足湯のような浅い浴槽の温泉でしたが、熱い湯がふんだんに出ることがどれほど快適か知りました。
アゴーのゲストハウスも水シャワーでしたし、神学校の宿舎でも水に近いような湯しか出なかったのです。風呂はなし。水シャワーと事前に聞いてはいましたが、暑いフィリピンを想定していたのです。
そんなわけで、とりわけ、女二人は上機嫌で「風呂上がり」を、顔にクリームを擦り込んだりして楽しみ、休憩所で髪を自然乾燥させながら、「命の洗濯をしたね」と笑いあったのでした。
風が冷たくなり始めたころ、一行は車二台に乗り込みました。
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そこからは、山道を上るのではなく、山間の盆地に下って行くのです。
3時間ほどドライブして、ボギヤス村というさらに奥地の教会を訪ねる予定でした。
最初のうちは、下り坂の快適なドライブでしたが、とつぜん未舗装のがたがた道に入りました。
その揺れること!! 未舗装の道の揺れる感覚など、久しく忘れていました。
初めは笑ってキャーキャー言っていましたが、そのうちに、笑ってばかりいられなくなりました。
まるで、シェイカーの中の氷のようにあちこちに揺すられ、打ち付け、首が折れてしまうのではないかと思うほどです。
「せいぜいあと20キロくらいだから」と言われましたが、その道の長かったこと。
フラフラになったころ、真っ暗な山の中に、ようやく、車は停車しました。
あたりに大勢の人が懐中電灯を持って立っていて、降りるとかけ寄ってきてくれました。
男の人たちが、車のうしろから荷物を運び出しています。
はるか100メートルほど先に、ぽつんと明かりが見え、そのあたりにも人がいるのがわかりました。
足元から、建物まで古タイヤが飛び石状に置かれているのがわかりました。あたりは湿地らしくて水が見え、タイヤを飛びながら行くのです。こわごわタイヤに足を載せると、なんとやわらかい、古タイヤにしてもペコペコすぎるのです。
よろけた時、さっと手が差し伸べられました。私の胸くらいまでしかない小さな女の子で、片手にライトをもち、もう片手で私を支えて、走り始めました。
「こんな小さな女の子が」と思いましたが、その力の強いこと。彼女は水のなかを走って、リズミカルに私の「タイやとび」をリードしてくれるのです。
よろけても必ず支え、そのタイミングも抜群でした。やがて、建物の玄関に着きました。
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外階段から二階に案内されました。「ようこそ」とたくさんの手が差し伸べられました。
暗い部屋にお茶と食事が用意されていました。教会の屋根裏は、食堂と部屋が三つほど仕切られていて、手前の部屋が女性二人の部屋でした。入り口はカーテンで、ベッドらしきものも一つ、ひと目でかなり厳しい宿泊になりそうなのがわかりました。
お茶と食事のもてなしを受けて、階下の礼拝堂に行きました。日本のふた昔前の建築作業現場の小屋のようなバラックの建物です。
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大勢の人が集まって、礼拝を待っていました。
遠い国から来たゲストを迎えて下さる真剣な目が、たくさん注がれていて緊張しました。
もちろん、教会は、国籍や人種を超えた世界なのです。
私たちは、同じ主(しゅ)――「父なる神」の子どもで、みんな兄弟姉妹なのです。
「私たちの国籍は天にある」のです。
礼拝が始まると、すぐに、そのような一体感が会堂を満たすのです。
子供たちが大勢来ていました。 先ほど、私の手を引いて湿地を導いてくれた子はどの子だろうと思ったのかもしれません。何人かの女の子の写真を撮っていました。
部屋に上がる前、夜空を見上げると、なんと満天、天の川でした!
何十年ぶりに見る本物の星空です。