バスストップから基地ストップの会  

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2024年8月定例申し入れ行動

2024-10-05 | 日記
 
 
 
申入書
 
在日米陸軍司令官・米陸軍第一軍団司令部司令官 デイブ・ウオーマック少将 様                       
陸上総隊 日米共同部長            弥頭 親善 様 
座間駐屯地司令兼第4施設群長         橋口 尚徳 様
 
 アジア太平洋戦争が、日本の敗戦で終わってから79年の歳月が流れました。日本人の犠牲者は310万人、そのうち軍人・軍属の死者230万人、広島・長崎への原爆投下、東京大空襲をはじめ各地への空襲等で亡くなった人々、日本の「委任統治領」であったサイパン島や、中国東北地方に日本の「関東軍」が打ち立てた傀儡国家「満州国」で亡くなった人々を合わせると民間人の死者は約80万人になります。
 広島の原爆投下の犠牲者は、この一年間に亡くなった人死亡が確認された人5079人が加えられ、34万4306人となりました。長崎も3200人が加えられ19万8785人となりました。
 長崎の原爆式典に対し、イスラエルを招待しなかったことを理由に、日本以外のG7の大使がそろって欠席しました。まことに残念なことです。8月に入ってからもガザ地区に対するイスラエル軍の攻撃は続いており、8月15日、ガザ保健当局は、死者は40,005人になったと発表しました。アメリカをはじめとするG7各国は、イスラエルに対する軍事援助、経済援助を停止して、停戦を迫るべきです。
 米国は昨年10月以来、イスラエルに155ミリ榴弾砲の砲弾と信管などを供与し、米海軍は2年に一度開催される「環太平洋合同軍事演習リムパック」(6月27日~8月1日)に、今年はイスラエルを招待しました。さらに、8月に入りイスラエルーーイランの緊張が激化すると、原子力空母リンカーンを派遣しました。軍事援助・軍事介入よりも、ガザ地区の停戦を実現するために全力をつくすべきでしょう。
 1944年6月から7月にかけて日米両軍が激突したサイパン島では、日本軍の戦死者は25000名、在留日本人8000人から10000人が犠牲になりました。手榴弾を抱えて崖の上から次々に飛び降りる光景は、まさに悲劇というしかありません。背景には「生きて虜囚の辱めを受けず」とした「戦陣訓」(1941年東条英機陸軍大臣示達)がありました。「琉球新報」は7月7日付の「社説」で、「次に米軍が侵攻するのは沖縄だと判断した政府は、南西諸島の老幼婦女子10万人(九州8万人、台湾2万人)の緊急閣議で決定し、沖縄県知事に命令した」と指摘しています。8月22日には疎開学童ら1661人が乗った対馬丸が米潜水艦ボーフィン号の雷撃を受けて沈没、ほとんどの乗客が犠牲となりました。
 戦後79年を経て、岸田内閣は沖縄・琉球弧から住民を避難させる計画を練りつつあります。外交と対話で中国との緊張を解消することは可能なのに、どうしてそんな無理な計画が進むのでしょうか。
 陸軍士官学校の卒業生(55期)である藤原彰さんは、華北に派遣され歩兵部隊の指揮を執りました。戦後、歴史学者となることを決意し、『歴史家の体験した戦場-中国戦線従軍記』を出版、さらに2001年には『餓死(うえじに)した英霊たち』を出版、中国戦線での体験を踏まえて、アジア太平洋戦争で戦没した日本軍兵士のほとんどが、食糧の欠乏と補給の途絶から来る栄養失調が引き起こした戦病死であることを明らかにしました。自衛官のみなさん、中国軍との衝突が現実となる場合、みなさんもそうした事態に直面する可能性があります。米軍の遠征前進基地作戦(EABO)に追随することは危険です。
 「外交による解決を」、そう声をあげようではありませんか。 
 
2024年8月17日 
  バスストップから基地ストップの会と申入れ行動参加者
 
 
 
 

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