(タクシーから見た景色。雨女kaori 今日も涙雨です)
卒業直前、娘はインフルエンザになりました。
学校に嘘をつく事で、学校に行かせる事も、卒業式に出させる事も出来たかもしれないけれど
そうすることで、いろんな人にうつす事になるし、何よりそんな無理がたたって
10日後に控える受験に影を落とす事はおろか、他の同じタイミングの受験者に対して
影響を出す訳にはいかないと、一旦娘には’卒業式参加禁止令’を出しておりました。
その後、担当医の先生とは、タミフルが効き始めて熱が下がり始めるタイミング等を細かく話し合い
時間単位で分析し、熱が下がってから24時間後、再検査の末、鼻粘膜からインフルエンザウイルスが検出されない事、
タミフルはちゃんと飲むこと、体調の変化には充分注意する事を条件に、卒業式への参加許可をいただく事になっていました。
このタイミングで回復するかも賭けなら
医者が許可を出しても学校が許可するかも賭け。
一瞬、と言うか。けっこうずっと
こんな真面目な経緯をたどるより、嘘付いた方が楽だったんじゃねえの?って思ってたよ。
正直。。。
結果、娘は最短の治療結果を出し、検査の結果、ウイルスは検出されず
その結果をもって、医者が登校許可をしたと言う結果を
私が卒業式前日、その結果をもって学校へ赴き、校長先生の判断を仰ぐと言う
まどろっこしいけれど真っ向勝負に出て
娘は、晴れて堂々と、卒業式に参加出来ました。
検査薬の結果が陰性だった時の、娘の笑顔は忘れない。
学年合唱の指揮も、無事やってくれました。
私の上海日本人学校の4年間も同時に卒業。
四年前、泣きそうになりながらタクシーに乗り
日本人学校に行ったのが懐かしい。
でも、泣きそうやったんやけどね。着けるかどうか不安で。
卒業にあたっての主人と私への手紙には
幼稚園の頃、犬にかまれてとても怖くて
慰める私の横で怒るばかりの主人が理解出来なかったけれど
今は本当に心配してくれていたんだと思える事
それから
私はブログにもずっと書いていたけれど
娘も家族離れて、また、大好きな友達とも離れての日本での進学は
今でもどこか納得は行かない事
でも、こんな友達と出会えたのはパパが連れて来てくれたからだと言う事
ママは、仕事がどんなに忙しい時でも、学校まで来てくれて
自分の高校進学に対して、一番理解し、行動してくれていた事
そんなママを沢山泣かせてしまった事
等
私の思いを代弁するかのように、つづられていました。
でも、最後に
仲良しの、パパとママが好き
と、しめられていた重さは分かってる。
この手紙は、3月8日に二人で日本に旅立つ時、
リビングの机の上に置いていこう。
なにより
卒業おめでとう!!