3/14 思い出した 津波から逃げる訓練 津波役を軽トラ?がやる
生徒数名づつ、先生の合図で走りだす。
次の合図で津波が走りだす。
どの生徒も真剣そのもの。
こういう訓練をしていて、あの日の地震が起こったとき
先生が2階に行ってみたら教室には誰もいなかった。
他の教室のも行ってみて、その先生は生徒が校庭から山のほうに
かけて行く遅い数名の生徒を見た。
あの津波訓練が功をなしたのだ。
昨日の報特で被害にあった町の市役所が町の中心地にあたる
ようなとことに再建された。
市関係の人は山の上のほうに作った来るのにやっかいだとか
いろんな口実を言っていた。
見栄えだよね、要するに。そして津波はもう来ないって
無意識に思っているのよ。
子供(小さい子ではなく、役所で働いていた)を二人無くして
お母さんが散々抵抗したけど
10年でもう怖さも悲しさも役所は忘れたみたい。
お母さんは言った。
添付を見て。
津波が来たところに建てようって発想が日本人だよ。
次の津波の時まで自分は生きていないって内心思っているんだろう。
賛成した議員を写真添付してやりたい。
この人だけじゃないけど、言いだしっぺだよ。
フランスのテレビかラジオのアナがよく
フランス人は記憶がお粗末だからってなんかあるたびに
いったけど、
報特ではそういう批評はしないんだと思った。
報道するだけ。