二人の朝日新聞批判、痛快でした。大田は談志の隠し子説まであった、よく似た2人、お互いに認めあってる師弟関係にあるようです。
私は放送禁止やクレームを恐れずタブーをしゃれで切り込む2人は大好きです。自分のワガママを芸の実力で納得させる力量あっての表現活動なので、私ども素人天狗連がマネしたら生きていけないことでしょう。それでも、憧れる芸風であり生き方だ、特に談志師匠は政治のつまらなさに、あえて政界に飛び込み、しゃれが通じずバッシングされても、いいわけせずにパッと代議士、大臣次官をヤメ、シャレが売りの落語界のシャレの分からぬ協会と対立し家元制の立川流を創設したり、このパワーとセンスが超カッコイイイネ!
そんな談志師匠の高座を初めてみたのは40年前。というと私はスゴイ歳みたいだけど6.7歳の幼児の頃だ。母の実家が新宿末広亭から徒歩5分ぐらいの所にあり私のじいちゃんも当時の食通噺家さんなら皆、知ってる料理人だったので、実家の周辺にも落語家さんの気配があったような記憶があります。
よく覚えてないことが多いですが、はっきり記憶してるのは、談志師匠がたぶん真打昇進直後の末広亭の興行で母と寄席を観にいった時、そこで今も語り継がれる事件が起こったからです。(ちょっとオーバー)
当時から談志師匠は政治ネタを売りにして、しかも反政府ネタではなく、今でいう戦後レジーム勢力批判ネタを連発してました。具体的に言えば、社会党、共産党、日教組などをチャカして大バカ呼ばわりしてたんですネ!(当時の世相、大衆の雰囲気からするとスゴイ暴言)
そして私の母は、私を産む1年も前、26歳の若さで社会党から世田谷区議に出馬して見事トップ当選した元祖マドンナ議員(今ではたいしたことない)だったので
キャリアと自信を持ってた当時、末広亭の談志の落語にマジに怒り爆発して、寄席を楽しんでた僕の手を引っ張って、談志師匠に「ふざけんナ」と捨て台詞で高座の途中で出て行きました。私たち2人が退場したあとドッと笑い声が聞こえたので、師匠はこのハプニングをまたネタにして大ウケしたのでしょう。(笑)
その後、母は2度と寄席に連れてってくれなくなりました。(ホント、シャレのわからぬ女だ!笑)
そんな母も11年前に事故で亡くしましたが、せめても母のライバル(笑)の談志師匠には1年でも長生きしてほしいと思います。(笑)
今は盆と正月、私のいなかとも言える新宿末広亭に立ち寄りますが、昔の雰囲気を残しているので、昔のことを思いだす、大事な場所です。(もしかしたら談志師匠もこのエピソード覚えてんじゃないかナ。)
まさか私が今、天狗連(素人演芸)演ってるとは、母は草場の陰で嘆いてると思います(笑)    噺家風円ジョイ
 

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