【11月】
◆カママーイ(竃まわり)
(旧暦10月1日)
沖縄本島とその周辺離島で旧暦10月1日におこなわれる部落レベルの年中行事。
恩納村谷茶では旧暦9月9日、火事にならないようにと区長たちが各戸の竃(火の神)を巡視する。その前に各戸では竃をはじめ屋敷内外の掃除をおこなう。
ノロたちが部落の御嶽・殿と呼ばれる拝所で、火が出ないようにと祈願することにより〈ヒーマーチの御願〉と称する部落もある。玉城村糸数ではヒーマーチの御願(旧暦10月1日)と竃回り(旧暦12月1日)に分かれている。読谷村座喜味ではカンカーウスメー(5、60歳の老人)が各戸を回ったという。
かっては村役人が各戸の竃、屋敷の清掃がされているか巡視したという。本島北部では、この日をキリシタンチョーと称し、区民が公民館などに集まってこの1年間に生まれた子どもの報告をおこなった。玉城村中山、糸満市喜屋武でも同様の行事がある。
【12月】
◆冬至(トゥンジー) 12月21日(土)
トウンジージューシーは冬至の日に行われる行事。
各戸夕食時に火の神や仏壇に田芋を入れた雑炊(トゥンジージューシー)を供えて冬至折目(おりめ)の報告をするだけという地域が多い。中には家族の健康・繁栄を祈るところもある。7品(田芋・昆布・肉・カマボコ・ニンジン・ネギなど)でチンヌクジューシーをつくる地域が多いが、ところにより、ターンムニーやピサシズーシー(豚肉入り雑炊)であったりする。『琉球国由来記』にく聖上、玉庭に於て北極を拝む》とある。沖縄本島中部の具志川では日の出時に冬至馬小(トゥンジーンマグワー)をみるといって東天を拝んだというが、他の地域からの報告事例は聞かない。冬至のことを正月ガマ(宮古)、冬至正月(与那原町板良敷)、冬至元旦(与那国)ともいい、雑炊を食べたら年齢が1つ増えたのと同じといわれた。こ。れは古く中国の暦法で冬至をもって暦を改めたことからきたものと思われる。
知っておきたいミニ知識
■供えもの④
●ウチャヌク・ウチャナク
ウチャヌクはウチャナクとも呼ばれ、白い丸餅を大・中・小の3段重ねたもの。3段にした餅を3つ、すなわち9個を一組として供える。ウチャヌクは、御嶽やカー(井
泉)などを拝むときや屋敷ヌ御願などの代表的な供物で、これらの行事の時期になるとスーパーマーケットの店頭でも販売されているのを見ることができる。
ウチャヌクという名称は、古い時代に茶菓子や軽食の類を「お茶の子」といったことに由来するようである。鎌倉中期ごろ、中国伝来の禅宗が日本でささかんになるに従い、禅寺で行われた中国式精進料理の「点心」という間食の風習が知られるようになり、これが室町期には「お茶につき従う子のようなもの」という意味から「お茶の子」と呼ばれるようになった。江戸期には「茶の子餅」といって軽食用の餅を行商する者もいたという。
もともとは茶菓子や軽食を意味した。「お茶の子」の語は、沖縄に伝わると重箱や膳料理などに比べで軽いということからであろうか、餅や菓子などの供物を指すようになり、やがてその中でもさかんに使われた3つ重ねの丸餅の呼称としで定着したものと思われる。なお、他県でも彼岸などの仏事で供物や配り物とする団子などの菓子類を「茶の子」という地域がある。
また黄・赤・白の色紙を敷き重ねた上にウチャヌクをのせ、正月の供物として仏壇や火ヌ神などに供えたとき、ウトゥシジャマ(御歳玉)、カガンデーなどと呼ぶことがある。カガンデーとは鏡餅のことで、古くは日本でも正月に供えたり贈ったりする丸餅いわゆる鏡餅を「歳玉(としだま)」といった。時代が下ると贈り物のほうは餅から金品にかわり、これが現在われわれのよく知る「お年玉」である。
つまり、ウトゥウシジャマの語もまた、古い時代の名残をとどめたものといえる。
■トゥンジーソーグヮチ(冬至正月)
冬至とは、天文学的には太陽が最も南寄りになる瞬間をいうが、一般的には一年の中で最も日の出から日没までの時間、すなわち昼が最も短くなる日として知られている。つまり、逆の言い方をすれば、冬至以降は日ごとに昼の時間が長くなっていることから、太陽は冬至を迎えれば新たに力強く生まれ変わり、これと同時にすべての生命も生き生きと蘇ると考えられた。
不遇が続いた後、一転して運が向いてくることを「一陽来復(いちようらいふく)」というが、これは「一陽復(ま)た来(きた)る」と読み、本来は中国の古典『易経(えききょう)』にみえる冬至を表す語であり、「陰の気は10月に極まり、11月の冬至を境にして再び陽の気が訪れる」ことを意味するものである。
また、一年間を24に分けて表した二十四節気の中でも、冬至は特に重要視され、旧暦(太陰太陽暦)は冬至のある月を11月にするという大前提のもと一年の暦が組み立てられており、古くは冬至の日を一年の始まり、すなわち元日とする暦が用いられていた。
沖縄にトゥンジーソーグヮチ(冬至正月)という言葉があり、トゥンジージューシー(冬至に祖霊に供える炊き込みご飯)を食べれば年を越したも同じ、などと言われてきたのは、こうした中国の古い習俗に由来するものである。
なお、中国をはじめ、日本や沖縄など東アジア一帯のみならず、太陽の復活と生命の再生の日として冬至を祝う風習は、世界各地に広く分布している。今では宗教的なものを越えて世界的な年中行事となり、年末のイベント化した感のあるクリスマスも、古い時代に北欧で行われていた冬至祭が、そのルーツのひとつとされている。
〈文/沖縄国際大学・沖縄大学非常勤講師・稲福政斉〉