知花ときわ会

知花地域の活動と各地の情報を広く紹介し、情報共有することで地域活性化に繋げようと、このブログを開設しました。

沖縄の年中行事【3月・4月】

2022年02月28日 | ★歴史・伝統・文化

【3月】
◆二月ウマチー

 (旧暦2月15日)3月14日(金)

 沖縄諸島で旧暦2月に行われる麦の初穂儀礼。祭日はほとんど2月15日だが、『琉球国由来記』にはく二月中 公所(こうしょ)(首里王府)より日を撰び、諸間切(しょまぎり)(市町村)根所(にぃどぅくる)(村落の草分筋(くさわけすじ)の家)にて各ノロ座して祭祀(さいし)する。遊二日(2日間神遊び)〉とあり、15日に固定していなかったことを示している。

本部町具志堅では海砂を屋敷にまいて清め、当日、各家で麦穂を家の壁に差し、酒を火の神・仏壇に供えて五穀豊穣を祈願。宗家(ムトゥ)では、おこで(門中の祖霊神につかえる神役)が神棚に麦を三筋供えて祈願する。村ではノロ、根神などの神人が殿、御嶽に同趣旨祈願をする。
 
このように二月ウマチーは、家・門中・村の各レベルでなされるが、村によっては各レベルのどれかを省いているところもあり、また二月ウマチーのない村もある。宮古・八重山では麦穂祭は3月に行われる。

 【御願する対象】ヒヌカン・トートーメー
 【お供え物】   麦の初穂(現在では米)、線香


◆屋敷ヌ御願
  (旧暦2月中の吉日)

屋敷を清め、邪気の侵入を防ぎ、一家の繁栄や無病息災などを祈願する行事。
旧暦2月と8月の年2回、又はこれに12月を加え年3回行われ、内2月は年の初めに際し、一家の加護を願うものとされ
彼岸までに済ませるとする例が多い。

家庭ごとに屋敷内の各所を巡拝するが、拝む場所は、屋敷の四隅・門・ナカジン(屋敷の中心)・井戸・フール(豚舎兼便所)・火ヌ神・床の神などで、屋敷内にフンシー(屋敷神)を祀る家はこれも拝む。屋敷の四隅とはニーヌファ(子の方角・北)、ウーヌファ(卯の方角・東)、ウマファ(午の方角・南)、トゥイヌファ(酉の方角・西)と言われる。又、門は右、左、中の3箇所を拝む場合もある。

御願する対象】ヒヌカン・屋敷の中心や四隅・門・井戸など
お供え物】 ウチャナク、酒、花米、白紙、線香


彼 岸 (春分を中日とする7日間)
3月17日(月) 
 
 旧暦2月と8月の年2回行われる祖先供養のまつり。『琉球国由来記』に く春分秋分ノ初日ヨリ、三日ニアタル日ヲ始トシテ、其後七日ヲ仏氏名ヅヶテ彼岸トイフ〉とある。
 
餅を含む重箱料理と酒を仏壇に供え、紙銭(ウチカビ)を焼いて祖先供養とともに災難除去、健康祈願を行う。琉球全域に分布し、春秋とも祭祀法は同じというところが多いが、秋の彼岸はしない村もある。本部町具志堅のように、春は門中の宗家で祖霊をまつり、秋は墓前で行い、墓の周囲を掃除したりする例もみられる。旧来は宗家に集まった例が多かった。石垣島の大浜ではこの日、子どものへその下方に灸をする慣わしがあった。

 
御願する対象】ヒヌカン・トートーメー
お供え物】 重箱(餅・肴)、ウチカビ、酒、線香



浜下り(はまうり)
  
(旧暦3月3日)3月31日(月)

 海浜に下りて災厄を払い清める習俗、または旧暦3月3日にご馳走を持って浜辺に行き、潮に手足を浸して不浄を清め、健康を祈願して楽しく遊ぶ行事。前者は、小鳥が部屋に飛び込み、特に位牌などに止まったりすると、その災厄を払い清めるため浜辺の小屋で3日3晩過ごした習俗。後者

はたんに〈三月三日〉(さんがつさんにち)ともいい、重箱にご馳走を盛り、祖霊に供えた後、浜辺に下りてお重のご馳走を食べながら潮干狩りなどして過ごす行事。

その由来として、美男に化けた蛇に犯された娘が浜に下りて身を清めたという〈アカマタ伝説〉が伝えられている。部落の老若男女が総出で浜辺で過ごす地域、女性だけが浜に下りて1日を送る地域などがある。那覇近郊では女だけで船遊び(流れ船)をした後、芝居見物をする風習もみられた。

 
【御願する対象】ヒヌカン、トートーメー     

【お供え物】三月御重( サングヮチウジュウ)、三月菓子(サングヮチグヮーシ)

 


【4月】

 清明祭(シーミー、ウシーミー)4月4日(金)
 
旧暦3月の〈清明の節〉に行う祖先供養の行事。

『球陽』尚穆王17(1768)年の項に、<2月12日、始メテ毎年清明ノ節、上、玉陵二謁シテ奉祭スルコトヲ定ム>(原漢文)とある。この年以降、行われるようになったと考えられる。首里士族を中心に普及、次第に地方農村へも伝播していったが、士族だけにとどまっている地域もみられた。

清明祭は神御清明と清明祭に区別される。通常いう清明祭はトーシー墓(現在使用中の墓)を対象に行う墓前祭で、門中やハラ(沖縄本島地域で同一先祖から出た男系血縁集団)によって酒、重箱料理を供えウチカビを焼くなど神御清明と同じ。神御清明の後の清明の節中に行い、地域で日を決めてー斉に行うことが多い。

【御願する対象】 墓
【お供え物】 ビンシー、果物、線香12本(2組)3本(人数分)、重箱料理(ウサンミ)2重、餅重(奇数の餅)2重、お菓子(饅頭など)奇数個、水、  お茶、花、ウチカビ

 


 三月ウマチー
(旧暦3月15日)4月12日(土)

 麦の収穫感謝祭をいう。沖縄諸島では一般にウマチーというが渡名喜島でウフウユミ、久高島でマッティ、宮古では麦プーズという。祭日は旧暦3月15日であるが、久高島のように3月中旬のミンニー(壬癸)というところもある。

本来、年ごとに収穫期をみて3月中に祭日を決めていたものであろう。本部町具志堅では空豆とエンドウの収穫祭、糸満では麦の収穫祭とともに海上安全・大漁もあわせて祈願するが、村落社会にあわせた変容である。麦作のない地域ではこの行事はない。村落レベル・門中レベル・家レベルで行うところもあるし、それらの組合せもある。村落レベルでは、神役や村の有志が御嶽やノロ殿内で、麦や麦料理などを供物として感謝の祈願を行う。門中レベルではおこで(門中の祖霊神につかえる神役)が、家レベルでは主婦が中心となる。


知っておきたいミニ知識

▼トートーメーとは  
 トートーメーは、本来は尊いもの、すなわち「尊御前」の意。「月」を表すこともあるが、今日でもっぱら位牌のことをいう。ただし、特定の形式の位牌をさす言葉ではない。 また、首里地域では、位牌を「トートーメー」というのは子どもの言葉、あるいは通俗的な言い方とされ、一般には(ウ)イーフェー」(ウ)グワンス」などと言った。

16世紀の初め頃には首里那覇の上流階層ではすでに位牌をまつっていたとされるが、一般に広まるのは17世紀後半から19世紀になってから。18世紀頃には各家庭で位牌をまつるよう王府が指導し、次第に農村部でも行われるようになった。しかし、地域によっては近代にはいってから家々で祖先の位牌を仕立ててまつるようになった例もある。

〈文/沖縄国際大学・沖縄大学非常勤講師・稲福政斉〉        

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