新幹線の中で自殺した男性について、私の個人的な意見を言うつもりはありません。
ネットのどこかで、
だれかが、「死ぬなら一人で死ね。人を巻き添えにするな」と書いていましたが、
それは、その通りなのです。
その通りですから、かえって、「そうだ。そうだ」と、はやす気にはなりません。
聖書に照らして、自殺を考えると、どうやらそれは「神の御心に反する」と私は考えるのです。
ただ、それでも人にはどうにもならない状況に追い込まれることもあり、
自死を選ぶ事が神の怒りに触れるなんてことも、
聖書には書かれていないのです。
人の世は罪に満ちていて、不公平は当たり前ですし、
生きているかぎり、悲しみや痛みはついてまわります。
自分たちでは、自分の功績だと思っている「能力」や「容貌」「富」なども、
自分で全部、勝ち取ったと言えるようなものではないでしょう。
聖書の神は、そのような不公平不完全な中で「泣く」人間を憐れみ、癒し、ご自分の御許で憩わせようと、
しておられるのです。
「泣くような境遇の人」というより、(自分の弱さに)「泣くことができる人」こそが、
神に招かれているのです。
なけなしのお金で切符を買い、灯油を買って、大勢の人の中で自分に火をつけようと準備をする
時間があったのなら、
神の前に、泣いて叫んで、助けを求めてほしかったと、願うのです。
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「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
私は正しい人を招くためではなく、罪びとを招くために来たのです。」
(新約聖書・マルコの福音書2章17節)
病人や罪びとであることを恥じる必要は、なさそうです。
神様の目からご覧になれば、すべての人は、病人や罪びとなのです。
ただ、それに気づくかどうかだけです。
もちろん、すべてのクリスチャンも、例外ではありません。
たまに、キリスト教会に来て、「病人がいる!」「罪びとがいる!」と驚く方がいますが、
それこそ、勘違いですね。
でも、神はおられます!!
死を思うのでしたら、その前に、ぜひ、キリスト教会に立ち寄ってみてください。