まるで何処かのレストランに行った様な~~。
我が家で家庭集会月一でしていた時とは
えらい違いです。
おやつは用意しても、近しい人たちばかりだったので
箱ごと出したり、カップも揃ってなくて
マグカップで出したりとか・・・・(キャー><);;
他を知らなかったってゆうことはやっぱ恥!?
怖いもん知らずですよね。
上級クラスを見てしまうと・・・( ̄  ̄;) うーん
いやいや
あれはあれで良かったのですから~。
しかし、イエス様はわけ隔てなく、富裕層の人とも
貧しい人たちとも食事をなさった・・・
それにkamiであるイエス様ご自身は、家畜小屋でお生まれになり
30歳まで、貧しい大工の息子としてお育ちになり
「時がきた」のでしょう
3年だけ、宣教なさり沢山のお弟子たちを養育され
一切罪を犯すことが無かったお方(kamiさまですもの)なのに
十字架というこの世で一番苦しい姿で処刑されることを
拒否されず、
『かれらをお許しください。彼らは何も知らないのです』
と、処刑した人たちを哀れまれ、死なれ・・・そして
三日目に甦られたのです。
数字的に「3」がつくのが、今、心に残りましたが
先日、沖胡先生のメッセージに
「聖書の数字は、全てkamiのメッセージであり意味がある」
と言われました。
私には分かりませんが、又先生に聞いてみましょう・・・カネ。
クリスマスは、
私たち人間の様々な、儀なるkamiにとっては赦されない罪を
kamiの御子であられるイエス様が背負ってくださって
本来なら我らがかかるべき、残酷で無残で無慈悲な十字架に
かわりにかかってくださるために
この世に、お生まれになったの日なのです。
そのイエス様を信じる人だけが赦される・・・・
それは傲慢でも贔屓でもなく、厳然とした真理、真実です。
イエス・キリストの十字架の前に悔い改めなければ、
いっさいの救いはないのです。
私はずーっとそれが分かっていませんでした。
今やっと・・・やっと・・・しっかりと頭でも心でも霊でも受け取り
納得できるようになってきて感謝できるようになっています・・・・
少しづつの聖書にある「みことば」の積み重ねがあるのでしょう。
とか えらそうに言っていますが、未だ
イエスさまの十字架を忘れて悶々とする時多々あります。
なっさけないですね・・・・。
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昨日は もちよりクリスマス・アガペでした。
おいしかったし、いろいろ学べ感じ、
みんなで分かち合う事できました。
霊の糧、肉の糧・・・・満杯になりました。ありがとう~~でした。