
『人間は何の為に生きてるのかなって考えてる事が生きている意味だ』。とても深いが、こちらは所ジョージさんの名言だ。その所ジョージさんだが、Wikipediaで振り返ると「1955年1月26日生まれ、埼玉県所沢市出身。日本のフォーク歌手、マルチタレント。シンガーソングコメディアン」を自称し、ミュージシャン・コメディアンとして芸能界デビュー。その後、日本を代表するタレントとして複数の冠番組を持つ」とある。あまり知られていないようだが、所さんも漫画家の赤塚不二夫さんが事ある毎に紹介をしていた事から知名度が上がった人だ。その頃は知り合いのミュージシャンとして紹介していた。(当時は「所沢ジョージ」と紹介されていた。)やはり所さんも早稲田(大学)で、何故か赤塚さんの周りは早稲田大学出身の人ばかり。それが【バカ田大学】のネタ元なのは言うまででもあるまい。当時の芸能界は人の幅も広かったのだ。現在はその辺が狭く、人材の狭さの原因を調べてみたいものだ。話は変わるが、昨日帰宅後は、気になっていたVictorのカセットデッキのピッチ調整をした。そこでモヤモヤしていた事は、ようやく片付いた。尚、調整は昨日に紹介した方法だ。これはドライバー1本で直るので、ちょっと機械に自信のある人は、割と手軽に出来るのでやってみるが良い。それと手持ちのLo-Dのカセットデッキがモーターの交換だけで使えるので、Amazonに発注をした。このカセットデッキは廉価機だが、矢鱈と音が良いのだ。届き次第取り換えよう。現在はそんな処だ。

さて昨日、放送の「金スマ」(TBS)で、今年の6月21日に亡くなった振付師でダンスプロデューサーでもあり、演出家の夏まゆみさんを追悼していた。(余談だが、最近は振付師の事を「コリオグラファー」と言うそうだ。知らなかった。)その夏まゆみさんと言えば「モーニング娘。」の振付で知られていた。なので『Loveマシーン』の振付も当然それで、久々にそのMVを観たが、あの「日本の未来は世界が羨む」のフレーズが当時から耳に残り、「本当にそうなればいいな?」と思ったものだ。その希望が「民主党政権」崩壊後の自民党中道左派政権の【第二次安倍内閣】だったのだが、中共政府の政治工作が災いし、解散の憂き目に遇ってしまった。それで繋ぎの菅義偉内閣を経て「岸田内閣」が発足したが、すっかり親中派政権になってしまった。米国のバイデン政権もそれなので、現在の強硬な対中路線も、所詮は田舎のプロレスで「予定調和」ありきとしか思えない。果ては、安倍内閣でようやく付けた「日韓歴史問題」の折り目を覆し、その上、民主党政権でコケた「人権保護法案」が、形を変えただけの【LGBT理解増進法】を施行。更には大増税だ。これでは幾ら賃上げしても、取られる税金も増えては元の木阿弥だ。「少子化対策」として手当てを厚くするそうだが、そんな一時金よりは、安心して結婚し、子供を産める経済力を国民につける経済対策が必要だろう。だが庶民意識を知らない政治家には、その感覚さえ無いだろう。【所得倍増計画】は、庶民の生活レベルに余裕を持たせるのが目的だった筈だ。その池田勇人総理は「宏池会」初代会長。岸田文雄氏は現会長である。岸田総理は、やはり経済センスが無いようだ。外交も然り。これでは日本は豊かにならず、国益も度外視である。
野党、衆院候補者調整進まず 立民代表提唱に各党冷ややか
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023081600572&g=pol
福島処理水の放出禁止請求、韓国地裁が却下 「訴えは不適法」
https://www.sankei.com/article/20230817-NSZ4DBHMC5JEVBCXFCPKQSPNUU/
後は野党だが、「立憲民主党」の凋落振りが酷く、やはり衰退した「日本共産党」と良い勝負だ。国民は左翼アレルギーなのだ。その原因は【民主党政権】だが、倒閣後も気持ちを改めず、未だに同じ事ばかりを続けていれば、当然、国民もいい加減に匙を投げるだろう。特亜諸国への外交姿勢も、あれだけ甘ければ、そりゃあ不安にもなる。日本共産党が「民主主義を守れ!」と言うのも滑稽だ。もう国民からは見透かされているのだ。そこで漫画家の倉田真由美さんのTwitterだ。こんな事が書かれていた。
「戦争反対」といえば「攻められたらどうするんだ」「お花畑」「俺は家族を守るために戦う」という言葉が返ってくることがある。
— 倉田真由美 (@kuratamagohan) August 15, 2023
なんと言われても絶対反対、これは変わらない。攻められたらというが攻められないようにするのが先だ。お花畑でいい。そして、家族を守るために戦わないんだ。
自身で論破してるが、気がつかないのだろうか?「攻められたらというが攻められないようにするのが先だ」と。結局は戦わないと守れないのだ。しかしながら「家族を守るために戦わないんだ」としている。つまり自分さえ助かれば良いのだ。肯定の為の否定だ。「守るために戦わない」とは見捨てたも同然だ。「戦争が始まったら【無条件降伏】をすれば良い!」と断言した映画監督も居るが、「「無条件」の意味を知っているのか?」と恐ろしくなる。これで自身が助かると思っているのだろうか?国家の主権を捨てるので、国民の生命、財産も守れなくなるが、その状況でも、自身には何も影響がないと思うのも解らん。それに加担した工作員は真っ先に粛清されるだろう。役目が終わったからだ。この手の人は、物事を深く掘り下げて考える事は出来ないのだろうか?そんな疑問ばかりが浮かぶ。