ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

聖書に照らして2

2015年07月03日 | 聖書




      新幹線の中で自殺した男性について、私の個人的な意見を言うつもりはありません。
      ネットのどこかで、
      だれかが、「死ぬなら一人で死ね。人を巻き添えにするな」と書いていましたが、
      それは、その通りなのです。
      その通りですから、かえって、「そうだ。そうだ」と、はやす気にはなりません。

      聖書に照らして、自殺を考えると、どうやらそれは「神の御心に反する」と私は考えるのです。

      ただ、それでも人にはどうにもならない状況に追い込まれることもあり、
      自死を選ぶ事が神の怒りに触れるなんてことも、
      聖書には書かれていないのです。


      人の世は罪に満ちていて、不公平は当たり前ですし、
      生きているかぎり、悲しみや痛みはついてまわります。
      自分たちでは、自分の功績だと思っている「能力」や「容貌」「富」なども、
      自分で全部、勝ち取ったと言えるようなものではないでしょう。

      聖書の神は、そのような不公平不完全な中で「泣く」人間を憐れみ、癒し、ご自分の御許で憩わせようと、
      しておられるのです。
      「泣くような境遇の人」というより、(自分の弱さに)「泣くことができる人」こそが、
      神に招かれているのです。

      なけなしのお金で切符を買い、灯油を買って、大勢の人の中で自分に火をつけようと準備をする
      時間があったのなら、
      神の前に、泣いて叫んで、助けを求めてほしかったと、願うのです。

                ★ ★ 


        「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
        私は正しい人を招くためではなく、罪びとを招くために来たのです。」
                          (新約聖書・マルコの福音書2章17節)


      病人や罪びとであることを恥じる必要は、なさそうです。
      神様の目からご覧になれば、すべての人は、病人や罪びとなのです。

      ただ、それに気づくかどうかだけです。

      もちろん、すべてのクリスチャンも、例外ではありません。
      たまに、キリスト教会に来て、「病人がいる!」「罪びとがいる!」と驚く方がいますが、
      それこそ、勘違いですね。

       でも、神はおられます!!

       死を思うのでしたら、その前に、ぜひ、キリスト教会に立ち寄ってみてください。