私は子供の頃から母好みの子供にも少女にもなれなかった。
大人になっても母好みに染まることは嫌だった。
母は私を自分の好みに育てたかったのだ。
それに対して反発はしてみたけれど叶わなかった。
一見して自由のような私は不自由を強いられていたのだと思う。
奪われた自由をどうすることも出来ずに過ごしていた。
半ば管理された生活に自由は程遠く、ことごとくやりたいことは反対され、逃げ道は結婚しか無かったのだ。
32歳でお見合いをしてやっと結婚をした。
子供が欲しかった。
子育てをしたかった。
母のような子育ては嫌だった。
子供を産み育てる。
子供の人権を尊重し、子供の意見も聞ける耳を持つ母親になりたかった。
結婚して2年目に大学病院に不妊治療通った。
4年間通った末に子供を産み育てることをあきらめた。
その間に突然の耳鳴りに襲われて、あっちこっちの病院を転々とした。
結局耳鳴りは良くならなかった。
耳鳴りの中で声を聴く。
歌を聴く。
話をする。
歌を歌う。
結婚して10年目に70歳で働けなくなった母との同居が始まる。
その後私は更年期になったのだ。
ところが更年期から別の病気にもなるのだ。
原因は母との同居にあったのだ。
働いていたパート先を辞める。
婦人科をやめて心療内科に通うのである。
原因は明らかに母との同居にあった。
辛い日々が続くのだ。
母に監視されて見張られたような生活に楽しみは主人との外出だった。
それでも半ばストーカーのような母に
「どこに行くの?」
「何時に帰るの?」
「何しに行くの?」
などど聞かれて、帰ってくれば行った先の内容まで聞かれる始末だった。
母は私の外出を嫌った。
極端に嫌った。
私は子供の頃から芸能人が好きだった。
心のよりどころだった。
その芸能人を極端に嫌った。
コンサートに行く。
舞台を観に行く。
ライブに行く。
CDを買う。
本を買う。
それらも嫌った。
そのようなことにお金を使うことよりも、お金は銀行に貯金する方が良いらしい?
お金は使わず銀行なのだ。
習い事許されず、資格を取ることも許されなかった。
時に夫婦の会話にも口をはさんだ。
そこには本当の自由も幸せも無かったのだ。
ゆがんだ母の子供時代とゆがんだ子育ては母を本当の幸せに導くことは無理だったと思われる。
(続きはまたあとでね)
大人になっても母好みに染まることは嫌だった。
母は私を自分の好みに育てたかったのだ。
それに対して反発はしてみたけれど叶わなかった。
一見して自由のような私は不自由を強いられていたのだと思う。
奪われた自由をどうすることも出来ずに過ごしていた。
半ば管理された生活に自由は程遠く、ことごとくやりたいことは反対され、逃げ道は結婚しか無かったのだ。
32歳でお見合いをしてやっと結婚をした。
子供が欲しかった。
子育てをしたかった。
母のような子育ては嫌だった。
子供を産み育てる。
子供の人権を尊重し、子供の意見も聞ける耳を持つ母親になりたかった。
結婚して2年目に大学病院に不妊治療通った。
4年間通った末に子供を産み育てることをあきらめた。
その間に突然の耳鳴りに襲われて、あっちこっちの病院を転々とした。
結局耳鳴りは良くならなかった。
耳鳴りの中で声を聴く。
歌を聴く。
話をする。
歌を歌う。
結婚して10年目に70歳で働けなくなった母との同居が始まる。
その後私は更年期になったのだ。
ところが更年期から別の病気にもなるのだ。
原因は母との同居にあったのだ。
働いていたパート先を辞める。
婦人科をやめて心療内科に通うのである。
原因は明らかに母との同居にあった。
辛い日々が続くのだ。
母に監視されて見張られたような生活に楽しみは主人との外出だった。
それでも半ばストーカーのような母に
「どこに行くの?」
「何時に帰るの?」
「何しに行くの?」
などど聞かれて、帰ってくれば行った先の内容まで聞かれる始末だった。
母は私の外出を嫌った。
極端に嫌った。
私は子供の頃から芸能人が好きだった。
心のよりどころだった。
その芸能人を極端に嫌った。
コンサートに行く。
舞台を観に行く。
ライブに行く。
CDを買う。
本を買う。
それらも嫌った。
そのようなことにお金を使うことよりも、お金は銀行に貯金する方が良いらしい?
お金は使わず銀行なのだ。
習い事許されず、資格を取ることも許されなかった。
時に夫婦の会話にも口をはさんだ。
そこには本当の自由も幸せも無かったのだ。
ゆがんだ母の子供時代とゆがんだ子育ては母を本当の幸せに導くことは無理だったと思われる。
(続きはまたあとでね)