@niftyからメールが来ました。「入会14周年ありがとうございます」ですと。そういえば14年前の夏のボーナスでモデムとフロッピー付のWtermの本を買ってパソコン通信を始めたのでした。その時はまだNIFTY-Serveでしたがあるフォーラムを見たくて入会したのでした。当時は青森に住んでて仕事関係以外に知り合いはいなかったため、パソ通を始めたときは部屋の中に15インチのどこでもドアが出来たような感じで凄くワクワクしたのをいまだに覚えてます。フォーラムというのはmixiでいうコミュニティにあたるようなものといえば、若い人にはわかりやすいでしょうか?
最初に入会したフォーラムでは書き込みに関するルールとかマナーが結構厳しかったので、「NIFTY-Serveバイブル」なんかも熟読してなんとか対応してたという感じ。私なんぞ2400bpsのモデムで通信を始めたというか、当時は青森のアクセスポイントはほぼそれしか対応してなかったのですが、これがどういう感じかというと書き込みが一行ずつ流れていくのが読めるくらい。
そういう環境でしたので、書き込みに関するルールやマナーに関しては「全角40字くらいで適当に改行を入れること」「改行位置は揃えよ」「返信の際の引用は最小限に」「機種依存文字は使うな」などがありました。当時はMS-DOSのパソコンがほとんどでしたが中にはMacでもやってる人もいて互換性が厳しかったし、さらに接続1分につき10円とかいう料金体系だったので長い引用をすると文章が長くなったり、読めないような発言をあらためて書き直されると読む方に経済的負担がかかるということで。
あとは、一応公共の場という事で「情報をアップする場合は情報源を明示せよ」なんてのもうるさく言われました。これは当然といえば当然ですが、パソ通がすべてインターネットに塗り変わった昨今そんな事をいう人はいなくなったような。
当時のNIFTYの会員というと50万人くらいだったでしょうか? 今のネット人口からすると考えられないのですが、それでも初めて書き込みするときはドキドキものでした。オフラインでエディタで書いて接続してからアップするというのが必須でしたが「途中で回線が切れたらどうしよう…」なんて感じで。そういう事情だったのでチャットも緊張感バリバリ。最初は一行入力でやってたのがCA(チャットアダプタ)というのを導入してからは20人いようが30人いようが楽勝になったというのは鮮明に覚えてます。100人以上のチャットというのもありましたが「誰か入って来たからって全員でいちいち挨拶するなー!」とか言われたのも今では楽しい思い出です。
もうパソ通自体がなくなったのでNIFTYのフォーラムというシステム自体が既にありませんが、最近聞いた話では私が最初に入ったフォーラムがmixiのコミュニティとして復活してるとか。それも当時のシスオペが立ち上げて。「どうしようかなぁ、覗いてみようかなぁ」と思いつつ「でも今更なぁ」という気持ちも強いです。mixiの中途半端な閉塞感とぬるい感じが好きではない事もあるのですが。
そういえば、私がパソ通を始めた14年前にテレビで見たドラマ。南果歩さん主演でチャットで知り合った男女の微妙な関係がテーマでしたが、そのチャットの始まりの場面。彼女はいつも「Knock、Knock」と言って(というか書いて)チャットに入るんです。彼女のハンドルは「銀のさじ」だったのですが「Knock、Knock 桜の花が咲いています」「おや、銀のさじさん、こんばんは」なんて感じで。だから私はチャットに入るときはそうやって書かねばならないと思ってました。まぁそんな人は見たことありませんが。
さてこの14年間でネット環境は大きく変わりましたが、私自身は変わったような変わらないような。一番変わったのは文章書くのが速くなったという事でしょうが、チャットの技術は退化してるような。とはいえ、元々NIFTY-Serveは「チャット」じゃなくて「RT(リアルタイムトーク)」なのでした。まぁいいですけど。
最初に入会したフォーラムでは書き込みに関するルールとかマナーが結構厳しかったので、「NIFTY-Serveバイブル」なんかも熟読してなんとか対応してたという感じ。私なんぞ2400bpsのモデムで通信を始めたというか、当時は青森のアクセスポイントはほぼそれしか対応してなかったのですが、これがどういう感じかというと書き込みが一行ずつ流れていくのが読めるくらい。
そういう環境でしたので、書き込みに関するルールやマナーに関しては「全角40字くらいで適当に改行を入れること」「改行位置は揃えよ」「返信の際の引用は最小限に」「機種依存文字は使うな」などがありました。当時はMS-DOSのパソコンがほとんどでしたが中にはMacでもやってる人もいて互換性が厳しかったし、さらに接続1分につき10円とかいう料金体系だったので長い引用をすると文章が長くなったり、読めないような発言をあらためて書き直されると読む方に経済的負担がかかるということで。
あとは、一応公共の場という事で「情報をアップする場合は情報源を明示せよ」なんてのもうるさく言われました。これは当然といえば当然ですが、パソ通がすべてインターネットに塗り変わった昨今そんな事をいう人はいなくなったような。
当時のNIFTYの会員というと50万人くらいだったでしょうか? 今のネット人口からすると考えられないのですが、それでも初めて書き込みするときはドキドキものでした。オフラインでエディタで書いて接続してからアップするというのが必須でしたが「途中で回線が切れたらどうしよう…」なんて感じで。そういう事情だったのでチャットも緊張感バリバリ。最初は一行入力でやってたのがCA(チャットアダプタ)というのを導入してからは20人いようが30人いようが楽勝になったというのは鮮明に覚えてます。100人以上のチャットというのもありましたが「誰か入って来たからって全員でいちいち挨拶するなー!」とか言われたのも今では楽しい思い出です。
もうパソ通自体がなくなったのでNIFTYのフォーラムというシステム自体が既にありませんが、最近聞いた話では私が最初に入ったフォーラムがmixiのコミュニティとして復活してるとか。それも当時のシスオペが立ち上げて。「どうしようかなぁ、覗いてみようかなぁ」と思いつつ「でも今更なぁ」という気持ちも強いです。mixiの中途半端な閉塞感とぬるい感じが好きではない事もあるのですが。
そういえば、私がパソ通を始めた14年前にテレビで見たドラマ。南果歩さん主演でチャットで知り合った男女の微妙な関係がテーマでしたが、そのチャットの始まりの場面。彼女はいつも「Knock、Knock」と言って(というか書いて)チャットに入るんです。彼女のハンドルは「銀のさじ」だったのですが「Knock、Knock 桜の花が咲いています」「おや、銀のさじさん、こんばんは」なんて感じで。だから私はチャットに入るときはそうやって書かねばならないと思ってました。まぁそんな人は見たことありませんが。
さてこの14年間でネット環境は大きく変わりましたが、私自身は変わったような変わらないような。一番変わったのは文章書くのが速くなったという事でしょうが、チャットの技術は退化してるような。とはいえ、元々NIFTY-Serveは「チャット」じゃなくて「RT(リアルタイムトーク)」なのでした。まぁいいですけど。