初めてロンドンへ行ったとき、まだよく英語も聞きとれないのに、スピーカーズコーナーへ行った。
観光案内地図を見ながらハイドパークのその場所に近づくと、
いる、いる、何組ものひとだかり。
黒山の人だかりなんて大きなものはなくて、
ちょっと人をかき分ければすぐに前に出られそうな円陣。
30年も昔だから、スマホなんか持っている人もなくて、どこかのどかな光景でした。
小さな箱の上とか脚立に乗って、見物人より少し高い目線で話している。
デモでも、運動でもないのでたいていは一人。ビラを配る人がついていたりしない。
当時は、ほとんどが男性のスピーカーだった。
人だかりが明らかに少ないスピーカーの前で佇んだ。
白髪の初老の男性で、くたびれたジャケットを着ていて、背中も丸い。
それでも、案外力強い声で、内容がそこだけ、私にもわかった。
「私はずっと独身で来た。妻や子供を養うなんてお金の無駄だし、人生を楽しくひとりで
生きてきたんだ。
すかさず、採れたてのリンゴのようにつややかな顔色の
若い男からヤジが飛んだ。
「よく言うよ、あんたは、妻子を養う金がなかっただけだろう。オッサン」と
言うようなニュアンスだった。
スピーカーの男性は、瞬間、悲しそうな顔になった。
私は、何となく彼を気の毒になった。
スピーカーはひるまなかった。
「キミにはまだ人生を語ることはできない!」、
すると、別の見物人が、反論した。
「家族を作ってこそ、人生だ」
笑い声が起こった。
● ◎ ◎
驚いたのは、スピーカーの男性が、だんだん生き生きしてきたこと。
くたびれた服も、乱れた白髪頭も、しわを刻んだ顔も、なんとなくそれゆえ、彼を
素敵な役者に見せている・・・。
なぜ、こんなことを思い出したのだろう。
何か言いたいのに胸にためている人がたくさんいる時代を感じたからかもしれない。
東京にも、スピーカーズコーナーをたくさん作ったらどうかしらと思ったりする。
ネットができない人も案外いるのだし、
だいいち、、現実に喋っている人と、丁々発止(ちょうちょうはっし)するって健康的ではありませんか。
え?! 日本人には向かない?ですか。