ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

その5

2022年06月01日 | 介護
29日の日曜日も朝から母と喧嘩をしていた。
家からは思うように外出も出来ず、主人の入院している病院もコロナ禍で面会は出来ないのだ。
主人のガラケーに電話をしてもいいと言われているが、声を聞けば泣きそうになるので、一度もしていない。
病気と言うものは突然何の前触れもなく襲ってくるものもあるのだ。
昔、母と別居していた父は脳梗塞で自宅の玄関で倒れた。
その時はデイサービスの職員が父の住んでいる団地の父の部屋に駆けつけてわかったのだ。
父は即入院となったのは言うまでもない。
それから父は3か月ごとに病院を転々とし、最後は末期の肺癌で亡くなった。
ある日の日曜日に私は主人に断って父の病院にお見舞いに行こうとすると、日曜日だし、旦那さんがいるのだからと、母にお見舞いに行かないように言われて、もめて、その後は二度と父の病院にお見舞いにはいかなかった。
なぜ?自分の父親なのに母に制限をされなければならないのか?
自由にお見舞いには行かれないのか?
その日は私の従姉がお見舞いに来ると言う。
従姉と会っては行けないのか?
その後母は私を親不孝な娘だと攻めたのは言うまでもない。
私は売り言葉に買い言葉で、その後は二度と父のお見舞いには行かなかった。
外出する度に行き先と帰りの時間を聞かれては行かれない。
父もさぞや娘の私には会いたかっただろう?
今更ながら父が早く亡くなり母が長生きをしたことを恨んでいる。
人は亡くなってみると。その人の良い面だけが見えてくる。
出来ることなら私は母を残してこの世を主人と一緒に去りたいものだと思う。
ほぼ音信不通の弟からは何の連絡もない。
長男なのにである。嫁も嫁だと思うのだ。
私は母に対しては生んでくれたこと以外は感謝していない。
プライバシーの無い生活に、自由の無い生活に私は嫌気をさしていた。
(続きはまたあとでね)

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その4

2022年06月01日 | 介護
5月27日の金曜日は午前中は地元の高齢者大学の講義があった。
行きたかったのに、聞きたい講義内容だったのに、行けずにいた。
この日は主人の1回目のカテーテル検査があった。
午後からは母の病院の付き添いだった。
駅前の病院までふれあいタクシーを呼んだ。
循環器内科の先生の診察を受け、院外処方で薬をもらった。
その後、母のバックの持ち手が傷んでいたのでふれあいタクシー呼び、ヨーカドーで新しいバックを買った。
どうせ自分ではバックは持たないし、母に説明し、私が持つのに恥ずかしくないバックを選んだ。
夕食は何を作っても文句を言うのだ。
母は残り物を食べて夕食を済ませてもらう。
このところ夜のテレビも思うように見れず、パソコンも夜中しか使えないので、不便を強いられていた。
これでスマホも取り上げられたら困るのだ。
それこそ病院の後にふれあいタクシーを呼ぶことも出来ないのだ。
日々の生活に楽しいことはほぼ無いに等しいのだ。
28日の土曜日は大好きな浪曲の師匠に宅急便を送るべく、コンビニに行った。
自宅に宅急便のお兄さんを呼べば母にいろいろ言われるからだ。
夜に近所のコープにお使いに行った。
お使いに行くのもいちいち母にお伺いを立てるのだ。
断ってから行く。
買うのもを聞いて行く。
寄り道はしない。
目的のものを買ったら帰る。
以前はコープは徒歩3分のところにあった。
そのときはお使いにコープに行くと言ったら母に5分で帰ってくるように言われたことがあったのだ。
無理だと言うものだ。
そのコープが徒歩5分の所に移転した。
往復10分です。
広く大きくなった。
目的のものを買っても30分はかかるのだ。
もしもそれを5分と言われては無理だと言うものだ。
そもそも母は認知症になる以前から無理難題を言って来た。
自分の意見が正しいと思い込んでいるので、世間の常識は通用しない。
世の中のファッションや流行は母には通用しないのだ。
たびたび履いている私のズボンの丈を指摘する。
足首を出し、丈の短いズボンを好む母には足首が隠れてかかとまであるズボンは許されないのだ。
毎回母にズボンの丈を指摘されるので、私はズボンの丈をウエストで3つに折り短くした。
外出も思うように出来ず、パソコンの使用も禁止され、テレビも好きなように好きな時間に見れなくなり、楽しみなど無いのだ。
日々の生活を母に監視され指摘された中に楽しみを見出すのは難しいと言うものだ。
(続きはまたあとでね)

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