タイで子連れ狼

何の因果か運命か、異国の地にて親父単独で二人の子を育てることに。

さあ大変の、てんやわんや育児&生活日記

タイの思い出 苦い記憶

2020-10-08 13:18:38 | 日記

旧ヤフーブログ「タイ人と向き合う」の中で「思いっきりタイ人から騙された話」という回顧録を残した。

今回は、その続きとなる記憶の紐を手繰り寄せてみよう

 

日本語の堪能なタイ人夫婦、ジャック&シャトラとの出会いから始まった事業は紆余曲折を経て、次の段階へと進んで行った。

そもそも目的や価値観、生き方すらも共感できない相手との共同作業であるからして、長くやればやるほどお互いの認識のズレは大きく開いていくのは当然だ。

今現在の私という見地から当時の自分の思考や行動を振り返って見ても、全くの実力不足、人間的な未熟さが随所に露見して赤面苦笑する。

しかし人生とはそんなものだろう、産まれた時から悟りきった人間はいないし、リスク覚悟で何かを行うからこそ、何かしらの結果が享受できるわけで

失敗を恐れて石橋を叩きながら、しかも橋を渡らない人生なんてのは確かに安全かもしれなが、そうなると机上の空論のみを知った顔でウンチク打つが、実は何も知らないという人生になりかねない。

当時の私はタイ人夫婦と将来もずっと協力し合っての事業継続を想定していたが、何ぶん社会経験の少ない自分であるし、良い関係を継続するだけの人間力やバイタリティーも備わっていない(今も無い?)

すれ違いや認識のズレなどから軋轢が生じ、さぞかし無意味な説明や説得にエネルギーを費やしてもいた。

でもそれは遠回りかもしれないが、自分には必要なプロセスだと思っている。

反対に彼らからすれば目的がサクセスであるからして、まずその踏み台として出会ったのがムガだった

唯それだけのことかもしれない。

タイ人夫婦から騙され利用されたのも確かだが、それはタイ夫婦からすると極普通の商売の手順を踏んだだけで、結果的に騙されて利用されたと思う方が知能が足りてなくてアホなだけとなるはずだ。

突き放して観ると、私の経験とて歴史のどこにでもある1ページに過ぎない

 

一連のシリーズは7番目で終わっているが、その続きを足早に綴ってみよう

 

ジャック&シャトラの謝罪と嘆願を受け、彼らの発案により小さな工場と8人ばかりの人員を提供された。

心機一転で事業継続となり喜んだのも束の間、日本向け商品のネタ元として利用されている事に気付くのは早かった

シャトラから出る言葉といえば「志村さんは東京で商売を始めましたよ、あっという間に毎月3千枚のオーダーくれますよ」

「この工場が続くかどうかはアナタ次第ですよ、頑張ってください」

「すごいですね、東京は夢がアリますね、ムガさんも東京に進出した方がいいんじゃない? きっと数がもっともっと増えて、一気にお金持ちになれるかもヨ??」

 

日本の田舎をベースとする私の商売である、マーケットの量から言っても事業の急拡大など望めないのであるが

言葉巧みに盛り上げたり、販売力に長けている志村氏と比べたりしてプレッシャーを掛け続けるシャトラは商売人

旦那のジャックは日本の学校で学んだという建築家、そして企画プランナーでもある。

そんな二人の得意分野をフル活用しての事業急拡大だった。

程なくして、奇跡的に銀行から3千万バーツの融資が下りたからと、自分設計の大きな本社工場を空港近くにおっ建てる旨を知らされた。

また「ニュートレック(仮名)」なる会社を立ち上げ、新規のお客さんを次々と増やしているとも。

もうコソコソと裏でやる必要はないのだ、犬と呼ばれることもない

誰に気兼ねなく大手を振って事業展開できるのだ

志村氏という後ろ盾を得たタイ人夫婦は、リミッターの外れたダンプカーのようにレッドゾーンまでブン回して突っ走っているかのように見えた。

 

対して私の方へと目を向けると

表向きでは初期に世話になった恩返しとして専用工場を提供してもらった事になっているが

その裏を返せば、専用工場を用意してもらった時点で彼らが仕出かした過去の悪行、つまりアイデアや材料の着服横領はチャラとなる。

悪口を言われないため、世間への証拠づくりを行ったともいえる。

今すぐに排泄されたとて反論できない立ち位置に追い込まれている自分と、

仁義を立てたことにより罪人ところか善人の極みと昇華されているタイ人夫婦

要するに、いつのまにか全ての交渉権は相手側に移ってしまったといえよう。

 

材料ネコババされた旧社屋を20年ぶりに訪れてみた

 

ニュートレックの主要客は志村氏(仮名)

このタイ人夫婦、私がタイに居ない間にコソコソと仕事を取りはじめていて、前記した通りデザインや技術、購入して置いた材料までも横流しで売っていたのであるが、その相手先が志村氏の経営する「インディゴ工房(仮名)」である(志村氏からのFAXで確認済み)

「飼い犬でも待てと言えば待つ、あなたたちは、そこでウロウロしている野良犬と同じ!」

怒りに任せて怒鳴りつけた記憶が今も鮮明に残る

 

志村氏はKO大学卒の元デパートマンであるだけに最初から大きなマーケットを持っていた

「売れる商品さえあればいくらでも売ってあげるから」

彼の存在がニュートレック社の設立と自社ビル建築といった急拡大の背中を押したのは明確である。

 

志村氏の話をするとき、シャトラの目はバラ色だ

「本当に優しくて、いちいち小さな事でモンク言わないし、ビッグマンなのよね~」(白い目)

「他のお客さんに売っても良いっていうし、それがバッティングする東京からのお客さんでも良いというし?」(ドヤ顔)

「奥さんの聖子さん(仮名)は背が高くてモデルみたいなの~!素晴らしい夫婦と知り合えました」

とことん当て付けがましく志村夫婦を褒めまくるが、ああそうなの?と平常心で聞き流すしかない

 

つまり、うちがアイデアを出せば出すほどマーケットを持つ志村氏を儲けさせているのだが

それを訴えたところでどうなるものでもなし

かといって、他の工場に制作を依頼したりするとクオリティーの低い商品を買い続けることになるわけで

もちろんアイデアを提供すると、そのサンプルを受け取る前に店頭に並んでたりするのは同じことw

更に返品率も高いうえに凡百の輸入業者に埋没してしまうのだ

商品クオリティーを維持しつつ、競争力を保つには

何度考えても、ハラワタ煮えかえる自分の気持ちを我慢させるしかないという結論になる。

「今は耐えろ、いつか倍返しするその日まで」

そのような気持ちであったはずだ

 

そうこうするうちに、訪タイ時にジャック&シャトラと顔を合わせるのは帰国前日の一日だけとなった。

かつてはBMW318で送迎してくれて毎日つきっきりで世話してくれたが、その頃には自分で運転してくださいと云わんばかりにボロボロのトラックをあてがわれていた。

それもしばらくの間のことで、トラックは工事で使うからとレンタカーを自費で借りるようにいわれた。

これがまたコロナという今では使いにくい名称の古い乗用車

トランクから何とも言えない異臭を発していたが、死体でも入れてたんじゃないか?という疑いもそこそこ、毎月5日~7日間ものレンタルなので安いボロ車で我慢した。

 

程なくしてタイ人夫婦は新車のBMW-520を自慢げに見せてくれたがw

そちらは志村夫妻たちニュートレックのお客を送迎するために使われていると知らされた。

古いお客よりも新客を大切にする、釣った魚に餌をあげないって?

まったく舐められたもんだ・・・

犬呼ばわりして100倍返しを食らった気分だった

 

イメージ画(黒塗りでゴージャス)

 

それから一年を待たずしてタイ人夫婦は全く私の前に姿を現さなくなり、いつの間にか毎月の支払いすら秘書をよこして徴収するようになっていた。

今や、従業員作業員を合わせると総勢60人は下らないと聞いた。

「今月の売り上げが300万バーツ、もっともっと上がるはずだよ!」そう自慢げに話したジャックの顔が脳裏に浮かぶ

「シャトラは志村さんと聖子さんに付き切りで、なかなかムガさんの仕事ができなくてごめんなさいねぇ」

ジャックの慇懃無礼な物言いに、言い返す言葉もない

恐らく夫婦の会話では「ムガは何も言い返せないかったよ、ぎゃはは~」ってなもんだろ

 

それからしばらくして更に大きな自社ビルを郊外に建築するのだが、そちらも100%融資であると聞いた。

推測するに建築した本社ビルを担保にして二重ローンを組んでいるに違いない。 

いくらタイ国が発展途上だからといってもインフレ率は落ちてきているし、そんな融資に次ぐ融資で事業展開する時代でもなかろうと思ったが、タイ銀行のルールは穴だらけで詐欺が横行するというし、もはや私の言葉などに耳を貸す二人ではない。

秘書リーダー格の女性は銀行から引き抜いた人間だが、彼女が融資に一枚噛んでいるような話も聞いた。

「僕はタクシン首相のようになるヨ!」

出会った頃、地元ヒーローの名を引き合いに理想を語ってくれたジャック、着々と夢に向かって進んでいるかのようだった。

銀行融資とはいえ今や自社ビルを二件も抱える事業家であり、数年前に出会った頃の謙虚(に見えた)な二人ではない、

会社のオープニングパーティーでは日本から主な取引先の社長らを招き、地元名士、ちょっとした芸能人を同席させて華々しく開催されたそうだ。

同時にバンコクからスーパーモデルを雇ってファッションショーを行ったというし、それはまさに自分の威光を世に知ら示すためのパフォーマンス

「なめんなよ」という声が聞こえるようだった。

 

たまに秘書を引きつれシャトラがやってきては「ムガさん、オカマになった方がアイデアがドンドンでるかもよ、ギャハハハ〜」

「どうすれば事業を大きくできるのか教えてあげまショーか、謙虚に頭を下げ続けるコト、ぼく分かりませーん教えて下さーいと言えばいいノヨ!?」と、露骨に見下される会話が増えていった。

 

力関係は大逆転、出会ったあの頃の、夢を語り合った二人はもういないのだと自分に言い聞かせた。

 

ファッションショーが行われたというニュートレック本社の現在

日本の建築テイストを取り入れたモダンなデザイン、タイルの剥げ落ちが20年の歳月を物語る

 

私の方はといえば小さな工場をスタートして、アイデアを横流しされている事を承知で地道な制作活動を行うしかなくて

早4年が過ぎようとした。

その4年の間、ニュートレック内でも色々と変化があったようで、あのビューティーな秘書&事務員軍団は全員まとめて退社したと知らされた。

シャトラからの事後説明によると、リーダー格である元銀行員が作業員とお客さんを引き抜いて独立謀反を企てたそうな

「この会社をBIGにできた理由は、アテクシが銀行融資を工作したからよ!」って事だろうか?

それとも一見バカに見えるシャトラよりも、美しく頭脳派の自分ならばもっと儲けるのは容易いと思った?

他のセクシー秘書たちも報酬に不満があったのか「リーダーに心臓を捧げる!」と言って付いて行ったらしい。

「あの人たちの新しい会社、一年も持たずに空中分解して消滅したよ、フン!」と鼻で笑って知らせてくれた。

 

そんなある日、日本の電話にシャトラからの連絡が入った。

「ワタシ今、東京にいますデスヨ、ムガさん来れますデスカ? 勉強になると思いますデスヨ」

心なしか声が震えている、昔のリスペクトしてくれた頃のシャトラの声を聴いたようで懐かしく感じた

何の話かと思えば、志村氏が企画した東京デパートでのイベントに参加するのだという。

この日のために夫婦二人と田舎のタイ人二人、合計四人で短期VISAを取得して訪日しているというではないか(当時タイ人女性の訪日条件は厳しかった)

イベントでは田舎タイ人による制作デモンストレーションを行うのだが、その世話役として呼ばれたという

まるで私への気遣いで電話してくれたかのように感じて「行く行く!」

二つ返事で飛行機に飛び乗り、東京郊外のデパートへと向かった

昔の屈託のないシャトラに会えるような錯覚にとらわれてもいた

 

さてイベントの初日だが立地が東京都だけに館内はお客さんでごった返していた

ホームページで見た事のある志村氏の特徴ある顔はまるで中国系タイ人のよう

ひときわ異彩を放っていてすぐに確認できた

驚く事に、遠くから私の顔を見た彼は一瞬止まって、そしてこちらに向かって歩いてくるではないか

「イカン、顔バレしていた!?」

そして思いっきり眉間に皺をよせ威圧的な態度で、火花が散るような敵対オーラを放ちながらスローモーションですれ違った

「東京に来るなら来てみろ、徹底的に潰してやるからな」

彼の殺気ある鋭い目線からメッセージが伝わり、その時点で温厚な大人物だというシャトラ人物評が脆くも崩れ去った。

「やはりそうか、大人物でもなんでもない、何処にでもいる商売敵の行動論理じゃないか」

このイベントに掛ける彼の気迫を感じると同時に、大人物然とした寛容さはジャック&シャトラを抱き込むための単なるポーズだったと知れた。

 

その晩はシャトラと喫茶店で待ち合わせして軽くミーティング

開口一番、仕事への愚痴が始まった

「ああ~!脚が痛い!、立ちっぱなしですよ~、椅子もなくしゃべりっぱなし!」

「も~なんで? アト6日もあるし、私はスタッフじゃないのに〜?」

富士山よりも気位の高いシャトラに立ち仕事をさせるなんて、なかなかの仕打ちだなと感心した

そして不満の矛先は社長の志村氏へと向かった

「あの、シャチョーはダメよ! 私たちを下に見てる」

なんでも朝のミーティングの時に「ハイ!タイ人たちもこっちへ集まりなさーい!」と

手をパンパン!と叩いて下僕でも呼ぶように命令されたのが許せないと青い顔で訴えている(;^ω^)

「私たちもシャチョーですヨ! スタッフじゃないですヨ!」

今や総勢60人のビッグボスであるゾヨ、というプライドが燃え盛っているかのようだった。

「何よ、売る人たちと一列に並ばせて!ヽ(`Д´)ノプンプン」

 

そのシャトラの激高を見て「志村氏も失敗したな」と思った

身分社会で生まれ育ち、気位の高いタイ人を怒らせたら終わりだ

今回の志村氏のぞんざいな態度により「俺のおかげで今のお前がある」そう思っているのが見透かされてしまったのだ。

購買能力ゆえにジャック&シャトラを下に見て、スタッフ扱いしてしまったその反動たるや

一番痛い時に一番痛い形で陰険な仕返しを食らうことになるはずだ

しかし大借金を抱えるタイ人夫婦であるからして、はたして私の時のように志村氏に倍返しできるのだろうか…

 

その懸念が的中したのか、その後は志村夫妻の噂話を頻繁に聞く事となる

「志村さん、最初はドコのお客に売っても良いって言ったのに、僕の商品は誰にも見せない、と、イイマチタ!!」

「志村さん、新しいお客さんが何処の誰なのかを僕に報告しなさい、と、イイマチタ!!」

このような愚痴を聞くたびに「おまえ、過去に何をやらかしたんだ?」と言いそうになって絶句した。

「東京は人口が多いから問題ないのかと思ったよねぇ」と理解を示すものの

やはり多額の借金を抱える事で逆らえない立場になったシャトラは首根っこを押さえつけられているわけで

腹が立っても志村氏に倍返しするのは難しいようだった。

 

またある時「志村さんがカワイソウ~」という

何が可哀想なの?と質問してみれば、とんでもない話が飛び出る

「奥さんの聖子さん、今はタイのコンドーにずっと住んでマスけど、もう恋人がいるのよ、頭痛いヨ~」

「は??、志村さんは奥さん大切だって言ってたよね?」

「そう、僕のお姫様だって言いました、だからカワイソウなの~」

オイオイ、俺にそんな話してどうするってんだ(;^ω^)・

とも思うが、過去にシャトラが私に対して何を行ったのかを熟知している志村夫妻である

シャトラの謀略を警戒して、お目付け役として奥さんがタイに常駐するのだろうと理解した。

 

そして、今度は質問してもないのに奥さんの噂が始まった。

ナイトバザールのショーに出演する筋肉ムキムキの黒いムエタイボクサーと熱愛中だという話だった

「志村さんは日本で頑張ってお仕事してるときに、あの聖子さんと来たら・・」

「子供がいない夫婦だしね…しょうがないかな」そう答えるしかない

― 恐るべし、やっぱり怒らせると怖いわ… ―(;・∀・)💧

私が知るくらいだから、もしかして関係者一同の共通知識?

そう思って、うちのスタッフにも話を振ってみたが、案の定知っていたww

まあ狭い社会なので秘密だと思っているのは自分だけで、衆知の共通認識だって話は多い

話はズレるが、タイ国では日本企業の駐妻たちの情事はよく聞く話で、特に運転手との禁断の関係はネットでよく目にする。

当事者の運転手がベラベラと自慢話で拡散するので隠しようがないという

ましてタイ国は世界一の浮気国だというし、離婚率だってダントツに高い

聖子さんとて子供のできない旦那を見限って、生命力溢れるムキムキマンに魅力を感じたとて不思議ではない。

もちろん、シャトラがムキムキマンを差し向けた可能性も否定できないが……(;゚д゚)ゴクリ…

 

イメージ画 

 

話を戻そう

私を踏み台的に利用することで、圧倒的な購買力のある志村氏等新客をゲットしたシャトラ

「人生勝った」とばかりに有頂天になっていたが

あの時

東京のデパートで志村氏から見下されて冷遇されたと感じたシャトラは

私を東京まで呼びつけて何を行ったのか?

それが次第と明確になっていった

「ムガや他のお客さんと組んで東京マーケットに乗り込んでも良いんだぞ」いうカードを志村氏にチラつかせたのだ。

なんとしてでも交渉権を維持して有利な立場に君臨したいシャトラ

それで、あの志村氏のイラついた表情・・・

この4年間のニュートレックの運営の中でも、数々の愛憎劇が繰り広げられたのだろうと想像できる。

 

かくして、どこまでも人を道具として利用するシャトラの心根を直視して

それを再確認するに連れて、自然と彼女に対して人間的な魅力や可能性を感じなくなっていく私

「そろそろ袂を分かつ時が来たかかな」そう思うようになっていた

ならばやることは一つ、生き残りのために行動するのみである

 

第2本社跡 現在の持ち主には建物への愛着もなく荒廃したまま放置されている

誰がどのような思いで設計したのかを知られることもなく歴史に埋もれてゆく

 

つづく  かもしれない

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