真夜中の2分前

時事評論ブログ
「真夜中の5分前」→「3分前」→「2分前」に

がんばれ、T-ns SOWL!

2015-11-09 16:54:32 | 安保法廃止を求める抗議行動
 11月8日、東京・原宿で高校生の団体T-ns SOWLが、安保法廃止を訴えるデモを行った。主催者発表で1千人が参加し、共産党の志位委員長や、民主党の蓮舫氏も駆けつけたということである。

 福岡に住んでいる私はそれに参加するというわけにはいかなかったが、その様子はT-ns SOWLのツイッターの公式アカウントなどで見ることができる。こうして若者達が行動を起こしていることに、ひとまずエールを送りたい。T-ns SOWLにかぎらず、高校生や大学生といった若い世代が、こうして平和主義・立憲主義を擁護するために活動しているというのは、よろこばしいことだ。

 しかし一方で、このような行動に眉をひそめている人たちもいる。
 やれ共産党の洗脳だとか、マスコミに踊らされているとか、よく知りもしないでいい加減なことをいう人がいる。さすがに、高校生に対して直接に罵声を浴びせる人はあまりいないようだが、しかし、大学生などのグループにはそういうことが行われているという実態もある。
 最前線でその矢面に立たされているのは、いうまでもなくSEALDsだろう。彼らには、称賛のいっぽうでさまざまな誹謗中傷も浴びせられており、その中心メンバーに対しては殺害予告さえあったことは記憶に新しい。そして、殺害予告というのはさすがに極端な例であるにせよ、誹謗中傷という点でいえば、ほかの団体もおそらく程度の差はあれ似たような状況にあると思われる。
 たとえば、私の地元福岡で活動しているFYMなどもそうである。彼らにも、さまざまな批判の声が浴びせられ、また、嫌がらせのようなことも行われているようだ。
 私が直接見た例として、あるときのデモでFYMメンバーの大学生がスピーチをしているところに、中年男性が歩み寄ってきて、中指を立てるしぐさをして去っていくということがあった。無言のままで、そういう侮辱的なことをして、歩き去っていったのである。
 それを見て、つまるところ、安保法制に賛成しているのはそういう人たちなのだと思ったものだった。その主張の中身がどうこうという以前に、いい年をしたおっさんが学生相手にそんなことをする神経が理解できない。
 そして、この姿勢に、私は安保賛成派の大きな欺瞞を見る。
 以前にも似たようなことを書いたが、彼らは安保云々など関係なしに、とにかく若者が政治について語るのが生意気で気に食わない、といったくだらない感情論で動いているように私には見えるのだ。それは、ブログやツイッターなどをみているとよくわかる。彼らはとにかくサヨク的な言動がきらいで、とりわけ若者がそうしたことを口にしているのを見聞きすると、激情に駆られるらしいのである。それで、聞くに堪えないような罵詈雑言が出てくるわけだ。
 もとより、そのような人たちの考えを変えられると思うほど私も脳内がお花畑ではない。だから、彼らに対しては、ただ一言「恥を知れ」とだけいっておく。
 そして、そこまで完全にダークサイドに堕ちていない人には、ひとこといっておきたい。そんな低レベルな発想で国の行く末を左右する問題を考えるなよ、と。
 私は、過去の歴史を勉強してそれをもとに合理的に考えれば、安保法制を支持できる人などいないと考えている。もちろんさまざまな知識に基づいて安保法制に賛成という人もいるだろうが、私はそのような人はごく一部ではないかと思っている(そして、あえていわせてもらえば、その人たちはどこかで根本的な間違いを犯している)。賛成派の大部分は、もともと軍事を過大視する価値観の持ち主か、あまり中身を知らずになんとなく賛成している人か、前述のような、“サヨクと生意気な若者が気に食わない”といった人たちなのではないか。そんなレベルの認識で日本の国が動いていったのでは、お先真っ暗といわなければならない。そして、このようなダークサイドに堕ちてしまわないために、若者たちの行動が意味を持ってくる。日本の未来のために、がんばれ、T-ns SOWL!
 

安倍政権、悪行の軌跡:派遣法改悪

2015-11-06 16:18:42 | 安倍政権、悪行の軌跡
 安倍政権の過去の悪行を振り返るシリーズとして、今回は派遣法改悪について書く。
 派遣法のことについてはもうあちこちで批判されていて特に付け足すこともないので、ここではそれらをまとめ的に書いておこう。

 まず、派遣が固定化されるという懸念がある。
 3年間という期限が設けられるわけだが、人を変えれば同じポストをずっと派遣にしておいてもいいということになっていて、全体でみればむしろ派遣労働が固定化され、非正規雇用の境遇から脱け出すことができない労働者が増えるという懸念がある。社会人としてのスタート時点で正社員になれなかった人は、それから3年スパンで延々と派遣のポストを渡り歩くことになる可能性が高い。
 そして、正社員にするように働きかけるというルールについても、実効性が疑問視されている。あくまでも派遣元がそのように要請する義務があるというだけであり、企業の側がそれに応じて派遣労働者を正社員にする義務はない。景気がよければ正社員にしてもいいとなるかもしれないが、景気が悪ければ、そんな余裕はないと断るだろう。それでは、派遣という雇用形態の不安定性はまったく解消されない。

 そして問題は、単に派遣労働という不安定な雇用形態に追いやられる人が増えるというだけではない。
 相対的に収入が低い派遣労働者の増加は、全体的な購買力を低下させ、経済にとってマイナスとなる。GDPの6割は個人消費とされるが、その個人消費が伸び悩むことになるのだ。というか、「派遣労働の増加によって消費が落ち込む」というのは、すでに現実のものになっているという指摘もある。それが日本に慢性的なデフレ基調を定着させ、「好況」とされる時さえそれが実感されない原因になっているとも考えられる。だとすると、派遣法の改悪によってその傾向がさらに進めば、日本の経済は今後いよいよ低迷していく危険がある。
 さらに、これは人口問題にもつながってくるおそれがある。派遣労働という状態では結婚・出産したくともなかなかそこに踏み切れないという人も相当数いるだろう。そうすると、少子化傾向にさらに拍車をかけることにもなる。デフレの元凶は少子化・人口減少という指摘もあるわけだが、そういう観点にたてば、派遣労働者の割合が増加することは、少子化を通じてデフレ傾向を推し進めるということにもなりかねない。
 つまり、派遣労働の固定化は、「個人消費を低迷させる」「少子化を進める」という点で、二重に経済を地盤沈下させるということになる。

 このようにさまざまな問題が指摘されていながら、安保法案の陰で、ろくに議論もしないままに派遣法は改悪されてしまった。
 たしかに、目の前の数年ぐらいの単位で考えれば、それは企業にとって有利なことなのかもしれない。それによって、企業の業績はよくなるかもしれない。だが、長期的にみれば派遣労働者の増加は経済全体を縮小させ、やがてそれは企業の業績にもはね返ってくるのである。ここには、あるプレーヤーのある時点での最善の行動が、必ずしも全体にとって最大の利益ではなく、しかも長期的には自分の利益も逓減させることになる――というゲーム理論的な状況がある。ゲーム理論的な最適解というのは、しばしばいまの一時点だけからみると不利益・非合理的にみえるものなのだ。短期的な利益のことに目を奪われがちな企業の行動ではそうした最適解にはたどりつけないから、公的な機関がそれをルール化する必要がある――と私は考える。
 最近厚生労働省が発表した調査によれば、非正社員ははじめて4割の大台に乗ったということだが、この傾向にどこかで歯止めをかけなければ、日本の経済は縮小していく一方だろう。それを防ぐためには、短期的には企業に不利であっても、派遣労働をタイトに制限していくことこそが必要だったのではないか。
 目先の企業の利益だけを優先して、長い目で見れば社会全体を停滞させる、あるいは社会全体に大きなリスクを負わせる――そういう視野のせまい政策が、安倍政権には非常に多いように思われる。原発再稼働もそうだし、アベノミクスそのものもそうだといえるかもしれない。まさに、「洪水はわがなきあとにきたれ」というやつで、そのツケは、将来世代の国民が払わされることになるのだ。

パンティー泥棒の唄

2015-11-04 21:30:23 | 音楽と社会
  パンティー泥棒 自転車で走る
  3時間経ったら元に戻す
  パンティー泥棒 自転車で走る
                        ――モーモールルギャバン,‘パンティー泥棒の唄’


 前回に引き続き、今回も音楽ネタでいきたい。
 前回はレイジというかなりゴリゴリのところをいったので、今回はもう少し気軽なところを扱おう……ということで、モーモールルギャバンである。ズバリ、「パンティー泥棒の唄」。これを記事のタイトルにするのは正直やや躊躇もあったのだが、音楽ネタで書くときはいつも歌のタイトルをそのまま記事タイトルにしてきたので、今回もそれを踏襲する。
 この曲は、そのタイトルが示すとおりパンティー泥棒を題材にしている。歌詞は、次のような感じだ。


  君のブラジャーは嫌い でも君のパンティは好き
  俺はパンティーが好き 君もそうだろう
 
  逃げるパンティーに 追うおいら
  おいらはパンティー界のルパン
  次元も五右衛門も必要ない
  俺は一匹狼

  黒はいやだ 白が好きだ 水色もピンクも好きだ
  ベージュはいやだ 青が好きだ 赤も黄色も好きだ


 ――で、高木復興大臣である。
 数日前、このお騒がせ大臣に新たな疑惑が浮上した。2011年から13年にかけて、選挙区内の住民の香典などを少なくとも17万円ほど支出していたというのである。公職選挙法では選挙区内の住民に対する慶弔費の支出を禁じていて、資金管理団体から香典を出したとすると、これに抵触する可能性がある。報道によれば、高木大臣側も支出の事実を認めているという。
 パンティー泥棒疑惑に続いてこの新たな疑惑発覚でもはや辞任は不可避という見方も出ているそうだが、しかしそれにしてもこの疑惑のしみったれ具合はどうだろう。パンティー泥棒と香典である。べつに大きい悪事をやればいいという話ではないが、この悪のしょぼさにも、いまの自民党の底知れぬ劣化ぶりが見てとれる。このような人たちの集団が権力をふりかざしているのだから、いまの日本は危険で仕方がないのである。

Know Your Enemy

2015-11-03 21:03:14 | 音楽と社会
  鎖だらけの国を指弾しろ
  なに? 自由の国だって?
  お前にそう教えたやつこそがお前の敵さ

                          ――Rage against the Machine, ‘Know Your Enemy'


 最近、当ブログでは音楽ネタもよく扱っているので、今回はその流れでいきたい。
 もうだいぶ前のことになるが、10月18日にSEALDs などによって渋谷で街宣が行わた。この街宣に、ヒップホップグループのスチャダラパーが登場したという。
 こうなると、例によって、「ミュージシャンが政治的な発言をするのは……」的な文句をつける人たちがいるわけだが、これはとんでもないいいがかりというものである。
 ヒップホップは、政治的な発言をしてなんぼというジャンルなのだ。レゲエもそうだが、(“レゲエ”という言葉自体が、“抗議する”という意味の言葉からきているといわれる)ヒップホップもまた、社会批判を出発点とするレベルミュージックなのである。Public Enemy などを聞けば、それはよくわかるだろう。

 そして、その Public Enemy からも影響を受け、ヒップホップを取り入れたサウンドでヘヴィロック最強との呼び声も高いバンドが、Rage Against The Machine。というわけで、今回はこの RAM について書く。

 RAMといえば、ディープな政治的メッセージをのせたゴリゴリのサウンドで知られる。
 たとえば、冒頭に引用した Know Your Enemy という曲。タイトルを訳すれば「お前の敵を知れ」という意味だが、本当の敵から目をそらすさまざまなプロパガンダが行き渡ったアメリカ社会で、お前の本当の敵が誰なのかを認識しろという歌である。


  闘え 常識なんかクソくらえ
  もう我慢はできない
  無関心にはうんざりだ

 
 と、激しい言葉が連なる。
 あるいは、Bullet in the Head の一節。


  鉤十字を黄色いリボンでくるんでも
  お前のプロパガンダはデタラメだ
  愚か者たちはルールに従い
  やつらが“青”といえば血の色も“青”になる
  そうやって お前の頭は銃弾でぶっとばされるのさ

  政府が独裁化していくのを立ち尽くしてみているだけの生ける屍たちに
  俺は叫んでやる
  スクリーンの上には静寂
  そしてお前たちは眩惑されてしまった


 「黄色いリボン」というのは、遠くに行っている家族の帰りを待つ家が黄色いリボンを掲げる習慣を表しているということだが、「鉤十次を黄色いリボンでくるむ」というのは、侵略的な戦争を兵士の美談にすりかえるアメリカの欺瞞を糾弾したものだろう。ウソと欺瞞に満ちた戦争を引き起こしながら、「国に尽くす兵士とその帰りを待つ家族」という美談でそれを覆い隠す。メディアもそれに加担する――そんな姿は、もう日本にもせまってきている。いや、あるいは、すでにそうなっているのかもしれない。上の引用部分は、まるで今の日本を歌っているようではないか。
 次に、No Shelter の一節。

  第四帝国のハゲタカ、アメリカ
  “アメリカンドリーム”に縛られて、お前たちは求め続ける。
  娯楽と戦争とのあいだのあやふやな境界線を

  避難場所はどこにもない
  前線はいたるところにある

  アメリカの目 アメリカの目
  世界をアメリカの目で見るんだ
  過去は埋もれさせ 盲目の民から奪えるだけ奪い
  あとには何も残すな

 
 「第四帝国」というのは、もちろんヒトラーのドイツ第三帝国を意識した表現である。RAMは、ここまでゴリゴリにアメリカを批判しているのだ。私も彼らのメッセージに必ずしも全面的に賛同するわけではないが、ヴォーカルのザック・デ・ラ・ロッチャが紡ぎだす言葉の破壊力は抜群である。
 そして、ギタリストのトム・モレロもまた、負けず劣らず政治的にラディカルだ。
 RAMがいったん解散した後の話になるが、トム・モレロは、System of a Down のメンバーらとともに Axis of Justice という政治団体を結成して、反ブッシュキャンペーンをはったりもしている。この団体名は、訳すると「正義の枢軸」ということで、ブッシュが使った「悪の枢軸」という言葉をもじったものである。ミュージシャンなら、これぐらいやって当然なのだ。ちなみ、トム・モレロは The Nightwatchman 名義でソロ活動もしているが、こうした活動はあのマイケル・ムーア監督ともつながっている。

 2000年に一度解散したRAMだが、最近になって再結成した。そして再結成してからも、そのラディカルさは変わらない。
 2012年のことである。米共和党で若手のホープと目され、当時共和党の副大統領候補となっていたポール・ライアン下院議員がRAMのファンだというのだが、これに対してトム・モレロは「笑える」と一蹴。「彼は、われわれが20年間怒りをぶつけてきたマシーンの体現者だ」「どのバンドが好きでもいいけれど、富裕層に富を集める彼のビジョンは、我々のメッセージと正反対だ」と、鋭く批判している。繰り返すが、ミュージシャンならこれぐらいやって当然なのである。

 さて、最後に、彼らの代表曲の一つであるGuerrilla Radio という歌を紹介する。この曲では、2000年当時のアメリカ大統領選についてこう歌う。


   ゴアか、それとも麻薬王の息子か
   どっちもクソくらえだ コードを切れ


 ゴアとは、民主党のアル・ゴアのことで、「麻薬王の息子」というのはブッシュ前大統領のことである。結果としては、さまざまな不正を疑われながら、総得票数で敗れているにも関わらず、ブッシュが勝利し、アメリカを泥沼の戦争に引きずり込んでいったのは周知のとおり。RAMのメッセージにもっと多くの人が耳を傾けていたなら……と思わずにいられないではないか。最後に、この歌のもっとも盛り上がるパートを引用して、この記事を結ぼう。
 

  どこかで はじめなけりゃならない
  いつか はじめなけりゃならない
  だったら、ここではじめろ
  今はじめろ

天神ジャック!

2015-11-01 20:59:15 | 安保法廃止を求める抗議行動


 今日11月1日に、福岡では「天神ジャック」と題して安保法廃止などを訴えるアピールが行われた。
 その様子を、画像とともに報告したい。

 このアピールは大まかに四つのエリアに分かれて行われたが、まずは、「ママパパエリア」。こちらでは、「ママの会」などが中心にスピーチを行った。



 前日がハロウィンということで、仮装している人の姿も多い。そのなかには、「マツコ・スタンダード」も。もちろん(といっていいかどうかわかりませんが)中身は男性。「ママの会」は、「ママから生まれた方なら誰でも歓迎」なので、男子部もあるのだ。



 この天神ジャックには、国会議員も駆けつけた。



 共産党の田村貴昭氏(左)と、民主党の野田国義氏(右)。二人は、各エリアをまわってスピーチしていたようだ。上の画像は、「フリーアピールエリア」でのスピーチ。二人が続けてスピーチを行った後には、「野党は共闘」コールが起こった。

 こちらは、「ハロウィンエリア」。クリスマスも近いということで、サンタクロースの姿もみえる。



 「民主主義ってパンダ!」のパンダは、シール投票担当。



 このボードを見ると賛否が拮抗しているように見えるかもしれないが、これは、賛成のところに一枚飛びぬけて大きいサイズのシールが貼られているだけである。実際には「安保法制に賛成」は3票ぐらい。

 そして、学生・高校生エリア。



 ここには、「政治をかえる」のカエルの姿が。



 その左には、学ラン姿の少年も。主催者によれば、この催しには中学生も参加してくれたそうだ。

 さて、この天神ジャックにあわせて、安保賛成派の街宣車もやってきていた。
 ただし、画像はない。画像を撮らなかったのは、撮ったら何か文句をつけられるかもしれないと思ったからということもあるが、それ以上に、注目している人が一人でもいると思われたくなかったため。スタンディングアピールには足を止めて写真を撮ったりする人がいる一方、街宣車の周りでその主張に耳を傾けている人は一人もいなかったので、彼らには「黙殺されてる感」をたっぷり味わってもらいたかった。
 そんな彼らの主張は、「集団的自衛権は世界の常識」ということなのだが、このブログを読んでくれている方はご存知のとおり、集団的自衛権は世界の常識などではまったくない。世界のほとんどの国は、集団的自衛権など行使したことがないし、おそらくは、行使しようと考えたこともないし、それ以前に、そういうものが存在するということを意識してもいない。自分が直接関係ないのによその国がケンカしているところへ武器を手にして首をつっこめば、事態を悪化させるだけなのは明白だからだ。実際、集団的自衛権が行使された事例は、ほとんどすべてが不幸な結果に終わっている。こんなものに賛成するのは、まったくばかげているとしかいいようがない。合理的に考えれば反対するのが当たり前であり、だからこそ多くの人たちがこうして反対しているのである。

 以前、佐賀で若者の団体ができたということを書いたが、九州での動きはまだとまらない。最近、福岡と熊本で、さらに新たな団体が一つずつ作られたということである。また、熊本での憲法カフェの試みを以前紹介したが、今度は長崎でも11月14日に同種の催しが行われるという。
 もちろん、九州だけではなく、全国にもさまざまな動きがある。今日は、長野や石川などでもアピールが行われていたらしい。こうした動きをさらに大きくしていって、来年の参院選までつなげていこう。