日本に居た頃、いや、正しくは子どもたちがまだ小さかった頃。
家のおもてには小さな花屋さんがあって、母の日にはいつも、子どもたちはその花屋さんにカーネーションを買いに行っていた。 時にはカーネーション一本にもならない小銭を抱えて行った時も、おばちゃんは、短くなったからとか何とか理由を付けて、子どもたちに母の日の花を売ってくれた。
おばちゃん夫婦に子どもは無く、和歌山市内に住んでいながら同じ紀南なまりの和歌山弁を話す私を娘のように、また、子どもたちを孫のように可愛がってくれた。 おもてに停まる幼稚園バスのお迎えに私が間にあわなくても、いつも、娘はおばちゃんの花屋でバスを降り、花屋の隅で遠慮なくおやつをもらっていた(*_*; 大体おっちゃんのパチンコの戦利品を食べながらおばちゃんが買ってくれたヤクルトを飲む。 バスの介助員さんは、本当におばあちゃまだと思っていた。
その後、おばちゃんの花屋の場所が変わっても、娘は母の日になると顔を出し、それが嬉しくておばちゃんは母の日をとても楽しみにしてくれていた。おっちゃんは、やっぱりパチンコの景品を袋に貯めて、私を見かける度持たせてくれた。その、特殊極まりないお菓子の詰め合わせを見て、娘はすぐに’やった!おっちゃん勝っとるわ!’と、嬉しそう。娘に持たせる時は’ママに言わんでええで’って言うんよね。最高の笑顔で答える娘。
そうか、あの笑顔じゃおっちゃん一生パチンコでお菓子もらうのやめられへんかったねぇ。。。
今年、今までで一番大きな大きな花束をもらいました。 やっぱり、娘が段取りをして、半額以上のお金をお兄ちゃんに要求するのは変わっていません。それでも、もちろんうれしかったよ。
また今年も母の日が来たけれど、おっちゃんも、おばちゃんも、元気やろうか?