昨日の夕方、買い物に行く時に、前の棟のおばあちゃんに会った。
先日ふくろうの家族を作ってくれたおばあちゃんだ。
カラの車椅子を押しているので
「おじいちゃん、デイから帰ってくるの?」
と尋ねると、
「実はね、先週の火曜日だったかな。朝、おじいさんの様子を見に行ったら、何だかいつもと様子が違うのよ。呼吸がおかしくて心配だから、娘に電話して来てもらったらね、『あら、お母さん、おじいちゃんもう亡くなってる・・・』って言うのよ。
えってんで、すぐにそこの病院へ運んで、15分くらい蘇生術施したらね、息を吹き返したのよ~~~。もう大変だったよ・・・
何とか助かったんだけど、もう何もわからないで、ただ眠っているだけよ。
私ももうこんな歳(80歳近い)だし、娘も「もういいんじゃない?」って言うもんだから、
レンタルのベッドと車椅子、引き取ってもらうのよ。」
あ、それでか。
見ると介護レンタルの車がとまっていて、業者の人が車椅子を荷台に乗せていた。
もともと脳梗塞で、左半身麻痺があり、何とか伝い歩きで頑張っていた。
私がこの団地に越してきた3年前は、とても元気で大きな人だった。
おばあちゃんもまだ介助している段階で、天気がいい日は必ずじいさんを車椅子に乗せてあげて、夫婦二人で散歩をしていたのだ。
「あ、今日はお天気でよかったね。」
と言うと、照れくさそうな顔をして笑うのだ。
それが、昨年あたりから殆ど寝たきりになってしまった。
それでも、おばあちゃんは一所懸命おじいさんを起こし、車椅子に移してあげていたそうだ。
本当に素敵なご夫婦
大変だと言いながらも、365日しっかりとおじいさんを介護してきたのだ。
ベッドがなくなってガランとした部屋でひとり、淋しいだろうな~
おばあちゃんにとっては、80年間ずっと寄り添っていきてきたのだから、ただ毎日眠っているだけで、何もわからなくなってしまっても生きていて欲しいと思うのは当然だ。
しかし、果たしておじいさんにとって助かったほうがよかったのだろうか。
おばあちゃんも、おじいさんの事を思って、これ以上の延命処置はしていないという。
そうかもしれない。
「一日でも長く生きていて欲しい」と思うと同時に、「一日でも早く楽にさせてあげたい」とも思う。
これはかなりつらい選択だ。