ボナさんの北海道の釣り三昧II(休養中)

投げ釣り主体に北海道の沿岸に出かけます。夏にはフナや鯉釣りも。

船上げ場考察

2012-11-12 12:17:07 | 釣り
江戸時代から、北海道では船上げ場は海岸の縄張りの象徴でした。本州から北海道に漁師が移民でやってきても海岸の土地は手に入れることはできませんでした。当別に移り住む前に宮城県岩出山藩から移住してきた仙台藩支藩の武士達は、新政府によってシップの砂浜に住みましたが、農地は砂混じりで耕作に不適な土地、おまけに海岸線は石狩や厚田の漁師の縄張りで漁はできませんでした。

海に囲まれた北海道で釣りをやる以上、このような海岸の利用者には歴史のある縄張りがあるという背景を知っておかねばなりません。下水を造るのでさえ、何十年という確執があり、結局下水を境に浜益と増毛の境界線が造られました。高校時代の友人の実家にはこの下水が家の横を流れています。古くは増毛に移住した秋田藩士と浜益の土地区画を整備した山形庄内藩の争いでもありました。二つの藩は、列藩同盟の仲間でしたが、秋田が脱退し戊辰戦争時に両藩は長い争いを繰り広げ「敵(鹿児島と鶴岡は姉妹都市)は許せるが、裏切った友(秋田)は許せない」という関係になったのです。

主にニシン漁(たて網)の枠船からニシンを運んで来て岸に運び上げる役割が大きく、深みのある場所を選んでいましたが、財力にものを言わせて岩場に発破をかけて船道を築いてもおりました。この名残が遠浅の海である噴火湾のそこかしこに見られます。大干潮の夜にブルで砂をプール状に掘ったり、一夜でテトラで境界線を築いています。ブルが入って行けるように海底に小砂利の道を造っています。水面の下の道を知っている釣り人の中には立ち込んで釣っている方もおります。

今はやりのウエブのマップでデジタルのものは、海の中の掘った溝やプールの在り処を示すものもあります。適当に境界線は造られていないことを知ると、次に目的地をマップで確かめます。地学的に境界線となる増設物の中間は深いのですが、何処に向かって竿を投げるかです。問題の増設物の先は歴史の産物であることを確かめるのです。歴史の産物とは、プールであったり、岩礁である場合が多いのです。秋は、拾い歩きの季節です。優雅に歴史の散策を楽しんで診てください。地元の漁師と仲良くなって話を聞くことです。「あそこは広いがうちの方が根があるしコンブもついていて釣れる」隣同士は仲が良いとは限りませんので注意して下さいね。