ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

APTS(アジア太平洋神学校)

2014年03月18日 | 日記

 二月四日は、朝七時に目が覚めました。熟睡したので気分はすっきりしていました。
 私が起き上がって動き始めたので、隣のベッドのUさんも起きて、「おはよう。どう?」
 「すっかり気分が良くなった!」
 「じゃあ、今日はバギオの町に出かけなきゃね。お土産も買わないといけないし」
 「そうよね。まだ、何にも買っていない」

 そうなのです。フィリピン入りして九日めになります。四日の夜、つまりもう一泊バギオに泊まって五日にはマニラに向かいます。マニラで一泊して六日の便で帰国なのです。

 今回の旅行はいわゆる観光旅行ではなくて、フィリピン山岳奥地への宣教地訪問旅行でした。
 たくさんの教会を訪問し、「同じ主(しゅ)にある兄弟姉妹」――クリスチャンは、同じキリストの信徒をそのように呼びます――と出会い、祈り合い、喜び合う旅でした。
 
 グルメが目的ではありませんが、グルメもあり、あたたかいもてなしを当てにしていたのではありませんがあたたかい歓迎がありました。「絵になる光景」も、スリル満点の体験もありました。

 けれども、お土産物屋さんはありませんでした。色とりどりのトロピカルフルーツを見て、何度も「持って帰りたい!」と思ったのですが、ナマモノは持って帰ることができないのですから、叶わぬ夢でした。



 
                             

          


 お土産を買うのも、旅行の楽しさの一部です。そのことを、突然、私も思い出したのです!

 「そう。今日はお土産を買いにバギオの町に行きましょう!」

  部屋のカーテンを開けると、みずみずしい緑の庭園と森が目に入りました。
  この神学校は、一九九〇年代にマニラから移転してきたそうですが、素晴らしい環境の中にあります。
  広い敷地にいろんな建物があって、そのどれもが一般のフィリピン人の住まいとはまるで違います。
  もともとバギオはアメリカ人の避暑地として開発された土地、ここもアメリカ人の別荘地だったのかもしれません。


                              

                   宿舎の部屋は広く、天井は高く、ベッドも家具調度もみんな私たちには大きすぎるほどです。
                   備え付けのワードロープなどは大きすぎてハンガーに手が届かないのです。
                   ここだけ、アメリカかヨーロッパのようです。



  神学校はじつは日本にもたくさんあります。しかし、有名ミッションスクールなどはべつにして、たいていの神学校は規模も小さく、財政的にも苦しく、学生数も十数人規模です。
  APTSは、環太平洋を中心に世界中から学生を集める国際的な神学校で、さらにその母体のAG教団(アッセンブリ・オブ・ゴッド教団)は、世界でも有数の規模の教団。その上、所在地が物価の安いフィリピンであるためか、財政的にも余裕があるのを感じさせます。












   

  

体力問題

2014年03月16日 | 日記


 やっぱり旅行は体力勝負です。
 さとうはフィリピン入り八日目に、とうとうダウンしてしまいました。
 体力がないらしいのに、自己管理に甘かったからです。
 
 タイなら何度も行ったことがあり、南の国での「水当たり」「食あたり」も経験済みなのに、一週間も無事だったので、油断しました。

 いっぽう、相棒のUさんは、「旅程の厳しさ」は認めるものの、元気です。

 連日過酷な道を運転しなければならない、いろんな手配や通訳や写真撮影(吉原先生撮影の写真も、使わせていただいています)などに奮闘の吉原宣教師は、少し、お疲れのようにも見えました。

 吉原先生は、本来言語学の専門家で、神学校では聖書ギリシャ語(※)を教えていて、英語はもちろん、カンカナイ語からイロカノ語、もしかしてタガログ語などを縦横自在に混ぜてコミニケーションをしておられるらしい。
 その上、関西出身ですから、すぐにも吉本の舞台に立てそうな関西風漫談調の司会で、(さとうにはもちろんのこと)、なぜか、現地の人に大うけなのです。
 やっぱり、エネルギーを使いますよね。、


 現地の牧師や宣教師先生は、全然疲労など見えません。
 山の条件がもっと過酷な四十年前に、一回何カ月も山に入って伝道していたS先生は、まるで水を得た魚のようにお元気でした。

 
                    ★      ★


 いつしか一行は帰途につきました。
 半分もうろうとしていても、だんだん標高を下っているのがわかりました。やれやれ。

 途中、どこかの村に立ち寄ったのですが、その時も車を出ることができません。ほかの人がいない間に車の外に嘔吐。また、別の場所で一行は、食料品店に寄って、パンや果物も購入しました。

 夕方六時ごろ、バギオの神学校の宿舎に帰りつきました。そのあと、バギオの町に食事に出ることになっていたのですが、さとうは、それもできません。ベッドに倒れこんで朝七時まで十二時間爆睡してしまったのです。

                     ??×?×?×!!!


 あとで話を聞き、写真を見て、今頃、もったいないことをしたなあと悔やんでいます。



           

            写真・立ち寄ったのはバゴンという場所にある村です。
               みんな楽しそうに交歓しています!!
                なんと、夕食は海鮮料理だった!



        (※)新約聖書はギリシャ語、旧約聖書はヘブル語で書かれています。









やっとやっと

2014年03月15日 | 日記


二月三日の月曜日は、朝から吐き気と頭痛でダウンしてしまいました。

 前夜、寝る寸前にロレンソ先生の家の水道の水を飲んだことから水当たりだと思ったのですが、コップにわずか二センチほどの水で当たるのかどうか・・・。

 でも、日本にいてさえ水道の水を飲むことはめったにありません。同じ日本でも水が変わると「水当たり」するのですから、油断でした。

                  ★      ★

 朝食はスナクバット教会で用意されているとのことで、全員車に乗って教会へ戻りました。しかし、さとうは車から出ることができません。
 
 朝食の一部だと何か持ってきてもらったのですが、食欲もなく、お断りしました。

 救急車が来るところではなし、クリニックもなさそうだし、第一自分だけ落伍したと思われるのも面白くないので、「大丈夫?」と聞かれれば、「大丈夫です!」

 一時間かもう少しか・・・わかりませんが、全員が車に戻ってきて出発です。
 その夜はバギオに戻る予定でしたが、それまでに立ち寄るところがいくつかあるのです。


 車は、山道を上り、やがてどんどん山の稜線を走っていきます。



                          


 山の稜線沿いの道では、気分の悪さを気にしているどころではありません。
 路肩にガードレールなんかない! 路肩を滑り落ちたらけっこうな勾配で谷底直行です。


                           


 最初に寄ったのは、無人の教会。ひとりの牧師が二つ三つの教会を牧会している場合、礼拝日以外は留守のことも多いのです。
 でも、その隣の家に、なぜかジプニー(乗合タクシー)を置いてありました。
 私たちはジプニーをチャーターし、乗り換えました。連日の運転でお疲れの吉原宣教師もジプニーに乗り換え、運転から解放されました。ジョン先生はあくまで、ご自分の四駆です。

 ジプニーで楽になったというより、緊張で目が覚めました。進行方向と平行の座席は、しっかりしがみついていないと、振り落とされそうです。
 
 
  やがて、山肌にしがみつくように建っている小屋が見えました。


                                      

        写真・へばっている女たちのために道を作って下さる牧師たち。
           小屋の中は案外広い。谷の向こうの牧師たちとの、祈りや会合に使われている。
           山地の牧師たち。黄色いトレーナーのジョン先生は、いつもお孫さんといっしょ。
                    後列右端がスナクバット教会のロレンソ牧師




   

          




              

スナクバット教会・合同礼拝

2014年03月13日 | 日記


 やっと礼拝が始まりました。午後7時近くなっていたでしょうか。
 こちらも、だんだん「フィリピン時間」に慣れて、別に時計を確認することもしませんでした。


 じつは、「合同礼拝」だそうです。近所の教会――もっと奥地の教会や伝道所の人も来ているのでしょう。

 アバダン教会のジョン先生、宣教師のF先生、青年担当牧師のジル先生、ほかにも数人牧師がいるのです。

 日本の教会は――教会に限りませんが――儀式ばった式次第を大切にしますが、ここでは、万事がゆるやかです。

 いつの間にか、人が集まって、賛美(歌)が歌われ、気がついたら、礼拝に入っているという感じです。


                                     

                      写真・賛美をリードする人(お母さんと娘さんだそうです)


                                


                             ★      ★     ★     ★


                               

                       写真・説教はS牧師。お証しはUさん。


                              
                       写真下・スナクバット教会の役員さんたちを祝福するジョン先生


                                


                                    


 礼拝が終わってもしばらくみんな残っています。
 この後、もう一度食堂へといざなわれて、コーヒーをふるまっていただきました。

 やがて、その夜は、この教会の牧師ロレンソ先生のお宅に泊まるとわかりました。
 ロレンソ先生のお宅に入ったのは11時ごろでした。さすがに眠かったのですが・・・・。
 お嬢さんの部屋二部屋と、もう一つの部屋を空けて下さいました。あまり大きな家ではないのに、六人も泊めて下さったのです。お嬢さんたちはいずこへ?と思いましたが、ともかくホッ!!

 一度ベッドに入ってから、いつものお薬を飲み忘れていたのに気がつき、一人台所に下りて行きました。
 少しなら・・・と思って、蛇口の水をいただいて、薬を飲んだのですが――さて、翌朝は、事件でした。







 






    



   

スナクバット教会夕食

2014年03月12日 | 歌う



                         


               写真、ノベリンさん。日本の農家で三年働いて戻ってきたばかりです。
                  おかげで日本語で会話ができました。
                  ピンクのダウンはユニクロで買ったものだとか。
                  うしろの女性は、食事の支度をして下さった方々。
               


                     ♪   ♪



       まだ、二月二日の日曜日のことを語っています。
       十日間ほどの旅行のリポートが長くなっていて恐縮です。

       


                    ★     ★
 

 「そろそろ時間だから」と、私たちはスナクバット教会へ引き返して来ました。

 「食事の支度ができましたから、お入りください」と食堂へ招き入れられました。
 「えー!! 先に食事ですか」と驚いたのは、アバダン教会でたくさん食べたので、まだあまりお腹が空いていなかったからです。

  
 そんなわけで、六時スタートの礼拝は、また先に伸びそうです。

 もっとも、ごちそうが出るのに、お客である私たちが何か言う筋合いでもありません。
 なんといっても、みなさんが作ってくださった食事です。



                                 

                   写真、手前から、鶏肉の煮物。
                       フライドポテト(さつまいも)
                       赤米のごはん、
                       エンドウの油炒め
                       野菜の炒め物


 鶏は、日本のブロイラーと違って固いのですが、おいしいです。
 ご飯が山のように出るのは、フィリピン人にとって食事にご飯は不可欠だからとか。

 ここは、料理を載せたお皿、取り皿ともに陶磁器でした。
 もしかして、私たちを歓迎して下さるために購入して下さったのかもしれません。