六年生にしては飛びぬけて大きな子供だった。いっしょに遊んでいる子供の中で群を抜いている。
ジャングルジムで遊ぶゴリラ君?
「お父さんが大きいのね」
私は訊ねた。
男の子はちょっとためらったあと、「ううん。お母さんが大きいんだ」
夕方の公園。
子供が一人帰り、二人いなくなり・・・私もそろそろ帰ろうかなと思いながら、少年の人懐っこい態度に惹かれて、おしゃべりを続けていた。
つい最近、京都から東京に移ってきたのだと言う。私が関西から東京に出てきたのは、もうずいぶん昔だけれど、私の言葉にはあらわな関西アクセントがあって、ふたりとも親しみを感じたのかもしれない。
「名前、なんていうの」
君とか、あなたではよそよそしすぎると思って訊ねた。
「どの名前? ぼく、三回苗字が変わったんだ。生まれたときは○○。それから☆☆なって、それから母さんがまた離婚して結婚して、今は□□」
「かっこいい!」
「かっこよくないよ!」
少年は切りつけるようにいった。
ハッとしたけれど遅かった。次の瞬間、少年は、遊具を降りて駆け去った。
離婚や再婚はべつに悪くない。バツ一ふつう。バツ二やバツ三も、また、人生、と、いつの間にか思っていた。モラルに寛大で、時代のファッションにぴったりの人間!かも。
でも、それは大人のロジック?
ごめんね。私は心の中で、その子に謝った。
20年も昔の文章が出てきました。当時はまだ、神様がいらっしゃるのを知りませんでした。
ノアは、主(しゅ)のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちからいくつかを選び取って、
祭壇の上で全勝のいけにえをささげた。
主は、そのなだめの香りをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。
「わたしは、けっして再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。
わたしは、決して、再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。
地の続く限り、種蒔きと刈入れ、
寒さと暑さ、夏と冬、
昼と夜とは、やむことはない。」
(創世記8章20節~22節 ノアの洪水)