カナリアな日々

百姓になって15年目。補習塾カナリア舎はフェードアウト中。小麦、蕎麦、大豆などを作っています。

ねばならぬ

2007-03-18 00:20:00 | ひきこもり・不登校

3月連続の市原けやきの会へ。
参加者4名。

前日来たK君は、以前からホワイトボードの式などをノートに書き写すことに抵抗があった。
計算の答えは書くけれども、筆算は書かないというようなこだわりもあった。
受験目前で、プレッシャーがいよいよ強くなっていることもあるのだろうが、200字程度の作文がどうしても一文字も書け(か)なかった。(で、僕がたたき台を書いた。)

このこだわりについて質問してみた。
確かに書くことに抵抗を示す子どもさんもいるが、彼の場合、本当に高校へ行きたいという気持ちにまだなっていないのでは?という意見も出た。確かにそうかも知れない。

また、あるお母さんが話しておられた。中学を卒業したばかりの不登校だった娘さんが、突然コンビニのアルバイトを、しかも週5日を希望して面接したのだという。
「いきなりそんなに入れないで時々、一日数時間にしたら?」というお母さんに、「なんでやる気になっている私の気をそぐようなことを言うの?」と反発されたのだと言う。

それを聞いて、「すごいやる気になったみたいね」とコメントする方もおられた。
でも、そのお母さんは「いやになってしまうんじゃないのかなぁ。」とあまり期待していない風だった。
僕はこのお母さんはよく子供さんのことを観察しておられるなと感心して聞いていた。

実はK君も(書くことはしなかったが)口では「高校生活の抱負」というタイトルで、どんなことを書く?と聞くと「友人を作ること、そして3年間で卒業すること」と答えたのだ。

「なるほど、それでいいんじゃない?」と僕も口では答えたが、本心は、あまり高いハードルを今から設定するなよと思った。

子どもの気持ちを大人の価値観でなく尊重し、寄り添うことはとても大切なことだと思う。

ただ、色々な方のお話を聞いたり、読んだりすると、どうも子ども達は、『本当は行きたくない』ようなことでも『行かねばならぬ』という気持ちから、「行く」と言ってしまうことが多々あるようだ。
つくづくけなげだ。

だからこの子は本当に望んで、そう言っているのか、ねばならぬという気持ちから言っているのかを見極める必要があるのだろう。
しかし例え後者であっても、それを尊重することは必要だ。けれど共にどこまでもトンネルを歩いてあげるのがいいのか、どこかで止める必要があるのかは、ケースバイケースなのだろう。

いずれにしろ、余り期待しないということがいいのではないかなと思った。

でも・・・
やはり、明日何とか汚い字でもなんでもいいから何か書いて乗り切って欲しいなと祈る自分もいる。

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