二月四日に出かけられなくて、残念だったこともあります。
それは、ベン・バランさん一家に会えなかったことです。
べん・バランさんのことは、ずいぶん以前にS先生の著述で知っていました。
生き埋め事故で一週間意識不明、目覚めたものの長いこと全身がマヒし、言葉もなく寝たきりだった男性です。
事故は一九八三年の秋、二〇〇〇メートルの山間での教会の建設中のことでした。
ベンさんがセメントに混ぜる砂利を集めていたとき、突然がけ崩れが起きたのです。
すぐに近くの小さなクリニックに運ばれましたが、手の施しようがありません。
先生たちは手分けししてお金の工面をし、マニラの大きな病院に移しましたが、酸欠だった間に脳が損傷して、回復の見込みはまったくないということでした。
ベンさんには、当時奥さんと二人の子どもがいて、事故後まもなく、三人目の子どもも生まれたのです。
しかし、まったく植物状態の夫に絶望した奥さんは、別の男性のところに走ってしまいます。
ベンさんの世話は、あちこちの教会に集う信徒たちが手分けしてすることになりました。
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やがて、教会が彼のために小さな家を建て、信徒たちが入れ代わり立ち代わり付き添ったのです。
三年目くらいから、ベンさんは少しずつ言葉を発するようになりました。
また、天井から吊り下げてもらったひもをつかんで、上半身を起こす練習をし、声も大きくなり、感情も表せるようになりました。
ベンさんを捨てた奥さんはその後、山で薪を集めていて木が倒れてきて亡くなりました。ベンさんの三人の子どものうちの一人の男の子も事故で亡くなっています。
ベンさんは悲しい知らせを聞くたびに、聖書の言葉で答えました。
「主(しゅ)は与え、主は取られる。主の御名(みな)はほむべきかな。」(旧約聖書ヨブ記1章21節)
東の国の長者ヨブが。十人の子どもたち全員と財産とを、一瞬にして失った時、発した言葉です。
二〇年近くも経ったころ、ベンさんは車いすに乗って働き始めたのです。
その様子を、S先生の文章からお借りします。
ごった返す人ごみの真ん中に割り込んで乗客を載せ、それぞれの目的地に向かう乗合の車に、乗客を呼び込む仕事です。喧騒を掻き分けて、車椅子を操り、人を呼び、車に案内し、運転手から何がしかの手間賃をもらうのです。わずかな収入ですが、これは彼の肉体と精神の健康の向上に、大きな力になったものと思います。でも聞いただけで、車にはねられはしないかと心配になったものです。
またこのころから、彼は市役所と交渉し、古くて汚れがひどいとはいえ、かなり広い建物を借りて、障害者の交流会を立上げ、その会長として活躍を始めていました。障害者たちが沢山集まって、団欒したり、手作業をしたり、励ましになるように様々なことを考えるとともに、障害者の地位向上のためにも活動していました。町の職員が感心するほどの彼の姿に、驚くばかりでした。
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二〇〇一年、S先生はお子さんの病気のためやむを得ず日本に帰国されたのですが、日本のS先生にビッグニュースが飛び込んできました。
ベンさんが障害者交流会に来ていた女性と結婚したのです。お相手は、一九九〇年のバギオの大地震で片足を失った三〇歳年下の女性でした。
まもなくベンさんと女性の間に、男の子が生まれました。それから二年ほどして、女の子にも恵まれました。
一度は、体の自由と家族を失ったベンさんは、なんと二十五年もの苦闘ののちに、ふたたび家族と新しい人生を手にしたのです。
聖書の物語の中で、ヨブも苦しみの逡巡のはてに、ふたたび家族と財産を回復するのですが、ベンさんの人生はまるでヨブ記のようだと、私には思えるのです。
今回、ベンさんは、奥さんと二人のお子さんを連れてS先生の講演先に会いに来られたのです。
残念ながら、さとうは、対面の写真を見るだけになってしまいましたが、この壮絶な話を、みなさんにもお知らせしたく、記事にさせていただきました。
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二月四日の午後は、結局出かけませんでした。
お腹の調子が悪くては、外歩きは落ち着きません。
部屋に一人で留守番するのは、旅行中ということを思えばもったいない気もするのですが、パソコンも聖書もあり、ネットはできなくても、写真の整理や書き物はできます。
部屋にはコーヒーカップとソーサー、電気ポットもインスタントコーヒーもあります。吉原先生の奥様が日本茶のティーパックも下さいました。
じつに、静謐な時間が約束されているのです。
まず、お祈りをします。
一人のフィリピン人の「兄弟」の写真を、ご紹介させてください。
アバダン教会での礼拝の朝です。
私たちは、まだ、会堂に入らず、庭や一階の駐車場のあたりで、ほかの人とあいさつを交わしていました。
その時、遠くから足早にひとりの男性がS先生に近づいてきて、うれしそうに手を差し伸べました。先生もうれしそうに彼の肩をたたいて、再会を喜び合っていました。
「この人はね。子供の時、日曜日ごとに、この山の向こうから礼拝にやってきてたんですよ。まだ、十一・二歳だった。親がいない孤児で、ここで食事をして帰って行く。毎週そうやって通ってきていたんですよ」
彼の名前はブルーノさんと言います。村の名はラシンガン、「動物をかこっている柵」の意味だとか。とにかく僻地の中でも僻地だったのです。馬も通らないけわしい山道を六時間かけて越えてくるために朝早く出発してくるのです。帰りには、集落の人たちの買い物をして、生活の足しにしていたそうです。
孤児だったブルーノ少年にとって、教会がどのような場所だったのか、その笑顔に現れていました。
S先生を見る彼の目は、十歳の少年の純真さそのものでした。
いえ、そこで初めて、彼が知った歓びの光だったのでしょう。
ブルーノさんは教会に来て、自分が孤児ではないことを「知った」だけでなく、生活の方便まで手に入れたのです。
S牧師は、彼に神様の愛を教えたのです。そうして、神様は彼をたくましく成長していく少年として導かれたのです。
同じ主(神様)にある兄弟姉妹として、彼は私にとって忘れがたい一人です。
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バギオは人口三〇万人、日本で言えば中都市ですね。標高一五〇〇メートルで、夏でも二五度を超えることはないそうです。
避暑地として開発されたというだけに、どこか垢抜けした雰囲気です。
じっさい大学も多く、日本人でもここの英語学校に留学する人もいるとか。
ただし、ここは(ルソン島全体が)台風の通り道です。
また、雨季には半端ではない「降り」だといいます。
さらに、地震もあります。
一九九〇年にはマグニチュード七・八の地震が起き、一六二一人が死亡し、数千人が負傷したと記録されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AE%E3%82%AA%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E9%9C%87
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私たち――吉原宣教師とS牧師とUさんと私は、キリスト教書店を後にして、カトリックのカセドラルの前で写真を撮り、一度、宿舎に戻りました。
ひと休憩後、女たちは吉原先生の奥様と地元の人が使っているマーケットへ。
S先生は、ある聖書学校での講演と地域の牧師会での講演があるとのことで、別行動になる予定です。
でも、なんとなく気が進まないさとうです。
せっかくの休日なのに・・・。
写真・バギオ大聖堂(カセドラル)
モールから見えた大学のひとつ
じつは、神学校の宿舎はちょっと古めかしいのです。
テレビは今どき奥行きのあるレトロな形ですし、ドアの鍵は鍵穴に突っ込んでまわすシャーロックホームズ・タイプです。
いちばん期待していた無線ランの設備がないのです。少なくとも、宿泊施設にはないということです。
どっしりしたりっぱな建物ですが、新しい設備を着ける余裕はないのかもしれません。
「ネットを使うなら、うちに来てください」と吉原先生のありがたいお申し出に甘えて同じ敷地内のお宅にお邪魔しました。
朝のコーヒーをいただき、メールをチェックさせていただきました。
さらに、奥様のお言葉に甘えて、洗濯物までお願いしてしまいました。
写真・宿舎を遠望する。4階から上が見えています。
レトロなテレビと大きすぎるワードロープ
職員住宅、二軒分です。ほかの場所にもあります。
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午前十時過ぎ、いざ、バギオの町へ。
とあるショッピングビルの駐車場へ車を入れて、ビルの中の中華料理屋さんへ。
まる一日何も食べていないさとうを気遣って下さったのでしょうか。
チャーハンやスープ、野菜炒めは、見た目も味も、中華料理と言うよりフィリピン料理?
食べてもおいしくありません。まだ、お腹が本調子ではないようです。
誰にも言えなかったのですが、その朝から、今度は、下痢が始まっていたのです。
食事のあとは、キリスト教書店に案内して下さるとのことで、別のビルに入っていきました。
フィリピンはキリスト教国ですから、キリスト教書店があってもふしぎではありません。
英語のキリスト教書物を買うのはしんどいですが、目当てはお土産になるようなグッズです。
例えば、しおりとか、御言葉(聖書のことば)カードとか、御言葉を書いた壁飾りなどです。
目指す書店は、なんと真っ暗です。広い店内は、ろうそくが積み上げた本の間などあちこちに立てられているのです。
「停電」でした。
昼間とはいえ、災害でもないのに商業ビルで停電があるのもちょっと驚きでしたが、めげずにろうそくを立てて営業しているところが、フィリピンスタイルと感心してしまいました。
日本なら、電気が止まったら、大騒ぎになって店は閉めてしまうでしょう。
でも、おかげで、その日しか買い物に行けない私たちは、お土産になるグッズをたくさん買うことができました。
午後は吉原先生の奥様が、マーケットに連れて行って下さる約束だったのです。
買い物で心は弾むのですが、どうもお腹の調子が良くないのです。
はて・・・。