![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/a4/124f81edfb885444d57b21b3b95aba0a.png)
マキシム・プイサン神父「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』岸和田天主会教会、1925年
34. 誰が地獄に落ちたか決めるのは、人ではなく天主である
今より約八十年以前、教呈グレゴリオ十六世の時、公教会に珍らしい証拠が立てられた。
パロタと云う霊父がいた。この人物天主の忠僕と称せられていたが、彼に福者の尊号を贈るための審査に取りかかったところが霊父が在命中、一死刑人を、刑場へ送るため、同行されたことがあったがこの死刑人は改心をせず、天主の悪口を吐いて、嘲笑い断頭台の露と化した。
その時、霊父は血にまみれし頭の髪をつかんで、高く指し上げ、雷の如き声にて「見よ、これ地獄におちし者の顔面を!」と云った。
その一言によってパロタ霊父の福者贈号を否定したそうである。その理由は何時の場合にあっても個人が確かに地獄に落ちたと断言するのは不当であるから。それよりむしろ、彼のために天主の哀憐を祈るのが我々信者の倣すべき業である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/7d/2d21438e540409d15e699ee8911d3132.jpg)