ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

枯葉道

2013年11月19日 | 歌う





       冬日来る 踏みしだかれた 枯葉道




         自然に死に絶えたものは、美しいですね。
        とりわけ、落葉樹の枯葉は
        素直な気持ちで愛でることができます。
       
        自然体で生きたいなどといっても、
        人は、そうはいきませんね。
       

         
       









菊かおる

2013年11月18日 | 歌う




        花びらは やっと半分 菊かおる


           菊って、折った指を開いていくように、花びらを開いていくのですね。

         「明日は咲くよ」と言っているのかな。

          明日も晴れるといいね。







    

ほほ染める

2013年11月18日 | 歌う



   


        ほほ染める 少女(おとめ)のように菊集い
       ほほ染める 少女のように菊集い
       ほほ染める 童(わらわ)のように菊集い



     半分捨て置かれたような畑の入り口に、小菊が咲き乱れています。


      「ほほ(頬)」は、「ほう」が本当かもしれません。
      広辞苑には両方とも出ていますから、間違いではないでしょう。
      「ほう!」なんて、ダジャレを言って笑っているさとうです。
      
      それにしても、「ほほ染める」も、もはや死語に近いかもしれません。
      コスメの進歩で、みんな血色がいいし、肌のくすみも、肌の赤らみも
      ファンデで隠すことができるし、
      赤くなって、もじもじして、引っ込み思案より、
      前に出る方が勧められてしまう世の中。
      明るく元気に、より大きく、より大きな舞台で!と勧められるのは、
      ある意味きついよね。

      ほっといてくれ、と言いたくなった時は、
      大きな声でそう言おう。
      でも、そう言いながら、やっぱり、赤くなったりして・・・。
      そんなキミが好きですと、イエスさまならおっしゃるでしょうけど。





          悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
                         (新約聖書・マタイの福音書・5章4節)












          

      


          
      
       

菊活ける幸

2013年11月16日 | 日記






         ごめんなさい まだみずみずしい 葉をむしり 
                           瓶に合わせて 菊活ける幸(さち) 





         私の幸せってこういう自分の「横暴」に支えられているんだよね、と、
         ちょっと切ないうれしさです。

         でも、食べ物も、着るものも、仕事も、お付き合いも、
         みんな、そういう交換があるような・・・。

         こんなセンチメンタリズムこそ傲慢かもしれません。
         神様は、すべてをご承知で天地万物をお造りになったはずですから。




         

         神は仰せられた。「見よ。わたしは全地の上にあって、種を持つすべての草と、
         種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。
         また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、
         いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」そのようになった。
         神はお造りになったすべての物を見られた。見よ。それは非常に良かった。
                           
                                 (旧約聖書・創世記1章29章~31節)