カナリアな日々

百姓になって15年目。補習塾カナリア舎はフェードアウト中。小麦、蕎麦、大豆などを作っています。

誰のために頑張るのか

2007-03-30 23:55:41 | カナリア舎

先日、運動部の子のお母さんから電話。

4月から6月までは、部活に加え、駅伝、陸上などで、忙しくなるので来られない日が増えるかもというお話だった。
近くの学校は全校生徒が90人に満たない小規模校だ。
従って(人数の関係で)運動部4つのみ、しかも特別の理由がない限り、実質全員参加だ。
学校対抗の駅伝や陸上大会などもあって、その全部に参加させられる子がたくさん出てくる。

彼は志望する公立高があるが、現在のままでは、かなり難しいと思われる。
で、お母さんに(うちに来る日は)部活を早退するとかできませんかと聞くと、とんでもないと言う。
「エースが先に帰るなんて言えますか?先生」と怒られる始末。
「子どもをあんまり追いつめない方がいいと思うのですが。」と言うと、

上の兄弟もほとんど休みなしで頑張って来たし、お母さん自身も頑張ってきた。彼はまだ甘いんだ。部活を減らしてもきっと勉強なんかしないに違いない。部活も駅伝も陸上も早退なんかすればレギュラーから外されるし、彼にも頑張ってもらいたい。土日も先生方が頑張って指導してくれるから、非行もない。この地域に育ったのも運命だ。とおっしゃる。


う~ん。なんかすごいガンバリズム。
あ、いや、僕も頑張ってきて結局息切れてひきこもったんですけど・・・って言えなかった。。



これじゃぁ、彼の休む時間を確保するために、僕が身を引いた方がいいかも、なんて思ってしまう。。



そう言えば、以前も部活をやめさせるために苦労した男の子がいた。
仲間や先生のしつような引き留めにあいつつ、少しづつ参加日数を減らしてきたところで、完全にはやめさせまいとする両親にしびれを切らした彼は、ある日腕をカッターで切りつけて、意思表示をして、やっとやめることができたのだった。



いずれも勉強の時間を確保するという名目だったのだが・・・


なんかそれも違うなと思えてきた。


先日の親の会でも言われていたが、K君だけでなく不登校の子達もまた勉強どころではないと言う。
ゆっくり休んだ上で、本人がその気になれば勝手に必要な勉強をし出すものだ、と。

子どもにとって(不登校、登校無関係に)勉強することをそれほど優先する必要はないのでは?
というか、勉強するだけの余裕が皆ないのではないか。


まず一番に確保すべきは時間のような気がする。道草を食うための。



いったい誰のために子ども達は頑張っているのか。
親や先生達が自分たちの想いで頑張らせているだけではないのか。



そう言えばここへ来て7年。不思議なことに、この中学で不登校のうわさを聞いたことがない。
しかし、卒業後しばらくしてひきこもっている子は僕も何人か知っている。



この学校では、子ども達は不登校することもできないで、ぎりぎりまで頑張らされているのではないか。
かつて大学院の頃、プレゼンテーションがいやでいやで、(吐き気予防のため)ガムや乾燥梅干しを口の中に隠しながらも、今日失敗したらもう終わり、死ぬしかないみたいな心境で毎回乗り切っていたことを思い出す。



このガンバリズムの町で、カナリア舎はいったい何の存在意義があるんだろう。
閑古鳥が鳴いているのもそういうことなのかな?


僕もまだまだガンバリズムの人だと思うけれど、それでもどこか町のニーズからずれてるんでしょうな。
やっぱりもっと町の方へ越した方がいいような気がしてきた。

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