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レコード大賞と私

2016年11月25日 | 日記・雑記・ただの戯言
 レコード大賞は貰ったことも出たこともありませんが、年末はなんとなく見てしまいます。一体いつからレコード大賞を意識したかというと、受賞曲で記憶があるのは「ブルーシャトウ」。ただし、記録を見るとこれは私が4歳のときなので、レコード大賞受賞の瞬間などは見てないはずで、その後ずっと流行ってたから記憶してたのでしょう。替え歌も流行ったし。

 周囲で「今年のレコード大賞は誰か?」というのが話題になったのは1973年。大賞は五木ひろしだったのですが、当時の担任の先生が「森進一が取るんじゃないか?」と言ったら、みんな「え~、五木ひろしじゃない?」とか言ってたのを記憶してます。今の世の中世間でそういう話は出ないですよね。そもそも売れてる曲じゃなくて、レコード会社とか芸能プロダクションの力関係で語られたりするし。

 子供の頃は単純だったので、レコード大賞というからにはレコードが一番売れた曲が大賞を取るものだと思ってました。だから「なんで投票なんか必要なの?」とか。1975年は布施明の「シクラメンのかほり」かジュリーの「時の過ぎゆくままに」かどっちかという話でしたが、ジュリーが駅員かなんかといざこざを起こして事件になって「大賞はちょっと…」という話が出たとき、「事件があっても売れた方がとるんじゃない?」と思ってたくらいで。

 歴代の受賞者を見てると、私が多少関心を持って見てたのは1986年の中森明菜くらいまで。それ以降は就職しててあんまり歌番組見てなかったせいもあるかもしれませんが、マッチとか光ゲンジがとるようになるとどうでもよくなったのかも。

 大賞以外で話題になるのは新人賞ですが、1973年に桜田淳子が最優秀新人賞を受賞した際にブーイングがあった記憶があります。その年の顔ぶれは桜田淳子(わたしの青い鳥)、浅田美代子(赤い風船)、安西マリア(涙の太陽)、あべ静江(コーヒーショップで)、アグネス・チャン(草原の輝き)で、世間一般のヒットの度合いで言うとうちの親などはアグネス・チャンが取るとばかり思ってたようで。

 あとは疑問だったのは1976年。新人賞は、内藤やす子、芦川よしみ、角川博、新沼謙治、ピンクレディーの5組でした。当然「芦川よしみって誰?」と思った人も多く、当時の審査員のコメントでは「将来性に期待した」と言われましたが、「え~将来性で賞あげるの?」と思ったり。当時中1でしたが、この頃から完全に疑問を持つようになりました。

 悔しかったのは1978年ですが、新人賞のノミネートは石野真子、さとう宗幸、渋谷哲平、中原理恵、渡辺真知子。「なぜ石川ひとみが入らん!」とか怒ったのですが、のちに芸能プロダクションとかそういうのに詳しい知り合いから「あれはジュリーに最優秀歌唱賞を取らせるため、渡辺プロがバーターで譲った」とか聞かされました。もちろん本当かどうかは知りません。

 と、考えれば考えるほど、レコード大賞について熱く語ることがなくなったと思う次第。「わしら、どこで道間違えたんかのぉ」という「仁義なき戦い」の菅原文太のセリフを思い出します。