こいけ長女が娘(ここねちゃん)を連れてきて3晩目。
天気が悪いこともあり、ストレスを感じつつ、抱いたり沐浴の手伝いなどしている。
ご飯を食べるテーブルでベビーバスを乗せて、その上で沐浴させている。バケツで3杯くらいのお湯が必要なので、お湯張りとお湯捨ては僕がやっている。
僕と同じようにこいけ長女も、長男長女にありがちな完璧主義者なところがあり、苦労する。一日こいけに質問責め。こいけはいそいそと仕事も休んで一緒の部屋に寝てる。
チューはほっぺにもしないでね。とか言われてむかついた。苦笑
俺んちだ!っての。笑 それは言えないか。
明日は次女も退院し、こちらに来る予定とも聞くが、この予想外の大雪で、これはどうなるか。
もうやめてくれって感じ。早くもよん。
大学の同級生で、ずっと保険のすべてを任せてきたK君。享年51。
先日の大雪で樋が一部破損、火災保険でまかなってもらうべく、つい先日も何度か携帯でやりとりしたばかり。
やっとその修理をご近所の大工さんにやっていただいたのが16日。
その朝、彼の訃報が別の友人から届いた。
寝耳に水とはまさにこのこと。
進行性のガンとわかって、それでもすべてを周りに隠して最後まで仕事を続けていたらしい。
その彼のお通夜告別式が明日明後日。母校の近く。神奈川。
ずいぶん日にちが空いたが、できれば参列したいという方向で考えている。
学生時代、今の奥さんとデートの途中で時々、僕のアパートに来た。
すでに当時、対人恐怖が強まってきて床屋にも行けなくなっていた自分は自炊するしかなかった。喫茶店のナポリタンを再現しようと、勘で作っていた自家製ナポリタン。ただ玉ねぎとピーマン、ウィンナーを炒めて、茹で上げたスパゲティをケチャップと中濃ソースで絡めただけのものだったのだが。
それが食べたいと、何度か電話してきて僕の汚いアパートに二人で来た。
その後数年して(22年前)、彼らが結婚することになった。当時僕はサラリーマンを2年で挫折、実家でひきこもり始めていたのだが、それを説明したにもかかわらず、彼がどうしても僕に出席して欲しい、と懇願されたので、やはり車で横浜だったかの式場に行ったのだった。
今思い出したが、その電話のしばらくあと、彼らの結婚式当日は、僕は実家を逃げ出し会社は休職のまま、南房総のマッチ箱のような貸家に来て挫折感と、しかし実家や会社から逃げた安堵感を感じつつの暮らしを始めていたのだった。
その汲み取りの汚い貸家に、なぜだったか何人かの同級生と新婚旅行帰りの彼ら夫妻が、泊まりにきたのだった。
実際は夜は皆で飲み、そのまま近くの小さなホテルに二人は送り、また朝迎えに行って、僕の朝飯を食って(しゃけとウインナーと目玉焼きとお味噌汁)、マザー牧場に行って帰宅したのだったな。
彼とは数年前に会ったが、奥さんとは以来22年お会いしてはいない。
そのうちそちらで一緒に飲もうと言っていたのだが。そのうちは永遠に来なかった。
だから水臭いやつだと怒りつつも、できれば行ってやりたい。亡くなってから行ったって遅いんだけどね。
しかし、こういうときやはり何年ぶりかで、電車に乗れない自分と再会せざるをえない。いざとなってもやはり車でないと行けそうもない。
しかしこれでもかっていうくらい、こういう時はままならないことが重なるもので、また雪。また積もっちゃった。
ん?しかし今ニュース見たら、都会はあまり降ってないようだの。
ここから脱出できれば明日行けるかな?
そんな、彼への弔意と別な所で頭の中は一杯。
つくづく人間力の無さを痛感する。
ま、そこまで卑下することもないかな。
苦手なことはあっていいんだし。車でも行ければいいんじゃないか?
グーグルマップのストリートビューを交差点ごとに見たりして、はぁなんという小心者、完璧主義者!
11日にこいけ長女出産。(女児。ここねちゃん)
13日こいけ次女出産。(男児。りょう君)
15日K君逝去。
16日樋工事。訃報を聞く。
17日長女とここねちゃん来宅。
明日K君お通夜。
次女とりょう君来宅・・・か?
頑張れ自分。
長女にむかつくことも多いけど、僕が産まれて初めて抱いた新生児、ここねちゃん。
手足の小ささに、この歳でかなりびっくり。
小さいねぇ。。。。
もみじの葉っぱみたいと言われていたけど、ほんとにそうだ。
自分もこんな小さな手だったのかなぁ。
チューしちゃだめって言われてるので、た、い、へ、ん、だ、~と小さくつぶやきながら、スイングしてあやしながら、顔にふっと息を吹きかけてみる。うざいって感じで一瞬目をしかめるここねちゃん。
明日はどういう一日か終わってみないとわからないけれど、人は産まれて生きてそして死ぬ。