最初から最後までメンバーだった OとKに捧ぐ。
恥ずかしながらも、 俺たちの輝ける青春の記憶。
遥か彼方に消え去った ‥ まるで あの 『ひき潮』 のように。
昭和52年、 学生寮、
O(Vo、G)、Ⅰ(G)、K(B)、K(Sax)、M(Sax)そして ちっぷ(Dr)の6人は
狭い一室で バンド結成の契りを交わしていた。
格好いいステージをみんなに魅せつけてやろうぜ!
(一体どこから この自信は来ているんだ??)
だけど、、 肝心の「何をやるか」は まだ決まっていなかった。
いや、
正確に言えば、 メンバー中 4人は 当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった
矢沢永吉 コピーバンドに、決めていた。
俺と、ベースのKは 「ロックンロールなんて女の子にもてないじゃーん」 と
かなり否定的だったのだが、 最終的には 多数決 が決め手となった。
なんと民主的なスタイル… (トホホ )
そして 記念すべきバンド名は、 「できんBOY」。。。
まぁ、 このバンド名はすぐに改名され、 「矢沢一家」 となったけどね。
3年弱の活動期間で、 合計十数回のステージしかやらなかった。
けれど、 各ステージでコンセプト、曲の内容、曲順などが全く変わってくるので、
起きてる時間の大半を 矢沢一家 に注いでいた。
そのせいか、 6人の内 4人が
印象的だったのは、俺が大風邪をひいているにも関わらず、
普通にバンド練習に連れて行かれたこと。
VocalのOが、鬼畜 に見えた瞬間だった。
メンバー全員で矢沢永吉のドキュメント・シネマを観に行ったりもしたな。。
広島の某有名ホテルから、『X'mas-concert』の誘いもあった。。
ラスト・ステージは、ブラス・セクションを増やしたり、
ツインドラムにしたりして、 メンバーは10人を超えていた。
俺たちは上手かったよな!
矢沢一家 それは青春そのものだった!
二度と戻れないから、青春と呼ぶんだろう?
俺の夢だった 『”年寄り矢沢一家” を 再び』は、 儚い幻となったけど、
青春は俺たちの心にある、、 いつまでも。