ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

「ありがとう」と「ごめんなさい」

2022年02月13日 | 介護
母の辞書には「ありがとう」と「ごめんなさい」の文字は無いに等しい。
いつどんな時も自分が正しいし、一番だと思っている。
感謝と謝罪はごくまれでしかない。
私がご飯を作るのは同然らしい?
だからそこに感謝と言う概念はない。
母のことを思い、数年前に年寄りでも使いやすい洗濯機を買ったら案の定教えても難しいと覚えなかった。
それ以前にそんな洗濯機を買ったことを怒られた。
したがって母の洗濯物は必然的に私がするのだ。
干してくれと言うので干せば毎回干し直しをするのだ。
だったら自分で干せばいいものを私に干してくれと言ってくる。
掃除に至っては私のした掃除では気に入らないらしく、自分でする。
文明の利器と言われるものが苦手で、使い方を教えても覚えようとしない。
食べ物に至っては好き嫌いが多く、昔食べたもの以外は受け付けない。
ましてや入れ歯で噛めないのだ。
文句は人一倍言う。
ケチは付ける。
私が着るために買ってきた服に文句を言い、とにかくあらゆるものに文句を言う。
日がな一日パソコンの前にいる主人のことは勉強をしていると思い込んでいる。
食べるものがいろいろあっても自分の食べたいものが無いと「食べるものが無かった」と言う。
入れ歯で硬いものが噛めないので必然的に柔らかなものを母の前には出す。
いつぞやはご飯が硬いと言いだした。
そのころは主人もお弁当を持参で仕事に行っていたので、柔らかなご飯には出来なかった。
私が若い頃からストーカーのような母で、娘の行動は常に監視されていた。
主人と付き合い始めたころにはデートから帰ってくると決まってデートの内容を聞かれた。
食事をしただけなのに、食事のメニューを聞かれ、会話の内容も聞かれた。
あるとき疲れて公園のベンチに座っただけなのに「何かあったか?」と、言われ、母は手を繋ぐとか抱き合うとかキスをするなどを期待していたのだと思われる。
何も無かったことを告げたら疑われた。
休日の過ごし方も監視され、夜寝る時間も決められ、働いたお給料も管理され過ごしていた。
こんな私が不良に走らなかっただけでも良かったと思う。
21年前から母と同居したら再び元の木阿弥のような生活になった。
夫婦の会話に割り込んでくる。
夫婦が寝るまで寝ない。
主人を一番に立てる。
毎回一番風呂は主人で、見たいテレビがあっても入る羽目になるのだ。
やたらと世間体を気にする。
母が認知症になったら私にあまり外は出歩くなと言い「あそこの夫婦は毎日出掛けている」と思われるかららしい?
私が外出するときは持ち物からファッションまでチェックされる。
コートの下から服が出ているのはみっともないと言う。
履いているズボン(パンツ)の丈が長いと言う。
短い丈では座れば足首が見えると言うものだ。
以前は自分の服を着せたがった。
流石に27歳も歳が違うのと好みも違うので断った。
地味な服装を好み、私が赤やピンクやオレンジを着ることを嫌がった。
そのくせ黒も嫌がった。
茶系やグレー系の服装が良いのだろうが私の好みでは無かった。
母は数年前に認知症になったら日々様子は変わるようになっていった。
時に穏やかな日もあればそうでない日もあるのだ。
この母を最期まで看取る。
それが私に課せられた使命のような気がする。
看取った後は夫婦で好きなように暮らしたいと思うのだが、お互いに歳なのでどうなることやら?
出来なかった旅行など行ってみたいと思うのだ。

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