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奮闘記・28~2020年総括

 植物写真ではなくて恐縮だが、これは私の右膝のMRI画像。今年7月にMRI検査で“内側(ないそく)半月板後節損傷”との診断を受け、しばらくランニング禁止状態が続いた。
 半月板とは膝関節の大腿骨( 太ももの骨)と脛骨( すねの骨)の間にある軟骨様の組織クッションの役目をしており、真上から見るとC型(半月というよりは三日月)で内側と外側にある(両手の親指と人差し指で出来る丸い輪で膝の関節部分を囲うようにするとイメージし易い)。この損傷はスポーツなどによる場合と、40 歳以上では加齢により階段の利用、ハイキング、犬の散歩、段差や溝を飛び越える際の着地などちょっとしたことで起こる場合がある。膝の裏側の痛みを自覚した場合はMRI検査が必要でレントゲン検査では損傷は写らない。
 私の場合はおそらく加齢と山道ランニングの負荷の両方が原因と思われ、膝の裏側の痛みはいつものランニング後の筋肉痛だと思っていた。ところが通常1~2日で消える筋肉痛がなかなか取れず、整形外科でMRI検査を受けたところ損傷が判明した。
 写真は右膝を内側から撮ったもので、左側が膝頭になり中央の白い部分が半月板でその右側の黒い三角形の中が損傷した部分。正常であればここは黒いが損傷した部分に関節液が入り灰色に見える。治療は膝に定期的にヒアルロン酸注射を行い今は快方に向かいつつある。半月板損傷は元通りになることは無いが、腫れが収まればランニングはまた可能になる。
 さて今年のランニングの総括だが、毎シーズン6~7レースに参加していたものが今年はコロナ禍で一変。今から思えば奇跡的に開催された2月16日の“青梅マラソン10キロ部門”に参加したのを最後にすべてのレースが中止になった。そして7月の半月板損傷でランニングをしばらく控えたが、今年前半の貯金があったため9月には11年続けていた年間1,000キロ走破は達成し、今日までの合計は1,076キロになった。
 来年は膝の回復具合にもよるが、できるものならランニングはまだ続けたい。しかしレース参加は自重したほうが良さそうで、2009年の“青梅マラソン10K部門”で始まった私のレース参加は、奇しくも今年2月の“青梅マラソン10K部門”が最後になった。この12年間でフルマラソン4回、ハーフマラソン14回、10キロレース40回、5キロ(駅伝)6回の合計64レースとなり、老体に鞭打ち我ながら良く頑張ったと思う。
 先日のジムでのインボディ測定結果は以下の通り。カッコ内は令和元年12月、平成30年12月、平成29年12月、平成26年8月、平成22年8月の数値。やはり膝のケガで年の後半はランニングが十分に行えず筋量や基礎代謝量が減少し体脂肪が増えてしまった。来年は鍛え直して、少しずつでも以前の数値に近づきたい。
体重62.3kg(←62.8←63.7←62.7←63.7←63.6)
骨格筋量29.0kg(←29.7←30.2←29.9←31.0←30.8)
体脂肪量10.4kg(←9.7←9.6←9.2←8.2←8.7)
体脂肪率16.7%(←15.4←15.1←14.7←12.9←13.8)
基礎代謝量1,491kcal(←1,517←1,538←1,525←1,568←1,555)
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奮闘記・27~バーチャル・ホノルルマラソン

 4年前に還暦記念でホノルルマラソンを走り、それでフルマラソンは卒業した。その際、次は“前期高齢者”入り記念で、来年4月開催のホノルルハーフマラソンHAPALUAに参加するつもりでいた。コロナが無ければ今頃はエントリーを済ませフライト便やホテルは決まっていたはず。漸くイギリスでワクチン接種が始まったが、最速でコロナ禍が収まったとしても来年夏以降だろう。春のホノルル行きは断念するしかない。
 今月開催予定だったホノルルマラソンは残念ながら中止になったが、今回、ホノルルマラソン・バーチャル・ビーチフェス(オンライン・ランニング・イベント)が開催されている。期間中にフルマラソンや10キロ(ランorウォーク)を好きな場所で実施し、そのエビデンス(ランニング時計やスマホの距離表示画面の写真)を示せばOK。そこで早速10キロ部門にエントリーし、今は右膝半月板損傷治療中のためランニングではなくウォーキング記録のエビデンスを提出した。写真はゼッケン、完走証とエビデンスのランニング時計。完走メダルと参加賞のフィニッシャーTシャツは後日送られてくる。コロナが収まったら、やはり現地のレースに参加したい
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奮闘記・26~54th青梅マラソン

 今日は“第54回青梅マラソン”。私は平成21年の大会から連続してこの10キロ部門に出場している。一度雪で中止(平成26年)になったが、今回で11回目の出場。そもそも青梅マラソンは昭和42年(1967年)に、東京オリンピック銅メダリストの円谷幸吉選手が出場して第1回が開催され、市民マラソンの草分け的存在として長く続いている。私は52歳の時にジョギングを始め、青梅マラソンが生まれて初めて出場した公式レースであり思い入れが強い。
 さて今日のタイムは51分59秒で1キロ当たりは5分12秒。1キロ毎のラップは、5分48秒、5分29秒、5分24秒、5分20秒、5分1秒、5分8秒、5分4秒、4分56秒、4分55秒、4分54秒。スタートから3キロくらいは、人混みをかき分け遅くなるが、その分、力を蓄えられたようだ。ラスト3キロは1キロ4分台で走り、昨年よりは21秒遅れたが、一昨年よりは17秒早く、3年前とはわずか2秒差だった。高校生から70歳以上までの男性参加者1,956人中631位(中間点672位)で上位33%以内、60~69歳男性444人中では87位(中間点100位)で上位20%以内とまだまだ捨てたものではない。スタート直前から雨が降り始めゴールまでずっと雨中ランになってしまった。評判のシューズ/ナイキヴェイパーフライネクスト%のデビューレースで、弾むような心地良さは申し分なかったが、軽い分、生地が薄いため雨には弱くすぐに水が浸み込んで往生した。[(c)allsports.jp]
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奮闘記・25~厚底シューズ

 2017年10月から放送されていたTBS系日曜ドラマ『陸王』で使われたランニングシューズは薄底の足袋型で履いている感覚が全く無いという設定だった。1960年のローマオリンピックでアベベが裸足で金メダルを獲得したが、つい最近までは本格派ランニングシューズといえば薄底が主流だった。
 しかし同じ2017年にこれまでの流れと真逆の厚底シューズをナイキが発表し、2018年に第2モデルが発売された。これは反発性の高いカーボンプレートを特殊な素材で挟み込んだ厚底ソールの“ズームヴェイパーフライ4%”で、その衝撃的な記録ラッシュですぐに品切れになりネットでは7~8万円で取引されるような事態となった。このシューズはそもそも私のような素人ランナー向けではなく一流ランナー向けのもので、2019年1月に私は一般ランナー向け厚底ソールの“ズームフライニット”(写真上の青いシューズ)を定価17,280円で購入した。
 大迫傑選手が2018年10月のシカゴマラソンで日本記録を更新した際に履いていたのが“ズームヴェイパーフライ4%”だったが、ナイキはその後もシューズの改良を続け、2019年10月、史上最速のマラソンランナーであるキプチョゲ(ケニア)はただ一人しか履くことが許されていない第4モデルの新シューズ“アルファフライ”を履き非公式ながら人類で初めて2時間を切る1時間59分40秒をマーク。キプチョゲに『完璧なシューズ』と言わしめた。また同月のロンドンマラソンではコスゲイ(ケニア)が2時間14分4秒でこれまでのポーラ・ラドクリフの女子マラソン世界記録を16年振りに更新した。
 今年の箱根駅伝では全出場ランナー210人中177人(84%)が第3モデルの“ヴェイパーフライネクスト%”を使用し、区間賞10人のうち9人がこれを履いていた。また区間新記録は7区間で13人となり、そのうち12人がこのシューズだった。総合優勝の青山学院大学のランナーは全員がこの左右色違いのデザインのシューズで疾走していたので気付いた方もいらっしゃるだろう。私は、このシューズもきっと手に入らないだろうと思ったものの、箱根駅伝直後に念のためナイキ公式通販サイトを覗いてみると『定価30,250円、在庫あります。』の表示。こうなると新しい物好きの私は即購入手続きをして1週間後に入手した(写真左の左右色違いのシューズ)。確かに厚底の密着感が良く、もし10年前にこれを履いていれば自己記録は何秒かは良くなっていたかも知れない。今日の都道府県対抗男子駅伝で優勝テープを切った長野県代表の中谷雄飛選手や3位でゴールした設楽悠太選手(埼玉県)、7区区間賞の相沢晃選手(福島県)も皆このシューズだった。
 ナイキ1強に対してミズノも負けているわけにはいかず、箱根駅伝の7つの区間新記録のうち、唯一10区の新記録はミズノのシューズで今夏に発売を目指している。
 私は“ヴェイパーフライネクスト%”や“ズームフライニット”は基本的にはレースで使用しており、日頃の植物観察ランでは水辺にも入るのでミズノの防水ゴアテックス仕様“ウェーブライダーGTX”(写真右の黒いシューズ)を履いている。
 先日イギリスの複数の新聞社が『国際陸連がナイキの厚底シューズを禁止する可能性がある』と報じた。すぐに大迫傑選手は『どっちでも良いからさっさと決め てくれーい!』とツイートしている。来月には東京マラソン2020が、半年後には東京オリンピックがあるので、国際陸連は結論を早く出さなければならないだろう。
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奮闘記・24~新春ラン

 今日は会社の連中との新春ラン。メンバー4人がJR青梅線羽村駅に集合し多摩川羽村堰から下っていく。私は同時刻に自宅を出発し野猿街道を多摩川まで8キロ走り、そこから上流に向かう。10キロ地点のスーパー銭湯前で別のメンバー1人と合流し2人でそのまま上流へ進んで行く。多摩都市モノレール、JR中央本線のガードをくぐってしばらく行くと上流から4人のメンバーが現れ、そこで合流して下流へ引き返す。そして先ほどのスーパー銭湯がゴールで、私の走行距離は18キロ。ひとっ風呂浴びてサウナに入り、入浴後はミニ宴会。美味しいビールを堪能した。
 それにしても正月のスーパー銭湯は大混雑。一日居ても1,000円程度で済むので、休日のお手軽な過ごし方だと思う。そう言えば私が子供の頃はもちろんスーパー銭湯などは無く、一度だけ町内会旅行で“船橋ヘルスセンター”(昭和30年オープン、昭和52年クローズ)に行ったことがあった。
 写真は多摩川沿いにある“五本松”。案内板には『この松は、江戸から、明治、大正にかけて、水防林として植栽されたもので、以前から“下堰の松”と称され、長く地域の人々に親しまれてきた。その後、大正の初めに護岸工事のために、四つ谷村で今も“中隠居”と呼ばれている市川家から国に無償で提供され、大切に保護されてきた。このような長い歴史的変遷の中で、次のような話も生まれてきた。江戸時代の中頃、甲州の商人が病で倒れているのを村民が助け、半年余り玉川寺で手厚い看護をし、病が癒え、その後、商人は甲州で財を成した。この四つ谷村の恩徳に報いるために商人は一尺五寸の木像を寺に奉納し、また、多摩川堤に松を植えた。その松も次第に少なくなり今の本数となり、“五本松”と呼ばれるようになった。この四つ谷村民の深い情けを末永く府中市民が引き継ぎ、この松をシンボルとして保存している。』とある。

『長生きチョンパ』
作詞・作曲:三木鶏郎 歌:楠トシエ 昭和37年
(JASRAC許諾期間終了のため歌詞省略)
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