真夜中の2分前

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つまるところ、アベノミクスは成功なのか失敗なのか

2016-07-06 19:11:55 | 政治・経済
【デフレからの脱却=物価上昇を目指してきてその目標が果たせていないのだから、アベノミクスは総合的には失敗である。実質賃金のプラスも、その失敗の結果としてそうなっているにすぎない】


 いよいよ、アベノミクスに対する評価に関する議論が盛んになってきている。
 安倍総理は、しきりにその成果を強調している。
 まあ、当然といえば当然ではあるが、しかしこれには、「そんなに経済がよくなってるならなんで消費税増税を延期したんだ」というツッコミが入っている。

 以前も一度書いたが、経済指標というのはたくさん存在している。
 だから、いいところだけ集めてくればうまくいっているようにも見えるし、悪いところだけ集めてくれば失敗しているようにも見える。
 安倍総理はいい数字だけを集めて紹介しているわけだが、反対に悪い数字だけを集めてくればこんなふうにもなる、という例を以下に紹介しよう。

・実質賃金は5年連続でマイナス。
・格付け会社フィッチが、財政再建の見通しが立たないとして、日本国債を「弱含み」と評価。
・2年連続で個人消費減。これは戦後初。
・企業物価も2年連続でマイナス。15年度は、09年度以来の下げ幅。
・今年4月の内閣府の世論調査で、景気が悪化していると答えた人がおよそ3割。すべての選択肢のなかで最大の下落幅。
・同じく今年4月の日銀調査の「一年後の景況感」が、3四半期連続で悪化し、3年3ヶ月ぶりの低水準。
・生活保護受給が過去最高水準。
・非正規雇用が4割超え。
・大企業の景況感は今年に入ってから2四半期連続でマイナス。


 悪い数字だけ集めてくれば、こんな感じである。
 こうして悪い数字だけ集めてみればわかるように、安倍政権がやっているのは、いい数字だけを集めてくるというイメージ戦略にすぎない。

 さらに、テレビの討論番組などではそれほど突っ込んだ議論はできないということも安倍政権はたくみに利用している。
 時間的な制約もあるし、無数にある経済指標のなかの一つの数字をふっと出されても、よほどの経済の専門家でもないかぎり、その場で的確な批判を加えるのは難しい。このことを利用して、一面的な数字、必ずしもいいデータとはいえないような数字を紹介して、なにかうまくいっているかのようなイメージを作る――いわば「言い逃げ」をしているようにみえる。
 そこで今回は、そういう議論のある数字のいくつかを検証してみたい。

■実質賃金が上がっている?
 実質賃金については、直近の3 ヶ月ではプラスになっていると安倍総理はいっている。
 たしかにそのとおりだ。
しかしこれは注意が必要だろう。実質賃金というのは相対的なものであり、その数字だけをみても、いいこととも悪いことともいえないのだ。

 当ブログで以前一度書いたが、実質賃金は物価上昇と深いつながりがある。
 同じ賃金でも物価が上昇すれば実質賃金は下がるし、物価がマイナス、もしくはあまり伸びなければ、賃金がほとんど変わらなくても実質賃金は上昇する。
 つまり、実質賃金の上昇は、物価上昇の伸びが抑制されることでも起きる。そして、いま起きているのはそっちのほうではないかという指摘があるのだ。

 統計の数字をみると、今年に入ってから物価上昇率は横ばい、ないしはマイナスという状況が続いている。
 これは、急激な円高や原油安によるものだ。
 円高は輸入品の価格を下げるし、そこに世界的な原油安が重なってガソリンなどの値段もかなり下がった。物価上昇が鈍化、下落したことによって賃金の伸びがそれを追い越して実質賃金が上昇したとみるのが妥当である。

 もしそうだとすると、これは安倍政権にとって誇れることではない。
 なぜなら、安倍政権は一貫してデフレからの脱却=物価上昇を目指してきたのであり、物価の伸びが抑制されているということはそれが失敗したということにほかならないからだ。実質賃金の上昇は、アベノミクスにとっては“失敗”なのである。

 かといって、もちろん実質賃金がマイナスになればいいというわけではない。
 問題なのは、物価上昇率だ。
 あくまでもアベノミクスの理論にしたがえば、という前提での話だが、アベノミクスが成功したといえるのは「物価上昇率が2%ほどにもなっているので、賃金も伸びていはいるものの、物価に追いつかず実質賃金のマイナスが続いている」という状況になったときだ。
 では実態はどうかというと……
 昨年の物価上昇率はたったの0.5%ほど。
 目標としている2%にはほど遠い数字だ。
 にもかかわらず、賃金の伸びはそれよりも低く、結果としてはその0.5%を追い越すことができず、実質賃金がマイナスになったのである。
 そして、今年に入ってからは、消費者物価指数は一度もプラスになっていない。その間、実質賃金のほうはプラスになってきた。この関係を考えれば、物価上昇の鈍化・下落が実質賃金を押し上げているのはあきらかである。
 つまり、安倍総理が「実質賃金がプラスになっている」と喧伝するのは、「アベノミクスはこんなにも失敗してます」とふれてまわっているに等しいのだ。

 ついでに物価上昇率の目標値のことをもう少し書いておくと、「2%」という目標は、もう4度も先送りされている。
 当初2年で達成するとしていた目標は、最新の先送りでは「17年度中」に達成とされた。2年でやるといっていたのに、いつの間にか5年かかることになっている。しかも、それでもなお達成できるかどうかはかなり疑問で、日銀の審議委員のなかからも「目標達成は18年度でも不可能」という声が出てきているのが実態だ。

 つまり、先ほど述べたような「物価上昇率が2%ほどにもなっているので、賃金も伸びていはいるものの、物価に追いつかず実質賃金のマイナスが続いている」という状況とはまったくかけ離れた現実が目の前にある。
 いまの日本経済がそうなっていないのはあきらかだし、アベノミクスを始めてからこれまでにそうなったこともないし、おそらくいまの財政・金融策を続けていってもそうなることはあるまい。いま「ヘリコプター・マネー」なる政策(と呼ぶのもためらわれる代物だが)がかなり真剣に検討されているらしいが、ヘリコプターでカネをばらまくようにして世の中に大量のカネを供給するというばかげたことを考えなければならないぐらい、アベノミクスはどうしようもなく失敗して手詰まり状態に陥っているのだ。


■家計支出は減少し続けている
 いっぽうで、家計支出は減少が続いている。2月はプラスになっているが、これはうるう年で一日多かったことが大きく、そのぶんを差し引けば実質的にはマイナスとされている。
 問題はここだ。
 安倍総理の主張する「経済の好循環」とは、

 「景気がよくなる」→「賃金が上がる」→「消費が増える」→「景気がさらによくなる」

 というものである。
 しかし、実質賃金があがっても家計支出は増えていない。消費者が守りに入っていて、支出をしぼっているからだ。つまり、好循環など起きていないのである。
 いま実際に起きているのは、

 「消費が増えない」→「景気は足踏み」→「企業はやむなく値下げ」

 という、アベノミクスのいわゆる「好循環」とはまったく逆の「悪循環」だ。
 そして、先述したように、実質賃金のプラスもこの「悪循環」の一環としておきていることなのである。それを安倍総理がみずからの手柄であるかのように吹聴するのは、無節操というよりほかない。


■税収が増えた?
 また、よくアベノミクスの成果としていわれる税収増にしても、東日本大震災などで落ち込んでいた税収がもとに戻ったということと、消費税増税で増えたぶんがほとんどであり、アベノミクスのおかげではないという指摘もなされている。

 そのいっぽうで財政支出は膨らみ続け、日本の財政状況は好転の兆しがみえない。
 消費税増税を再び延期したことで、財政再建はさらに遠のいたと海外からはみられている。たとえばウォールストリートジャーナルは、再延期の判断を「役に立たない一時的救済」と切って捨てている。

 特に今回の延期は致命的だ。
 「次は必ずやります」とあれだけ断言しておいての二度目の延期だから、もうオオカミ少年状態で、30ヵ月後に本当にやるのかと疑われてもやむをえない。できるかどうかはっきりしないことを軽々しく断言するリスクを理解していないというもの、安倍総理の大きな問題点だろう。


■有効求人倍率が24年ぶりの高水準?
 これについては、たしかにそのとおりだろう。
 人口減や団塊世代の退職による求職者数自体の減少を考慮すべきという声もあるが、求人数自体も過去最高の水準になっているから、雇用状況が改善しているのは数字の上ではたしかである。
 しかし、この数字にも注釈が必要だ。
 実は年単位でみると、有効求人倍率は6年連続で上昇している。
 つまり、旧民主党政権時代から上昇が続いているのである。そのことを考えれば、本当にこれを現政権の手柄といえるかどうかは疑問だろう。
 グラフにしてみればよくわかるが、有効求人倍率は、リーマンショックで大きく落ち込んだあとに6年間ほとんど同じ傾きで一直線に上昇し続けている。現政権になってから急上昇しているというようなこともない。上昇のトレンドがずっとあって、現政権になってからもそれが続いているだけ――ともみえる。
 さらに、非正規雇用が4割を超えたという事実も見過ごせない。
 一般的に正規雇用より賃金が低い非正規雇用の増加は、あきらかにデフレの方向をむいている。ここでも、「好循環」とは反対のことが起きているのである。


■格差の拡大
 また、全体の平均をとると見落とされてしまうのだが、格差の拡大という問題もある。
 賃金が全体で増えていても、一部の人が上がっていて、その他大勢が上がっていなかったとしたら、それは「好循環」には結びつかない。おそらくは、個人消費の伸び悩みの背景にはこの格差の問題もあるだろう。
 アベノミクスのもとで格差が拡大していくメカニズムについては、以前このブログでも紹介した。円安が進めば、製品を海外に輸出する企業は利益が出やすくなるが、そのいっぽうで、一般消費者は輸入品の価格が上昇することによって負担が大きくなる。こうして、企業は空前の利益を上げるが一般人は生活が苦しくなり、格差が拡大していく。輸入の数量自体が増えていない状態でこうなると、実質的には、一般家計のお金が企業の側に吸い上げられているだけということにもなってしまう。


■総合的にみてアベノミクスは失敗
 以上のことを総合的に考えて、私の結論は「アベノミクスは全体としては失敗」である。
 アベノミクスのよって立つ理論は、インフレ期待の醸成、物価上昇、デフレからの脱却ということであり、その根幹である物価上昇が達成できていない以上、ほかの数値が多少よくなっていようと失敗といわざるをえない。
 また、当ブログでかつて指摘したとおり、アベノミクスには「通貨の信認を損なう」という大きなリスクがひそんでいる。いまのやり方をずっと続けていくことに、リスクがないわけではないのだ。
 そして、いまのやり方を続けていっても、ほとんど効果は期待できない。“異次元の金融緩和”を延々やり続け、マイナス金利を導入しても、物価はいっこう上昇する気配をみせていないのだから、それはあきらかだろう。アベノミクスは、もう潮時とみるべきだ。

パンドラの箱――集団的自衛権行使事例を検証する(NATOによるアフガン侵攻)

2016-07-06 18:11:02 | 集団的自衛権行使事例を検証する
【集団的自衛権は、世界を平和にも安全にもしない。泥沼の紛争を引き起こし、テロや難民といった難題を生じさせるだけだ。アフガニスタンは、その象徴的な例である】


 集団的自衛権行使事例として、今回は2001年のNATOによるアフガン侵攻を取り上げる。
 アフガニスタンについては、旧ソ連が侵攻した例もあるが、それについてはすでに書いたので、今回はNATOのケースを中心に扱う。


■もっともわかりやすい失敗例
 このケースについては、あらためて経緯を説明するまでもあるまい。
 2001年、アメリカで同時多発テロが発生した。これを、タリバンが支配するアフガニスタンによる攻撃と断定したアメリカは、アフガニスタンへの報復攻撃を決定。それを手助けするかたちで、NATOも攻撃に加わった。これが、集団的自衛権の行使として報告されている。

 コンゴ紛争の例などに比べれば、これは本来の集団的自衛権に近いといえるだろう。

 集団的自衛権は、しばしば「Aという国がBという国から攻撃された際にCという第三国が、自分が攻撃されたとみなしてBに対して反撃すること」というふうに説明される。
 実際にはそのような形で行使されることはほとんどなかったわけだが、このアフガンのケースは一応そういう構図になっている。そういう意味では、この事例は「集団的自衛権」というものの本来のあり方といえる。

 しかし、ここであきらかになるのは、本来の“正しい”使われ方をしても、やはり集団的自衛権は害悪しかもたらしていないということだ。

 NATOがアフガンを攻撃したことによって、世界は安全になっただろうか?
 イエスだといえる人はいないだろう。
 むしろ、こうして中東を攻撃したことが、ヨーロッパでイスラム過激派によるテロを引き起こす一つの理由となっているし、難民問題にもつながっている。難民問題はイギリスのEU離脱の原因の一つともいわれている。集団的自衛権を行使したことは、NATO諸国を危険にし、不安定にしただけである。


■ドイツの失敗
 アフガン侵攻は、NATOがその結成以来はじめて集団的自衛権を行使した事例だが、ドイツにとっては戦後はじめての域外派兵でもあった。
 それまでのドイツは、憲法にあたる基本法で域外派兵を禁じていたのだが、解釈変更によってそれを可能にした。
 これは、日本が憲法の解釈変更によって集団的自衛権行使を可能にしたのと似ている。そのため、ドイツのアフガン派兵は、日本の今後を占う先例ともみられている。
 
 そういう観点からみれば、日本が集団的自衛権行使を容認したということは、大きな過ちとしか考えられない。
 ドイツは、後方支援や治安維持活動などに限定してアフガンに軍を派遣したが、結局は戦闘に巻き込まれる例も起こり、結果として55人の犠牲者を出した。“後方支援”に限定したはずが、実際には6割が戦闘に巻き込まれての“戦死”だったという。

 そもそも、アフガニスタンに対する「報復」という不毛な戦争である。
 その不毛な戦争に派兵し、少なからぬ死者を出し、結果として自国をテロや難民流入のリスクにさらすことになった。これを失敗といわずしてなにを失敗というのか。
 日本がもし集団的自衛権を行使したなら、ドイツと同じように泥沼に足を踏み込むことになりかねないのである。


■集団的的自衛権は、それに関与したすべての国に害悪をもたらす
 集団的自衛権には、最低でも三つの当事者が存在する。
「Aという国がBという国から攻撃された際にCという第三国が、自分が攻撃されたとみなしてBに対して反撃すること」というときの、A、B、Cの三つである。今回のケースでいえば、Aがアメリカ、Bがタリバン政権、CがNATOということになる。
 そのうち、NATOとアフガニスタンについて書いてきたが、ではアメリカはどうか。
 アメリカは、NATOによっていわば助太刀してもらったかたちだが、ではそれでアメリカはアフガン戦争によってなにかいいことがあったのか。
 これも、そんなことはないだろう。
 アメリカは、アフガンという泥沼に足を突っ込んで、今でもそこから抜け出せずにいる。
 オバマ大統領はアフガン戦争の終結を公約にかかげていたが、結局のところ任期中にアフガンから米軍を撤退させることは断念した。アメリカは、アフガンが無秩序の混沌に陥らないために、今なお軍を駐留させざるをえないのである。それがアメリカに大きな負担を強いていることはいうまでもない。


■集団的自衛権は紛争を拡大・泥沼化させる
 「最低でも三つの当事者が存在する」と書いたが、それはあくまで「最低でも」である。
 実際には、もっと多くの当事者が関与する場合がある。
 つまり、「Aという国がBという国から攻撃された際にCという第三国が、自分が攻撃されたとみなしてBに対して反撃する」ということをした場合、さらに「D」という四番目の当事者が、かなりの高確率で現れる。AにCが助太刀をすれば、それに対抗してBの側にもDという助太刀が入る。こうなることによって、当事者が増え、紛争は長期化・泥沼化していく。これは、これまでにみてきた実際の事例で頻繁に見られたことだった。

 今回のアフガニスタンのケースでも、変則的な形ながら、それは起きた。
 イスラム過激派勢力が、アフガニスタンの外から流入してきて、NATO軍に対抗し始めたのである。
 それによって、やはりこの戦争も泥沼化した。
 NATO側は、多いときには十万人以上の兵を駐留させていた。それにたいしてアフガンのゲリラは、多くても3、4万人ほどといわれている。数の上でも、装備の質においても、NATO軍はゲリラを圧倒していた(当たり前だが)。にもかかわらず、ゲリラを殲滅することはできず、アフガニスタンは、もう手の施しようもないぐらいきわめて不安定な状態に陥ってしまった。

 私が考えるに、「集団的自衛権によって安全が保障される」という主張が見落としているのはここだ。
 集団的自衛権を論ずる本では、ここで書いたような「A国、B国、C国……」というようなシミュレーションがよく出てくるのだが、彼らのシミュレーションは、たいていの場合Cまでで終わってしまっている。D以降が出てくるとしても、それは「Bから攻撃されたA以外の国」としてである。Bの側に助太刀が入るという可能性が見落とされているのだ。
 だから、彼らの集団的自衛権容認論は、現実に起きていることからかけ離れたものになる。
 実際には、集団的自衛権が行使されれば、かなりの確率でDという第四の当事者が介入してくる。ベトナム、チャド、アンゴラ、コンゴ、タジキスタン、そしてアフガニスタンなどで、そういう現象が見られた。こうして当事者が増えることで、紛争は拡大・泥沼化し、収拾のつかない状態に陥る――それが、歴史上の実例からみえてくる集団的自衛権の現実である。


■パンドラの箱
 アフガニスタンは、二度にわたって集団的自衛権行使の舞台となった。
 一度目のソ連による侵攻では、それによってはじまった十年以上にわたる泥沼の戦争の末に、タリバン政権というイスラム過激派政権が誕生するという結果に終わった。
 そのタリバン政権がアメリカを攻撃したことによって二度目の戦争が起きたが、ここでもやはり、勝者なき泥沼の戦いに陥った。それに関与した国を平和にも安全にもすることなく、多くの死者を出しただけである。
 そういう意味では、アフガニスタンという国は、集団的自衛権がいかに危険で無益なものかということの象徴といっていい。
 集団的自衛権とは、泥沼の紛争と、その結果としてのテロや難民といったさまざまな問題が飛び出すパンドラの箱を開く鍵でしかないのである。