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知花ときわ会

知花地域の活動と各地の情報を広く紹介し、情報共有することで地域活性化に繋げようと、このブログを開設しました。

第5回おきなわカップ -福大大濠 優勝-

2006年03月27日 | ★街のトピックス
第5回沖縄市長杯高校バスケットボールおきなわカップ(同実行委員会主催)が3月25日・26日、沖縄県総合運動公園メーンアリーナで開催され福岡大大濠が優勝した。今回、初めて外国チーム(台湾)が参加し、大会内容も関心が集まった。(結果は以下のとおり)



3月25日
北中城 68   67 安楽(台湾)
興南  95   82 兵庫県選抜
洛南(京都) 87  70 安楽(台湾)
福岡大大濠 76  57 興南
洛南(京都) 94  90 北中城
福岡大大濠 113  73 兵庫県選抜

3月26日

5位6位決定戦
 安 楽(台湾) 91 - 89 兵庫県選抜

3位4位決定戦
 北中城 91 - 71 興 南

1位2位決定戦
 福岡大大濠 104 - 66 洛南(京都)

【個人賞】
 ▲最優秀選手賞 酒井祐典(福岡大大濠) 
 ▲敢闘賞    湊谷安久司朱(洛南)
 ▲ベスト5   池原慶紀(北中城)、狩俣昌也(興南)、久保田遼(福岡大大濠)、松崎賢人(兵庫県選抜)、劉偉仁(安楽)








 ▲安楽高校(台湾チーム)


 ▲安楽高校スタッフと安里幸男監督(美来工科高校)






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美里中アンサンブル 全国大会で見事金賞 受賞!

2006年03月26日 | ★街のトピックス

3月21日(火)第29回全日本アンサンブルコンテスト/(社)全日本吹奏楽連盟主催が岩手県で開催され九州代表の沖縄市立美里中学校アンサンブル代表が見事金賞を受賞しました。

同大会は県予選に続き全国11ブロックの選抜で勝ち抜いた団体が参加しており各ブロック2団体、合計22団体(中学の部)の中から金賞・銀賞・銅賞が選出されます。
内容
金賞7校、銀賞9校、銅賞6校  第29回全日本アンサンブルコンテスト
★金管8重奏メンバー
・トランペット   田島早織・呉屋なつき(3年)
・ホルン      仲本夏樹・石原いのり(3年)
・ユーフォニアム 高江洲かおり(2年)  
・チューバ     山城夏輝(2年)
・トロンボーン   花城麻樹(3年)・池原彩弥(2年)

演奏曲
・二つのニグロスピリチュアルより「嵐はつづく」



 ▲第30回沖縄県アンサンブルコンテスト(うるま市民劇場)


▲金賞受賞(全国制覇)を沖縄市長へ報告


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アガリガー (井泉1)

2006年03月24日 | ★文化財

字知花知花原、美里中学校の西側約100メートル、個人住宅地内にある。アガリガーは知花の村建て以来、水質は余り良くなかったが村人の生活用水の重要な供給源であった。そればかりでなく、子供が産まれて名前をつける、いわゆる「ナージキー」の時にはそこから水を汲んできて名前をつけるという大事なウブガーであり、また祭りの時に出す「シーシガナシー」の顔もここから汲んだ水で拭いて清めるという神聖なカーであった。旧暦の8月14日の行事で拝んでいた。


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ユナガー (井泉2)

2006年03月24日 | ★文化財

字知花後原、国道329号線を知花城址向けに7~80メートルほど行った所の右手、知花に隣接している。
ユナガーは「ヌールガー」とも呼ばれているように、その昔、ノロが使っていたことからその名がついている。また、ユナガーから溢れて下方に流れ出た水溜りは、ノロ(一説に按司人)が手や足を洗うところであったという。知花では「アガリガー」と共に最も神聖な拝所となっている。拝所には「火の神」と形だけの手足洗い場を示すコンクリートの小池も設けられている。知花ノロ殿内の下方に位置する

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フクマガー (井泉3)

2006年03月24日 | ★文化財

字知花後原、知花グスクの東方50メートル、農道沿いにある。自然に涌き出ていた泉で、この辺に「ウフンダカリ」村があった時から戦後まで使用されたが水質は余り良くなかった。もともと石積みてであったが、昭和18年金城徳さんが区長時代に井戸(チンガー)にした。その後、再度昭和62年9月3日改築した。旧暦の8月14日の行事で拝んでいた。

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カーグワー (井泉4)

2006年03月24日 | ★文化財

字知花後原、知花グスクの南西、ウフガーラとワタンジャーガーラとの合流地点近くにある。隣接して県企業局のポンプ場がある。もとは松本村(大村渠村)のウブガーであったが、松本が現在地に移動して以後は知花の村人が使用したので、現在では知花が拝所として整備し拝んでいる。かつては石畳、石積みのきれいなカーであった。ニーガンヌールが仕立てた井戸であるため「ニーガンウカー」とか「イカンガー」とも呼ばれている。旧暦の8月14日の行事に拝んでいた。カーグワ―は県の河川改修工事のため、土手の下に埋没したので拝所の位置は少し変更されている。

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ナーカントーイジュンガー (井泉5)

2006年03月24日 | ★文化財

字知花後原、当山のシチャヌカーともいい、知花高橋の下流およそ100メ-トル、屋号、当山の後ろあたりにある。石積みはなく、ウフガーラの土手の下から湧いていたが、川の水が混入するので飲み水には利用されず、クディングワが着物を洗濯した場所と言われている。旧暦の8月14日の行事で拝んでいた。現在は、拝所としての整備も不充分で、川の土手に四角の水タンクを置いただけの拝所となっており、進入路も雑草がはびこって入りにくい。

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シチャウジュンガー (井泉6)

2006年03月24日 | ★文化財

字知花当原、メーヌカーガー橋の西方約100メートル、新しいシチャウジュンガー橋のすぐ下流にある。背後はゴーチと呼ばれる風水山であった。知花で一番立派な石積みの泉で、水量水質共に優れ、戦前から戦後にかけて最も多くの人々が利用された。お正月の若水もほとんどがこのカーの水を使用した家庭が多かった。このカーは1960年(昭和35年)から平成6年まで、知花・松本両部落の簡易水道の水源地として永く使用され、大かんばつにも水がかれることなく乗り切ることができたありがたいカーであった。旧暦の8月14日の行事で拝んでいた。平成6年9月、現在のように拝所として立派に整備された。

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メーヌカーガー (井泉7)

2006年03月24日 | ★文化財

字知花原、メーヌカーガー橋に隣接、川の東側にあった。

このカーも石積の立派なカーで比較的水量水質とも良く、付近の多くの人々に利用された。ところが河川工事で川筋が変更され埋没してしまった。そのため、現在ではマンホールのような形だけの拝所となり整備は不十分である。すぐ近くのメーヌカーガー橋はこの辺ではめずらしい立派な三連橋(三重橋)で、屋号西り兼島の島袋三郎氏が美里村長時代の明治の終わり頃に造られたという。現在では一番東側の大きいアーチ橋だけが残って、あとの二つは埋め立てられて宅地造成され跡形もなくなってしまい、かえすがえすも残念至極である。沖縄市の文化財としてしてされた「カフンジヤー橋」より少し古く、しかも構造的にもかえって勝るとも劣らないと思われるからである。

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知花古島のカー (井泉8)

2006年03月24日 | ★文化財

知花ムラの古島である福地原(現倉敷ダム付近)には知花の祖先の人たちが利用し、大変恩恵をこうむったカーとして「ガマンメーヌカー」と「カディカルガー」のニか所があった。や門中のカーメーには現地まで行って拝むことは容易でないので、やむを得ず知花グスクの神アサギ付近からウトゥシ(遥拝)しているのが現状である。

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ハルタジガー(イーヌカー) (井泉9)

2006年03月24日 | ★文化財

字知花当原、知花高橋の上流約100メートル、屋号新仲元の川向こうにあった。
部落の上にあるので「イーヌカー」とも呼んでいる。カーは昔、立派な石積みで水量や水質も比較的に良く、最近までかなり利用された。現在は県による河川改修工事のため埋没消失し、その補償として平成3年9月、近くの土手の上に移動して拝所として整備されている。池武当の村びともこの井戸を利用していた。旧歴8月14日の行事で拝まれていた。

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ウフガーラヌカー (井泉10)

2006年03月24日 | ★文化財

字知花当原、知花高橋の下流約30メートル、川の西岸にあった。以前は立派な石積みの大きな泉であったが、現在では土砂が埋まり位置の確認さえ難しい。従って拝所としての整備もなされていない。水量は豊富であったが、大雨になって水かさが増すと川の水が混入することが多かったため利用者は少なかった。

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ウスデーク

2006年03月23日 | ★歴史・伝統・文化

知花のウスデークは代表的な民俗芸能で、豊年祈願と感謝の奉仕の奉納舞踊として昔から継承されてきた。この奉納舞踊は、婦人だけでやる踊りで音頭取りの鼓と歌に合わせたり、右に合わせたり、前進したりしながら、手振りに合わせて踊るゆるやかなテンポではあるが壮重なところもある。毎年、旧暦の8月15日、あるいは旧盆の吉日を選んで行われる習わしになっているが、現在、知花、池原、登川、越来、旧上地、山内などで継承されている。
知花の場合は、音頭取りを先頭に壮年、若年と円陣や扇状になって、獅子を囲んで踊ります。獅子は青年会が担当している。獅子が納められている屋号ナーカウフヤーで獅子を清めた後に、獅子に続いて二列になって出発する。ゆっくりとした足取りで太鼓を打ち、歌いながら公民館まで歩いていく。公民館の広場では12曲ほどの鼓と鼓にあわせて左回りに輪を描きながら踊ります。
                      《参考資料》沖縄市の文化財第1集ほか
 

 

 

  

 

 

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現行の知花臼太鼓(ウフデーク)の歌詞

2006年03月23日 | ★歴史・伝統・文化

現行の知花臼太鼓(ウスデーク)の歌詞

1.〈いりは〉
  ◆今年八月や 遊び願たてて やんぬ八月や 良くぬ遊び

2.〈すゆいてんざなし〉
  ①すゆい天座なし むヽとまで千代まで うまんちゅぬまじり 拝でしりら
  ②くひなうざしちや うやぐみさあしが うたにまじりてど うすば拝む
  ③わやまぐぬなれや いちゃびけいさびが あねらわんうちに だいりみそり
  ④石川からかきて 与儀比屋根までや 美里ぬうめがなし うかきヘーじま

3.〈いちよ-〉
  ①いちんよしぐとや 身の上のたから 耳ぬにゆあきて ちむにとみり
  ②どかじさだみてど 舟んはらすゆる しんぶはじらすな ちむぬてじな
  ③はぢゆうみそみて 朝夕物事に わちむをさみゆる かなみともり
  ④にくさある人や にくさどんするな ちむぬ道しぢや ひるく明り

4.〈ほたるび〉
  ①ほたるびのかじに しみならてでんし うゆばらんともて しあんするな
  ②下からどならて すぐりゆんすゆる うゆばらんともて しあんするな
  ③てぬざある人や 世の中の手本 朝夕ちとみとて さたゆぬくる
  ④年のよてゝやり いたしらにゐるな 人事どんすりば たみどなゆる

5.〈いづぬき〉
  ①いづぬきぬ花や あんちゅらささちゅる わみんいづの事 ましらさかな
  ②あだきある花ぬ むてんさかりゆみ みむとふやぎやい 拝だびけい
  ③拝で拝んぶさ すゆい天座なし あしりぬかりらん うちゃやうどん
  ④あていをのながぐま しらひちさらち やまとめるひきぬ どんすはかま
  ⑤やまとめるひきや なまやぬがさりら しぢりふでとやい うちなすがい

6.〈あがりしぬだき〉
  ①あがりしぬだきや ほどやくさあしが うたぬけしむどし しちゃるびけい
  ②うちならすならす ゆちだきぬならす ならすゆちだきぬ うとぬっらさ
  ③たんちゃとくなちや かたゆだどなゆる 又んなるならば むとやわもん
  ④あだにがちでんし ゆすかけてひっい でんしむとびれや てとてひっい

7.〈ま-むぬは〉
  ①まむぬはぬちゆや またまゆかっらさ あかっゐるひねて ぬちゃいはちゃい
  ②心いさみゆる あしびなにいぢて かぢにすですがち あしぶうりさ

8.〈ぐしくぶし〉
①ぐしくから下りて さんとちぬかぢり たるにひかさりて なまでなちゃが
  ②ひかさりんあらん ゆしまりんあらん しぐく雨ふてど なまでなたる
  ③しぐく雨てしや かたときどふゆる ちゃはらふる雨ぬ ひざぬあゆみ

9.〈うんなぶし〉>
  ①うんなたきのぼて うしくだいみりば うんなみやらびぬ 手ふいつらさ
  ②りぐんいちはいや きしぬ花ぐくる かぢやすがなそて うでるしぢさ
  ③どりぬ王ともて ちむぬむちなしや ぎぢちかんヘェまや たからでむぬ
  ④ぬがくりさともて ゆだんどんするな あまくはたらきば たみどなゆる

10.〈さくむと〉
  ①さくむとのへびや だんずとゆまりる ゆいずらやっもと こまやみもと
  ②田ぬはたのペーくや ゐどいもちてむぬ ゐどのみやらびぬ くくんうざき
  ③かにんといてしや とらるといみそち 美里うめがなしに とやいあぎら

11.〈いしんみ〉
  ①いしんみの道や 寺のそばまでん
  ②かたでしやくびだち かたでしやさくとて
  ③おぬすびやさちから みやらびやそばから
  ④はい水にうりて 舟元にちきて
  ⑤みぬさいやすぬめ いとまざちぬくら
  ⑥ちむさいやすぬめ なはみなとまでん

12.〈いぢは〉
  ①男生れてん 女生れてん ゆだんさんもぬど わどやむっる
  ②ゆすぬいぬちゞや ゆすぬちじともな ゆすぬちじすゝて ゐちやねらん
  ③我身ぬいぬちじや 我身ぬちじともな 我身ぬゆしあしや さだみぐりさ
  ④かくちかくさらん 人のあやまちや いすじあらわりて わちむみがち
  ⑤どじんあしはらち かかんちゆくみて 遊びなにいじて あしぶうりさ

☆〈ハヤシ〉
  ◆今日んかりゆし あちゃんかりゆし あさてんかりゆし ちゃあかりゆし
  ◆遊びなぬ草や たがしなぐなちゃが 遊びせる人が しなぐなちぇさ
  ◆今日んかりゆし あちゃんかりゆし ちゃあかりゆし

§ 以上は現在、知花の臼太鼓(ウスデーク)のときに歌われている歌詞です。前回の1968年に「金城 徳さん」が語られたのと比較するとかなり変化していることが分かります。また、琉歌や「工工四」に照らしても、再考を要するのではないかと思います。   
       平成12年8月15日
         池 原 秀 光

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知花の獅子加那志

2006年03月23日 | ★歴史・伝統・文化

 知花には戦前、りっぱな獅子加那志があった。その獅子は屋号仲元の大工仕事をしておられた池原政次さん(清正さんの祖父)がお作りになったものであったか、この獅子は残念なことに昭和20年(1945年)の沖縄戦でなくなってしまった。 

戦後、今の古堅の屋敷にコンセットの区事務所があったころ、屋号殿内門小の島袋貞栄さんが区長時代(1952~3年)、大工をしていた屋号津波名古の仲村幸信さんが再び獅子を作ることになった。仲元の池原政次さんが作られた戦前の獅子は幸いなことに戦災を受けながらも、下あごの一部だけは残っていた。 

そこで仲村幸信さんは、この破片(下あごの一部)と民家の屋根の獅子を参考にして粘土で獅子の形を作り、これを見ながら苦心惨●の末、やっと完成させたという。そのときの材料は大川(ウフガーラ)のデイゴの木を使用した。しかしながらこの獅子もいつの間にか破損がひどくなりとうとう割れてしまった。

 そこで屋号仲元の池原清正さんは、戦前自分の祖父(政次)が作った獅子が戦災でなくなってしまったのを大変残念に思い、自分が獅子頭を寄贈す抑こ矢本港今し区長に申し出たのである。それは島袋寅次郎さん(屋号仲松尾)が区長時代の昭和46年(1971年)のことである。

池原清正さんと区長の島袋寅次郎さんは材料さがしと大工さがしで東
奔西走し、那覇にも何回も出かけた。材料はデイゴの木であるが、沖縄本島には獅子頭が作れるほどの大きなデイゴの木はなく、わざわざ久米島から取り寄せた。しかし材料は切り出してすぐに使えるものではなく、約2カ年ばかり乾燥させてから那覇市の開南通りの大工さんに作ってもらったという。

 この獅子頭製作に池原清正さんは200ドルの大金をかけて知花区に寄贈した。昭和46年旧暦8月15日の十五夜には獅子頭の完成をウスデークで祝い、記念撮影をして、その写真は屋号仲大屋に保管された。現在旧暦8月15日の十五夜の日に行われるウスデークの際、舞台で獅子舞を演じている獅子加那志がそれである。この獅子加那志は戦前と同じく未婚の雌獅子で、名前も同じく「カニク」という名である。

【平成12年2月25日 池 原 秀 光】

                       

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