落葉の積もる場所

- The way I was -
 

 レオ  

2013年11月23日 | WEBLOG









  

  中学校の「文集」に提出した、切ない話。















  遥か昔の話ですが、いまだに心にこびり付いて離れない出来事です。





















                 












































  小学校6年生のとき、

      我が家に 仔犬 が、やって来ました。




  新しもの好きな父親が連れて帰って来たのです。



  まだ コロコロしていて 小さな 坂上二郎 という感じです。

  






  小6《ちっぷ》と、小2《でーる》の兄弟が夢中になるのは至極当然のことでした。








  その子犬は兄弟2人によって ジロウ  と名付けられました。


          (名前の由来は書く必要もありませんね)




イメージです















  ジロウは秋田犬でした、一応。  (by 父の解説)
 


  たしかに脚が異常に太く、近いうちの成長を予感させるものがありました。












  性格は大人しく、常に周囲の人間に気を遣っているかのような犬でした。























  1年近くが経ち、ジロウは誰が見ても立派な成犬になりました。



  そうです、 もはや彼を「ジロウ」とは呼べなくなってきました。





あくまでイメージです




















  私が考えた新しい名前、 それは - レオ - でした。





















  その頃は もう彼を散歩させるのさえ ひと仕事でした  








































  私が中1のとき、 父が単身赴任で1年間 家を空けることになりました。







  三原市糸崎町の家は、 母・私・弟・そして、レオが守っていたのです。



  







































































  あれは、 土曜日の夕方のこと。









      「ちっぷ!  レオを散歩に連れて行ってやって!!」  






  母が怒鳴っていましたが、私は洋樂ラジオに夢中で「無視」してしまったのです。







  弟は学校の行事で不在だったので、 結局 レオの散歩には母が同行しました。  


































































              悲劇が待っていました。































  三原・糸崎町にある我が家は 国道2号線の道路沿いに建っていました。








  そして、家の裏は 20m下りると すぐに山陽本線が走っていました。















  考えれば誰でもわかるとおり、犬を飼うには余りにも危険な環境だったのです。























  














  母は手首にリードを何重も巻き付けて注意していたのですが




      レオはリードを振りきって疾走し、 山陽本線の特急電車に激突しました。
















       母は真っ青になって駆け寄ったけれど、、、     即死でした。



















































  午後6時頃、 母と私は、レオのために国鉄の敷地に穴を掘り、




                                  彼は永眠しました。



























            涙  涙   また涙の悲しい別れでした。









































































































  中2の1学期、


  全員提出作文の宿題があり、 私は レオ の顛末を書きました。






















  それが国語教諭の目に留まり、市内の各校・各学年から1名ずつ選ばれる


                    「三原のこどもたち」という冊子に掲載されました。




















  そして、さらに その中から 私と三原第二中学校の女子が、 ”Debate” を


                                   することになったのです。











              (彼女も私同様に「犬の死」をテーマに書いていました)










































  普段から成績不良(88位/96人)の私。






  一体 どうなるんじゃろうか‥。












































  しかし、附属中の超優等生4名が加わり Debateは無事に終了しました。






        「ちっぷくんの倒置法の連続技がいかに効果的か‥」











          なんとなく ひとり 置いて行かれたような気がしました。


































































  やがて、父の再転勤が決まり




      ちっぷ家は県西部の五日市町(現広島市)に転居することになりました。






























  三原の附属中時代を振り返るにつけ、




           成績優先の校風(特に先生たち)が、嫌でたまらない思いです。























  五日市に転校後は、成績がBEST⑩/110名に入り、




             私は、ますます洋樂ラジオに没頭するようになりました。

































  国語教諭、 Debateのメンバー、、 




                  もちろん 私の成績上昇とは何の関係もありません。





























































   ただ レオ LEO だけは




     いつも 守っていてくれた と 今も思わずにいられません。

























































     学校から帰る度、 優しく尻尾を振ってくれたレオ。










     私の成績不振なんか、ちっとも気にするなって言ってくれてたようで、


                             レオには心から感謝しています。






























                   ありがとう  レオ






































                   私も もうじき 逝くからね。。