ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

その6

2022年06月02日 | 介護
30日の月曜日は主治医からの説明を10時に主人の兄と聞くことになっていた。
義兄が我が家まで迎えに来たので、車で病院に向かった。
先生の説明には主人も同席した。
車いすに乗り、点滴を2つもしていた主人は痛々しかった。
会話は普通に出来るようだった。
私は主人の顔を見たら泣きそうになったが、グッとこらえて先生の話を聞いた。
手術と言うものは納得した上でないと行えない。
MRIの画像を見せてもらいながら説明を聞き、手術をするに当たっての書類などにサインをして、部屋を出た。
その後、主人と別れて義兄の車で自宅まで帰った。
こんな事態なのに、相変わらず母はわけのわからないことを言い、私とけんかになったのは言うまでもない。
その日の私はろくに食事もせず、昼間のパソコンは禁止されていたので、夜遅くパソコンを開いた。
主人のことが心配でろくに寝れずにいた。
31日の火曜日は主人の2回目のカテーテル検査があった。
この日は朝から雨だった。
自宅から駅まで歩いて行き、バスで病院に行くつもりだった。
駅前のバス停には多くの他人が並んでいた。
検査の時間の8時40分には間に合いそうにないので、タクシーに乗って病院に向かった。
病院では手術室やICUなどのある階のラウンジで待たされた。
主人がストレッチャーで来たので顔を見て一言二言話して、私はラウンジでカテーテル検査が終わるのを待った。
6月2日の木曜日に病院に介護認定の他人が来ることになっていたが、手術の次の日で早すぎると言うので、20日に介護認定をする他人が病院に来ることに決まった。
私は相変わらず家では母とけんかをしていた。
理不尽な母は相変わらず自分の理屈を押し付けてきた。
最早自宅には私の居場所などは無く、日々母に監視され管理された生活に限界を感じていた。
すっかり食事を作る気も失せ、家事をする気も失せていた。
相変わらず母はキッチンの洗った食器を布巾で拭くと食器棚のあっちこっちに仕舞う。
食器が同じ場所に置かれたためしが無い。
毎回私が洗って片づけると言うのにである。
連日の気温の上昇をよそにいまだに母は4枚も着ていた。
私が食事を作らなくなったら冷蔵庫の食材も底をついてくるようになった。
私は夜にコープに行き、値引きの品を買い、自分の空腹を満たしていた。
こっそり自室で値引きの品を食べると言う有様であったのは言うまでもない。
いよいよ6月1日の水曜日は主人の手術の日となった。
朝9時までに病院に行く。
(続きはまたあとでね)


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